新大阪駅から特急列車「くろしお」で約4時間、または名古屋駅から特急列車「南紀」で約3時間半。新宮市は紀伊半島の南部、和歌山県の東端で太平洋に面した、人口約3万人の門前町。熊野速玉神社や世界文化遺産の熊野古道を持つ観光地であり、熊野川に面した商工業都市で、JR東海とJR西日本の紀勢本線が接続する鉄道のターミナル。駅弁は駅舎内の駅そば屋で販売されたが、2013年の秋に閉店した。1913(大正2)年3月1日開業、和歌山県新宮市徐福二丁目。
新宮駅のキヨスクで買えたハンバーガー。店舗には「おいしいよ!サンタのパン」という掲示もあったので、地元で知られたり親しまれるパン屋さんの製品なのだろうか。勝浦産まぐろを使うという、バンズにマグロカツと千切りキャベツを挟んだハンバーガー。食べればスーパーで売っている白身魚フライのサンドイッチのようなもの。駅弁が消え、合わせて立ち食いそば店も消え、駅前も静まる新宮駅で、地元の食べ物が買えるのは貴重だと思った。調製元は紀伊勝浦駅から徒歩10分のベーカリー。
新宮駅のキヨスクで買えたサンドイッチ。クッキーのように薄く層状になったパンに、タマゴを挟んだサンドと「勝浦産ビンチョウまぐろ缶詰使用」というツナサンドを、4切れずつ交互に詰める。見た目と分量そして具は普通のサンドイッチなのに、このパンのおかげで他に思い当たらない食べ物になった気がする。贅沢を言えば、駅弁のような箱入りサンドイッチにならないかと思った。
陶製の釜飯形の容器に、商品名を書いたシールを貼ったプラ製のふたをして、和紙風の風呂敷で包む。中身は茶飯の上をクジラの竜田揚2切れと焼肉1切れで覆い、レンコン梅肉和えなどを添えるもの。クジラの臭みがほのかに出るため客を選ぶと思うが、内容では駅弁として抜群に個性的。2013年の秋に調製元が廃業、この駅弁も買えなくなった。
※2014年4月補訂:終売を追記2008(平成20)年の3月21日または5月に発売。下記の駅弁「太刀魚鮨」に使われる杉箱を使用、これに食品表示ラベルを貼り、商品名と駅弁マークと背景しかないインクジェット印刷の掛紙を巻き、ゴムで留める。中身は「めはり寿し」と「鯖寿し」のドッキングだそうで、塩と酢で2日間漬けたサバのバッテラを高菜で巻いてスライスした、サバのめはりずしが1本横たわるもの。中身に少々、容器になかなかの上質感があるので、旅先で偶然に買われたら印象が良いと思う。容器は何に活用しようか。2013年の秋までに調製元の廃業により終売となった模様。
※2014年4月補訂:終売を追記全国で唯一のタチウオ駅弁。杉材の頑丈な長方形の容器に金色と赤色の紙を巻き、駅弁の名前を書いたしおりと駅弁マークと県産品推せんシールを貼り、ひもで十字にしばる。中身は昆布をまとった小さなタチウオ棒寿司が6分割されて入るもの。その淡泊な風味ではなく、珍しさや杉材容器の香りを楽しむものかと。
通常は予約制で、しかも寿司にできる新鮮な材料が入らないと作らないそうで、確実な入手は困難。しかも販売箇所が交通不便な紀伊半島の南端ということもあり、その点でも購入が難しい駅弁。そのため、駅弁紹介本にはよく出ているが、収穫報告は少ない。2013年の秋に調製元が廃業、この駅弁も買えなくなった。
※2014年4月補訂:終売を追記2007(平成19)年1月の京王百貨店の駅弁大会でひっそりと販売された、新宮駅の駅弁「さんま鮨」の記念版。通常は「太刀魚鮨」で使う木箱に、三重県遊木港産サンマを背開きにした肉厚で輝く棒寿司を、8切れにカットして詰める。通常版より明らかに見栄えがするし、サンマの分量も風味も数段上で、価格はわずか220円増し。もし併売されていたら、確実にこちらを買うべき。2013年の秋に調製元が廃業、この駅弁も買えなくなった。
ところで、販売50周年の起算点がよく分からない。公式には駅弁販売開始50周年とされるが、通常版さんま鮨の紙箱に書かれる1949(昭和24)年の春から数えると58年となり、会社設立の1964(昭和39)年から数えると43年。駅弁屋や駅弁の発売年月日は、少なくとも戦後においては旧国鉄や国鉄構内営業中央会が把握しているはずだが、部外者が入手できるほとんどの駅弁資料で無視されており、運良く発売当時の記事に出会えない限り、調べるのは困難である。
※2014年4月補訂:終売を追記1990年代半ばの国際会議が紛糾した頃に比べると、鯨肉は比較的入手が容易になったとはいえ、捕獲制限のために鯨はすっかり高級食材。真っ赤な手提げのひもが付いた円形の容器の中身は、御飯の上に小ぶりな鯨の竜田揚げがひとつとステーキが2切れ載り、白身魚や錦糸卵や鯨の佃煮が取り囲む。「クジラ料理を伝える会」の推薦品。通販対応商品で、冬場の大規模な駅弁大会でも見かける顔。輸送版と現地版で内容は変わらないが、現地のもののほうが鯨肉が軟らかく、より癖のある感じを受けた。2004年度JR西日本「駅弁の達人」対象駅弁。2013年の秋に調製元が廃業、この駅弁も買えなくなった。
