千葉駅から内房線の電車を乗り継いで約2時間。館山市は千葉県で房総半島の南端部に位置する、人口約4万人の城下町。戦国時代に里見氏の城下町ができ、昭和時代に海軍の航空隊や学校が置かれる軍都となり、第二次大戦後は漁業に海水浴などの観光や航空自衛隊の街。駅弁は大正時代の駅開業時からあったようだが1997年頃に撤退、のちに駅のテナントが売る弁当が駅弁と紹介されるようになった。1919(大正8)年5月24日開業、千葉県館山市北条。
2001(平成13)年に発売された、関東地方では稀な非公式駅弁。近辺の公式な駅弁より駅弁らしく見える、経木枠の長方形の容器を使う。これに経木のふたをして輪ゴムで留め、近年では珍しくCGの香りがしない、商品名とクジラのイラストを描いた掛紙を巻き、セロハンテープで留める。
中身は白御飯の上を、クジラの大和煮と2種類のそぼろに炒り卵で覆い、ごぼうと柴漬けと紅生姜を少々添えるもの。掛紙記載「貴重な味わい」のとおり、クジラ丼と呼べる駅弁は21世紀では、これの他に新宮駅「南紀くじら弁当」(終売)と長崎駅「ながさき鯨カツ弁当」しか思い当たらない。少々の臭みはあるが、肉の柔らかさと分量は駅弁で日本一だろう。JRの子会社と老舗の駅弁屋が駅弁を支配する関東地方で、地元業者が弁当1品で食い込む姿も貴重である。一日あたり30個の注文販売。2019年には姉妹品「くじら弁当竜田揚げ」が誕生し、これは一日20個の注文販売。価格は2001年の発売時や2016年の購入時で1,000円、2021年時点で1,100円。
クジラ漁、捕鯨(ほげい)はかつて、19世紀までの欧米経済や第二次大戦後の国内産業を支えた。しかし第二次大戦後に発足した国際捕鯨委員会(IWC)は、1970年代にクジラ資源の保護管理から反捕鯨活動へ舵を切り、1982(昭和57)年には商業捕鯨のモラトリアム(一時停止)を可決した。日本など4捕鯨国はこれに異議を申し立てたが、1986(昭和61)年には中曽根内閣がアメリカに配慮し申立を取り下げ、さらに国内規制を追加した。
これによりクジラ漁は調査捕鯨と呼ばれた科学調査に限られ、日本の捕鯨産業は壊滅した。館山を含めた房総半島各地には江戸時代から沿岸捕鯨の歴史が残り、第二次大戦後は館山の東方約15km先に位置する和田に捕鯨基地が設けられたが、モラトリアム以後は年間100頭程度の沿岸小型捕鯨が、ここと北海道の網走、函館、宮城県の鮎川、和歌山県の太地のみで実施された。日本は2019年6月限りでIWCを脱退、排他的経済水域(いわゆる200カイリ)での商業捕鯨が再開されたが、見た目では捕鯨産業もクジラの提供や販売も、当時と変わりないように見える。クジラの駅弁も「貴重な味わい」のまま。
※2022年4月補訂:値上げなどを追記2020(令和2)年3月11日に購入した、館山駅弁の掛紙。下記の2012年や 上記の2016年のものと、何も変わらない。
2012(平成24)年3月16日に購入した、館山駅弁の掛紙。下記の2007年のものと比べて、「館山名物」の表記が「房州名物」に差し替えられている。なぜだろうか。
2007(平成19)年4月7日に購入した、館山駅弁の掛紙。現在と、そしておそらく発売当時から、変わらないデザインの掛紙で、変わらない中身だと思う。