東京駅から新幹線で約40分、在来線で約80分。熊谷市は埼玉県の北部にある、人口約19万人の宿場町。先史時代からこの地域に有力者がいたと考えられ、江戸時代に中山道の宿場町が置かれ、明治時代にはいち早く鉄道が通じ、ここが駅弁の発祥地だという説もある。駅弁は明治時代の早くから売られ、昭和時代に2社が競ったが、1990年代にいずれも撤退、その後しばらく週末に横川駅弁「峠の釜めし」が売られた。1883(明治16)年7月28日開業、埼玉県熊谷市筑波二丁目。
1970年代、昭和50年前後のものと思われる、昔の熊谷駅弁の掛紙。栗飯や炊込飯でなく、茶飯にクリとおかずを添える駅弁だったらしい。掛紙にクリと秩父連峰を描く。昭和時代までの熊谷駅では、昭和時代まで大盛商店と秋山亭の2社の駅弁屋がいたが、秋山亭は普通弁当のみの販売だったようで、熊谷駅の駅弁をひとつ挙げるとしたらこの栗めしだった。いずれも1990(平成2)年頃か1995(平成7)年頃に撤退。
1944(昭和19)年9月不明日9時の調製と思われる、昔の熊谷駅弁の掛紙。20銭の価格が30銭に訂正されており、1944(昭和19)年8月の駅弁の寿司の20銭から30銭への値上げが反映されたように見える。この時代の駅弁掛紙なのに、戦時に関する記載をまったく持たない、希有なものだと思う。
1940(昭和15)年5月26日19時の調製と思われる、昔の熊谷駅弁の掛紙。今も埼玉の観光名所である、長瀞と熊谷桜堤を描く。
1940(昭和15)年5月26日21時の調製と思われる、昔の熊谷駅弁の掛紙。月や山や鳥や笹に見える絵柄は、何を表しているのだろうか。
1936(昭和11)年2月11日12時の調製と思われる、昔の熊谷駅弁の掛紙。収集者は昭和9年11月2日の調製とみなし、掛紙にそう書き入れた。鉄道省の東京鉄道局管内の各社で共通の掛紙に、調製元の印を押して使う。当時の駅売り名物とその価格がちりばめられる史料である。熊谷駅は今も埼玉銘菓の五家宝とある。
1932(昭和7)年10月26日の調製と思われる、昔の熊谷駅弁の掛紙。熊谷寺、熊谷堤の桜、池亭、上岡観音を名所として紹介、掛紙の絵柄はそのいずれかにちなむものか。調製元の清水とは、1907(明治40)年から熊谷駅で弁当類を販売し、後に大盛商店となった清水藤左衛門のことか。
1922(大正11)年の調製と思われる、昔の熊谷駅弁の掛紙。同年に上野公園で開催された平和記念東京博覧会で英国の皇太子殿下が来日されたことを記念して、全国各地の駅弁屋が同じデザインの記念掛紙を使用したもの。周囲に日本と英国の国旗を配し、右に駅弁の名前、左下に調製元、下部に日英の歓迎文、上部の2枠は広告枠。
熊谷駅は全国最古の駅弁販売駅という説もあり、国鉄時代まで大盛商店と秋山亭の2社の駅弁屋が競った熊谷駅だが、両社の撤退により現在は駅弁のない駅となっている。