かつて信越本線の熊ノ平駅で立ち売りされた、峠の力餅。現在は廃線跡の脇で旧国道18号に面するドライブインというか食堂で販売されている。思いつく範囲で新潟県の妙高高原駅や石川県の津幡駅など、全国各地の峠の駅で売られていたと思う、こしあんを使う小粒なあんころ餅が12個、四角い箱に収まる。包装紙にはめがね橋と碓氷峠を描いた。
熊ノ平駅は、かつて横川駅と軽井沢駅の間にあった駅。1893(明治26)年4月の両駅間の鉄道開業と同時に設置され、1906(明治39)年10月に駅へ昇格、1966(昭和41)年2月に信号場へ降格し、1997(平成9)年9月30日限りで路線とともに廃止された。実際にはアプト式鉄道の廃止とともに、1963(昭和38)年9月限りで止まる列車がなくなり、この峠の力餅は駅から道路へ移転した。
上記の商品「碓氷貞光の名物元祖力もち」の、18個入りバージョン。中身と味は同じだが、容器と包装紙が異なる。包装紙にはめがね橋と碓氷峠に加えて、富岡製糸場も描かれる。
1890年代、明治20年代に建設された石やレンガの橋やトンネルで、1963(昭和38)年9月に鉄道としての役割を終えた、かつて蒸気機関車や電気機関車が歯車の力で急勾配を上り下りした坂道は、1993(平成5)年8月に国の重要文化財に指定され、2001(平成13)年4月に約半分が当時の松井田町営の遊歩道「アプトの道」となった。この力餅の調製元は、アプトの道の途中の、すぐ近くにある。
2014(平成26)年までに上信越自動車道の横川サービスエリア(下り線)で発売か。NEXCO東日本(東日本高速道路株式会社)が管内のサービスエリアで売らせている「どら弁当(道楽弁当)」の一種。調製元はこのサービスエリアを営業する高崎弁当で、高崎駅の駅弁屋であり、この大きな市販の容器は高崎駅の駅弁でもよく見られる。中身は大きな掛紙の「お品書き」にあるとおり、舞茸ごはん、上州牛ステーキ、舞茸佃煮、ギンヒカリ(ニジマス)と粒こんにゃくのマヨネーズ和え、糸こんにゃくの梅和え、赤こんにゃく、黒こんにゃく、こんにゃく餅、ピクルス。
中央前橋駅から電車で約40分、または浅草駅から特急りょうもう号で約2時間。みどり市は桐生市とその周辺市町村との合併構想の破談により、2006年3月に新田郡笠懸町と山田郡大間々町と勢多郡東村のみで合併してできた、人口約5万人の市。赤城駅に駅弁はないが、下記のおにぎりが売店で売られていた。1928(昭和3)年11月10日開業、群馬県みどり市大間々町大間々。
訪問時の赤城駅のキオスク型売店「赤城のおみやげ(金子売店)」で、たくさん販売されていたおにぎり。中身はキノコと青のりを混ぜ込んだ御飯の握り飯が各1個に梅干し2個などの付合せという、容器も含めて飾りのない駅売り軽食。売店に「さんしょう しし茸 まい茸」と書いて垂らしており、キノコのおにぎりの中身はそれか。調製元は大間々の道の奥の山の中のうどん・そば屋さんで、この2種類の混ぜ御飯もうまいらしいので、出来立てを食べてみたいと思った。
上毛電気鉄道は群馬県内で中央前橋駅と西桐生駅との間、25.4kmを結ぶ私鉄。明治時代に絹などの工業化で栄えた北関東で、前橋と桐生を電気鉄道で現在のJR両毛線より速く短く結んだうえで、さらに伊勢崎や埼玉県の本荘に向けて路線を延伸しようとしたところで、昭和恐慌で頓挫した。
第二次大戦後は1968(昭和43)年9月の両毛線の電化によるスピードアップと、自家用車の保有率が全国一となったりバスのない市が出現するほどの群馬県での強力な自動車社会化の推進などにより、乗客は年間約1千万人から約160万人にまで激減した。1976(昭和51)年度から1997(平成9)年度まで運輸省の欠損補助、以後は群馬県と沿線市による上下分離方式での補助金により維持されている。鉄道開業当時の昭和初期の電気鉄道の諸設備の更新が滞るうちに貴重になり、2007(平成19)年7月には大胡駅の駅舎や変電所などが「上毛電気鉄道大胡駅電車庫」として文化庁の登録有形文化財に登録された。