東京駅からつばさ号で約3時間半。新庄市は山形県の北部で最上川が流れる、人口約3万人の城下町。江戸時代まで最上川の水運と羽州街道の陸運が出会い、のちに国道と鉄道が十字に交差する拠点となり、1999年に新幹線と高速道路が来た。駅弁は大正時代より前から売られ、1990年代の廃業で山形駅弁が、のち米沢駅弁が売られるほか、駅の隣の土産物店の弁当も駅弁と紹介される。1903(明治36)年6月11日開業、山形県新庄市多門町。
2015(平成27)年8月10日に下記の「山形牛すき焼弁当」とともに、新庄駅の駅舎と隣で一体になった公共施設「最上広域交流センターゆめりあ」の土産物店「もがみ物産館」で発売。同年3月のJRダイヤ改正で、山形新幹線の山形駅〜新庄駅の車内販売が廃止されたことから、山形県や市町村が出資するもがみ物産協会と、総務省の補助事業でできた新庄市の地域おこし協力隊が、山形県の緊急雇用創出事業などを活用して開発、2種類で一日30個を売り始めたもの。
各地の駅弁でも使われる竹皮編みの容器を、縦長の掛紙で留める。中身は新庄産つや姫を使う丸いみそ焼きおにぎりと、明太子と梅肉を載せた三角おにぎり、サトイモの肉巻き、ニシン昆布巻、紅鮭、玉子焼、いんげんのおひたし、串焼、煮物。そんな見た目は完璧に駅弁。常温での味の締まりも駅弁。新庄に縁もゆかりもなくても、懐かしさを感じるようなお弁当だった。
2015(平成27)年8月10日に上記の「上京物語」とともに、新庄駅の駅舎と隣で一体になった公共施設「最上広域交流センターゆめりあ」の土産物店「もがみ物産館」で発売。同年3月のJRダイヤ改正で、山形新幹線の山形駅〜新庄駅の車内販売が廃止されたことから、山形県や市町村が出資するもがみ物産協会と、総務省の補助事業でできた新庄市の地域おこし協力隊が、山形県の緊急雇用創出事業などを活用して開発、2種類で一日30個を売り始めたもの。
各地の駅弁でよく使われる長方形のプラ容器を、商品名を描いたスリーブにはめる。新庄産つや姫白御飯を牛肉煮、シイタケ煮、糸こんにゃく、マイタケ煮、紅生姜で覆い、サトイモ、ニシン昆布巻、しそ味噌、柴漬けを添える構成は、各地の牛肉駅弁とよく似る。山形牛の肉は厚め、固め、味付けは薄めで、一般的な牛肉駅弁よりワイルドな感じを受けた。
駅弁のない新庄駅で、駅の隣の最上広域交流拠点施設「ゆめりあ」の1階にある観光売店「もがみ物産館」で売られていた、4種のお弁当のうちひとつ。同施設は駅舎と合築されており、これらの弁当は駅弁の役割を果たしていたと思う。
見た目はスーパーの惣菜弁当。黒くて浅いプラ容器に、日の丸御飯、フライ、オムレツ、唐揚げ、ペンネ、玉こんにゃく、きゅうり漬けが入っていた。弁当の形状は安っぽくも、手づくりを超えたような、きれいにていねいに作られた印象。現存しない模様。
※2022年11月補訂:終売を追記1956(昭和31)年7月7日の調製と思われる、昔の新庄駅の駅売り商品の掛紙。調製元の三光舎弁当部は、1920(大正9)年から新庄駅で牛乳を売り、後に駅弁も売り始めたほか、このくじら餅は名物であったという。1998(平成10)年頃に「べこべん」などの駅弁から撤退。今も山形県の新庄市や最上(もがみ)地方では、米粉や砂糖などの蒸し菓子「くじら餅」を、商店や土産物店などで買うことができる。
絵柄から1928(昭和3)年のものと思われる、昔の新庄駅弁の掛紙。この年は昭和天皇の即位の年で、一年を通して各地で記念行事が行われ、記念の駅弁掛紙も出回った。それらの掛紙には「奉祝」の表記があり、この掛紙は入手の状況から1920年代のものと考えられ、このように推測した。「奉祝」の日の丸以外は、絵柄に特段の意味はなさそう。調製元の新庄ホテルは、三光舎より先に新庄駅で駅弁を販売した駅前旅館であり、1990年前後までの営業か。