千葉駅から電車で約25分。大網白里市は千葉県の中部で太平洋に面した、人口約5万人の市。九十九里の平地と下総の台地を持ち、江戸時代に六斎市が立ち、かつてはイワシ漁が盛んで、今は海水浴や合宿向けの民宿に通勤客向けの住宅が立地。1972(昭和47)年5月まで房総半島方面の列車が進行方向を変える駅であり、駅弁は1902(明治35)年から1990年代まで売られた。1896(明治29)年1月20日開業、千葉県大網白里市南玉。
1974(昭和49)年8月11日11時の調製と思われる、昔の大網駅弁の掛紙。この名前と価格と絵柄なら、普通駅弁の助六寿司だろう。調製元の所在地は移転前の大網駅から徒歩30秒くらいか。1972(昭和47)年5月に駅が現在地へ移転し、徒歩10分くらいになり、営業には不便になったのではないかと思う。大網駅の駅弁の掛紙は、下記の上等御辨當を除き、あまり残されていないのか、主力の鶏飯を含め、実物を見る機会がほとんどない。
大正時代のものと思われる、昔の大網駅弁の掛紙。現在のJR東金線が1911(明治44)年11月に成東駅まで全通したことと、1917(大正6)年頃から1922(大正11)年頃までの駅弁掛紙の一部に特徴的な意見等記入欄があることから。ただし、この掛紙は妙に多く出回っていると思う。調製印などの使用感がないところも気になる。
1972(昭和47)年5月までの大網駅は、現在の東金線のホームより少し先、東金駅寄りにあり、外房線の列車はここで進行方向を変えていた。つまり列車の停車時間が長めであり、駅弁が売れたのだろう。「東金、成東、銚子方面乗かへ」の文字がある。調製元の富田屋は1990年代まで「とり御飯」などの駅弁をここで販売していた。