※2014年4月補訂:終売を追記2003(平成15)年11月に発売か。柳行李風とされるしなやかな竹皮製容器に、新緑色の掛紙をかけ深緑色の輪ゴムでしばる。内容は御飯に高菜または和歌山の黒米の古代米を混ぜたおにぎりが四個、おかずに和歌山のまぐろ煮付、三重の地鶏蒸し、奈良のあまご煮など、吉野熊野の特産品を盛り込んだという。どう見ても御飯だらけで、しかしおかずの味付けが濃いので、全体の分量も含め過不足ない感じ。2004年度JR西日本「駅弁の達人」対象駅弁。2013年の秋に調製元が廃業、この駅弁も買えなくなった。
2004年7月に世界遺産へ指定された熊野は著名な観光資源であるが、交通の便が悪すぎることで観光客数は伸びないという。その立地や地形で県内に空港や道路や鉄道といった高速交通網の整備が進展しないことに同情はするが、その交通の不便さにより守られている魅力があるとは思う。
※2014年4月補訂:終売を追記正方形の紙箱の中には、円形のひもを引っ張ると容器が暖まる加熱機能付き容器が収まる。その中身は白飯にサンマの蒲焼きが錦糸卵をベッドに敷き詰められるだけシンプルな駅弁。一日10個しか作られないそうなので、確実に味わってみたい場合はホームページで注文し発送してもらうとよい。2013年の秋に調製元が廃業、この駅弁も買えなくなった。
※2014年4月補訂:終売を追記楕円形の容器を、商品名を書いた掛紙で包み、赤いひもでしばる。中身は混ぜ御飯を、マグロの照焼、エビ、たこ、タケノコ、錦糸卵などで覆うもの。しかし生鮪(まぐろ)は小さな照焼とわずかの皮、まぜごはんには酢飯に数個のニンジンのかけらがあるだけ。これより安く個性的な駅弁のある新宮駅で、この駅弁を選ぶ理由を見いだせない。公式サイト等の情報によると、南紀地方で冠婚葬祭等の際につくられる郷土料理だとのことで、掛紙にその一文でもあれば良かったかもしれない。2013年の秋までに、調製元の廃業により終売となった模様。
※2014年4月補訂:終売を追記1959(昭和34)年の発売か。しそ、ごま、高菜を混ぜた酢飯を、高菜で目張りする。本来のめはりずしは、酢飯を使わないことがあったり、食べるときに目を見張るほど大きいらしいが、駅弁では酢飯の一口サイズ。細長い紙製長方形の容器の中に、プラスティックのトレーが入り、めはりずしが整然と5個並んで620円。小腹を満たすつもりで購入すると、御飯なので意外に腹持ちがすることになる。2013年の秋に調製元が廃業、この駅弁も買えなくなった。
新宮駅や紀伊勝浦駅では、「めはり寿し」を買うと「さんま鮨」の解説があり、「さんま鮨」を買うと「めはり寿し」の解説が読めた。かつて大阪の新大阪駅や天王寺駅から、新宮駅やその先までの夜行の普通列車が運行されていた頃、新宮駅ではその列車が到着する朝5時過ぎ立ち食いそば店が営業していて、そこで食べた蕎麦はうまかった。
※2014年4月補訂:終売を追記菓子の土産物でも入っていそうな、真っ白で平たい長方形のボール紙容器に、なんと15年前になくなったはずの「国鉄構内営業中央会々員」と書かれた古風な掛紙をかけて、ビニールのひもでしばる。中身は新宮駅弁名物めはりずしが2個と、椎茸と錦糸卵と鶏そぼろが載った椎茸飯に、鮪や玉子焼や蒲鉾などのおかずが少々と、酢ワカメなどの付け合わせ。価格はやや高めだが風味は良く、飾り気のない素朴な雰囲気があふれている。2013年の秋までに調製元の廃業により終売となった模様。
※2014年4月補訂:終売を追記扁平な八角形の経木枠の容器を、南紀の名所を描いた掛紙で包む。中身は厚みのある俵飯とトレーに入ったおかずの各種という、いわゆる幕の内弁当。質量ともに充分な、良い駅弁。2013年の秋までに調製元の廃業により終売となった模様。
※2014年4月補訂:終売を追記パッケージの記述によると1949(昭和24)年には駅弁として存在していたというが、一方で1957(昭和32)年や1978(昭和53)年頃の発売という文献もあり、いずれにせよ全国的に珍しいサンマ寿司の駅弁。腹から開いたサンマを棒寿司風にして一口サイズにカット、それを小ぶりな容器に5個並べる。冬場は生のサンマを使用したとか。2013年の秋に調製元が廃業、この駅弁も買えなくなった。
※2014年4月補訂:終売を追記1990年代の、3月13日8時の調製と思われる、昔の新宮駅弁の紙箱。そのデザインは上記の後の物と何ら変わるところはないが、リサイクル識別表示や調製元公式サイトのURLがないような、時代を反映した小変化は見て取れる。この当時は新宮駅に加え、紀伊勝浦駅と熊野市駅でもこの駅弁が売られていたことがわかる。
昭和50年代、1980年前後の、9月23日13時の調製と思われる、昔の新宮駅弁の紙箱。「祝紀勢本線電化・特急増発(和歌山−新宮)のシールが貼られ、それは1978(昭和53)年10月の出来事なので、この掛紙もきっと同年のものだろう。昭和時代の著名な観光地であり、プロペラ船のちウォータージェット船に観光バスの団体客が押し寄せた瀞峡(どろきょう)の風景を描く。
水深が浅く動力船が入れない、しかし地形が険しく鉄道や車道を通せなかった熊野川では、飛行機のプロペラを積んで走る舟が大正時代に出現、昭和30年代に国道が整備されるまで地域の足として新宮と沿岸を結び、以後はウォータージェット船に置き換えられて北山川で観光客の乗り物として活躍した。