上野駅から特急「草津」で約2時間半。長野原町は群馬県の北西部で吾妻川が流れる、人口約5千人の町。鉄鉱石輸送のため第二次大戦中に開業した貨物鉄道が、戦後に旅客化し草津温泉その他観光輸送のため電化され特急が走り、1991年には長野原の駅名に「草津口」を追加した。駅弁はないが、過去には駅のキヨスクで、現在は駅に隣接する公共施設で、駅弁のような地元の弁当が売られる。1945(昭和20)年1月2日開業、群馬県吾妻郡長野原町大字長野原。
2015(平成27)年の秋までに、長野原草津口駅の売店や長野原町内のドライブインで発売か。白飯を牛肉煮で覆い、しいたけ、いんげん、エリンギ、糸こんにゃく、紅生姜、たくわんを添える、商品名どおりのすき焼き弁当。上州牛の薄い牛肉煮にタレもその添付もなく、淡泊に過ぎる上質な風味を楽しむ。駅売店の撤去後は、駅の隣の公共施設「長野原・草津・六合 ステーション」でも販売。
2016(平成28)年の秋までに長野原町内のドライブインで発売か。白飯を鳥むね肉と鳥そぼろで覆い、グリーピースで彩り、こんにゃくと漬物を添える。赤城の鶏と山を描く掛紙も付き、見た目は立派な駅弁で、淡泊に過ぎる風味は駅弁にない感じ。調製元は長野原で駐車場付き観光売店を営む酒造業者で、駅売店の撤去後は駅の隣の公共施設「長野原・草津・六合 ステーション」でも販売。
上記の「上州牛すき焼き弁当」「鳥めし弁当」と同様に売られていた弁当。プラ容器に焼きそばを詰めただけ。駅弁のような要素を期待して一緒に買ってみたが、ただの惣菜だった。味はもちもちして、おいしかった。
公式な駅弁がもともとなく、非公式駅弁も消えた長野原草津口駅で買えた助六寿司。写真のとおり、ただの惣菜。コンビニではなくキヨスクで販売されていたので、ほんの少しだけ駅弁らしくはあるが、まあ駅弁とは見なせない。正四面体型のおいなりさんがかわいらしい。JRバスが発着するホームにはコンビニ型売店があり、そこでは「O−bento」を販売していた。今は駅にキヨスクがなく、この商品も消えた模様。
名湯・草津温泉へのアクセスは、昔は歩き、大正時代に軽井沢と草津を結ぶ軽便鉄道が開通し、昭和に入ると上越線渋川駅からバスが走った。戦後は長野原で鉄道とバスを乗り継ぐルートが主流となったが、軽井沢と草津を結ぶ路線バス、あるいはマイカーや貸切バスに侵食されていく。
1991年に長野原駅を「長野原草津口」に改称したのは、鉄道の挽回を図ったのだろうか。今は新宿ともバスで結ばれ、長野新幹線の開業で軽井沢経由が便利になり、高くて遅くて本数が少なくて、訪問当時はエレベーターもエスカレーターもなく乗換が大変な長野原乗換ルートは、むしろ裏口と化しているかもしれない。
※2018年10月補訂:終売を追記草津温泉の玄関口である、JR吾妻線の長野原草津口駅で販売されていた、知られざる非公式駅弁。ふたも本体も陶製の釜型容器を使用、他の多くの釜飯駅弁と同様、長方形の掛紙をかけて割りばしごとビニールひもでしばる。中身も正に釜飯駅弁で、茶飯の上に鶏肉と大きな椎茸やタケノコに栗やゴボウや山クラゲなどを載せる。上野から毎日4本以上の特急が乗り入れるのに、なぜか公式な駅弁が存在したことのない長野原駅(1991年から長野原草津口駅)で、駅弁として立派にその役割を果たしていたと思う。
吾妻線は鉄鉱石輸送の目的で、終戦間近な1945(昭和20)年1月に貨物線で開業、終戦後に旅客輸送を開始した。日本三大温泉の選定の多くにその名を記し、自然噴出量日本一を誇る草津温泉へのメインルートとして、1967(昭和42)年には電化、1971(昭和46)年には臨時ながら特急列車「白根」が乗り入れるなど、幹線に準じる路線として成長した。その岩島駅と川原湯温泉駅の間にある日本一短いトンネル「樽沢トンネル」(7.2m)は、川原湯温泉を湖底に沈める八ッ場ダムの建設により失われる予定。
この駅弁は2005年頃の売店閉店により失われた模様。
※2005年11月補訂:終売を追記