東京駅から東北新幹線で約1時間半。福島市は福島県中通りの北端に位置する、人口約28万人の城下町で県庁所在地。古くから寺や城が置かれた行政の拠点であり、明治時代に県庁が置かれ養蚕や製糸で発展、以後は金融や果樹や商業も興ったが、県内では人口も産業も郡山市やいわき市の後塵を拝する。駅弁は明治時代の1900年代までに始まり、国鉄時代は伊東弁当部と半田弁当部が競い、2000年過ぎに相次ぎ撤退すると伯養軒と福豆屋の郡山駅弁や日本レストランエンタプライズの仙台駅弁が置かれ、2020年代には松川弁当店の米沢駅弁が売られる。1887(明治20)年12月15日開業、福島県福島市栄町。
2000(平成12)年に発売。小ぶりで底の深い真っ赤な容器に、ボール紙でふたをする。中身は御飯の上に鶏が、そぼろと3切れの照焼で載るもの。味噌の辛さとゆずの香りが調和する香り高い鶏肉に食が進む、なかなか美味い駅弁。価格は2002年の購入時で800円、2010年時点で「伊達鶏ゆず味噌焼き弁当」であり、2014年時点で900円。2018年までの販売か。
※2023年10月補訂:終売を追記商品名をでっかく書いた真っ赤な掛紙が印象的。中身は白御飯の上に卵とじの豚カツを載せ、漬物と果物を添えるもの。とんかつの駅弁は珍しくないものの、卵とじカツ丼の駅弁となると珍しいと思う。とてもおいしく感じ、カツの質もタレの甘さもほどよい。
この駅弁を購入した2002年当時、福島駅で最も駅弁が売れると思われる新幹線改札内からは地元の駅弁業者が駆逐され、東京の弁当業者の仙台支社と仙台の駅弁業者の福島支店の弁当をJR子会社の売店が販売していた。地元の駅弁を購入したい場合は、在来線ホームに面した改札を出て右に曲がると駅弁屋兼そば屋の売店がある。ただ、2004年の情報でその売店もなくなったという報告がある。
1983(昭和58)年4月7日6時の調製と思われる、昔の福島駅弁の掛紙。2002年のものとの相違点は、調製印か食品表示ラベルか、定価が印刷かシールか、調製元の所在地と電話番号、その3点だけである。2008年に再訪すると駅ビルが改装されており、この駅弁を買えた販売所は痕跡を残していなかった。
昭和50年代、1980年前後の、6月5日21時の調製と思われる、昔の福島駅弁の掛紙。絵柄は下記の1972年11月のものと同じで、国鉄の観光キャンペーンのロゴマークを差し替えた。白飯を何枚かの豚焼肉で覆い、少々のおかずを添える、普及品の豚丼だった。
1972(昭和47)年11月6日7時の調製と思われる、昔の福島駅弁の掛紙。当時は日本全国の駅弁掛紙が、国鉄の旅行キャンペーン「DISCOVER JAPAN」のロゴマークを付けていたが、この掛紙に描かれるものはその中でも特に大きい。
1972(昭和47)年11月16日の調製と思われる、昔の福島駅弁の掛紙。吾妻スカイラインは、1959(昭和34)年11月6日に開通した、現在の福島市内で高湯から浄土平を経由して土湯峠までを結ぶ、全長28.7kmの眺望道路。当時のマイカーブームや観光ブームを盛り立てた。
おそらく1930(昭和5)年頃のものと思われる、昔の福島駅弁の掛紙。掛紙の右上部で鉄道の途中下車制度を紹介する、他で見たことがない内容。距離により途中下車の回数を定めたのは1916(大正5)年5月から1932(昭和7)年8月までだそうで、東北本線に久田野駅ができたのは1919(大正8)年10月、駅弁の上等弁当の価格が30銭だったのは1910年代と1930年代なので、これで絞り込めるか。名所に競馬場や飯坂温泉があるのは今と同じ。調製元の松葉館は明治時代の福島駅前で名門の料亭や旅館だったようで、第二次大戦前に東北本線の列車食堂や福島駅の構内営業を手掛けた。