福島駅から普通列車で30分。峠駅はその名のとおり、福島県と山形県の県境である板谷峠の駅。一日で上下各6本の普通列車のみが止まり、利用者はほとんどいない。この山間の小駅で明治時代から現在まで、「峠の力餅」の立ち売りが実施されている。2019年時点で8個入りが1,000円。1899(明治32)年5月15日開業、山形県米沢市大字大沢字峠。
1901(明治34)年に峠駅で発売された力餅。以後120年以上に渡り、駅のホームで立ち売りされる鉄道銘菓。今の市販品や土産物と違い、脱酸素剤を入れて樹脂の袋に密封することなく、中柄で真っ白な大福餅を、塩気があり甘味を抑えたこしあんを餅米の生地で包み白粉をまぶした餅を8個、容器に直接詰めて、紙のふたを載せて、掛紙をかけて、ひもで十字にしばる。ふたは平成末期頃に掛紙へ戻された。半日おくと固くなった大福餅も1990年代には翌日でもしっとりするようになり、価格がちょうど千円なのでお札一枚で買え、便利になった。
鉄道でも古くは江戸時代までの街道と同じく、峠越えの茶屋のようなものが、峠越えの駅での物売りが、各地で行われていた。蒸気機関車の管理上や運転上の都合で、汽車が長く停まり、乗客に向けて商売を行うのに都合が良かった。戦後昭和で鉄道の動力が蒸気機関からモーターやエンジンに代わると、停車時間は客の乗り降りのためだけでよくなり、そんな物売りは廃れた。高度経済成長期以降は客が急行列車そして新幹線や特急に乗りたがり、各駅に止まる普通列車での旅が普通でなくなると、小さな駅での物売りは消えた。
峠駅の前後の奥羽本線は、今も新幹線や電車が落葉や雪で登り降りできなくなるほどの急勾配。建設時に各駅へ本線路から分岐した平地を造り、列車が折返しながら進む「スイッチバック」を4箇所設けた。峠駅もそんな構造であり、山形新幹線工事により1990年9月にホームを屋外から屋内へ移すまでの約90年間、通過しない列車は進行方向を変えるための停車時間があり、そこで峠の力餅が立ち売りされた。そんな光景はいつしか名物となり、客がわざわざ本数が少なく時間のかかる普通列車に乗りに来るようになった。
もともと乗客がほとんどいない峠駅。奥羽本線の客が1992年7月に「山形新幹線」へ移り、峠駅に停まる一日6往復の電車も30秒で出て行く時代になり約30年。それでも峠駅では年中無休で、駅前で力餅が作られ、ホーム上の立ち売りで販売される。残存が奇跡に思える、これはもはや貴重な文化遺産。
※2023年3月補訂:写真を更新し解説文を手直し2012(平成24)年9月23日に購入した、峠駅の力餅のふた。この時はホーム上の立ち売りでなく、列車を下車し調製元で購入した。当時は10個入りで1,000円。この頃からふたの絵柄に「合格」を加えたようだ。
2002(平成14)年8月17日に購入した、峠駅の力餅のふた。当時は12個入りで1,000円だった。ホーム上での力餅のみの立ち売りは、平成時代の前から変わらない。6枚集めるとオリジナルテレホンカードがもらえるという、調製元100年のシールが貼られていた。
山形新幹線つばさ号の車内販売で買えた、峠の力餅。商品そのものは峠駅で売られるものと同じに見えるが、調製元の社名と所在地が異なる。新幹線の車内販売では、1970年代頃に峠駅の峠の茶屋から暖簾分けし、米沢駅前に店舗を構えた業者の製品が売られた。中身は大福餅が8個で600円。これを仕切らずに箱詰めし、箱ごと透明な袋に密封していた。味に違いはないと思うが、違うと言う人もいるし、峠駅の業者は別物だと公式サイトで強調する。2019年7月の車内販売の営業縮小を前に、車内での販売は終えたと思われる。
※2023年3月補訂:終売を追記峠駅の力餅を、東京の百貨店での催事で、京王百貨店の駅弁大会で買ったもの。冷凍保存品を解凍して販売したようで、食品表示でそれがうかがえる。この時のふたに記された調製元の最上屋は昔からの屋号であり、今も立ち売りの容器にはそう書かれてある。当時の価格は8個入りで700円、12個入りで1,000円か。
第二次大戦前の調製と思われる、昔の峠駅弁の掛紙。調製印があるので、大正時代か昭和時代のものだろう。絵柄に軍配を使うことは、昔も今も変わらない。飛脚でなく3人のお相撲さんが描かれる。また、酒やタバコや果物など、力餅以外の商品も売ったことがうかがえる。