上野駅から電車で10分。現在の東海道本線と東北本線を結ぶために1885(明治18)年に設けられた駅では、1899(明治32)年頃から1991(平成3)年まで稲荷寿司などの駅弁が売られた。駅はその後の高架化で姿を変え、面影も記憶もなくなったように見える。1885(明治18)年3月1日開業、東京都北区赤羽一丁目。
1939(昭和14)年10月18日19時の調製と思われる、昔の赤羽駅弁の掛紙。下記の1935年11月の津々井のものと同じく、こちらにも川と橋と汽車が、おそらく東北本線の荒川橋梁を渡る列車の姿が描かれる。
1935(昭和10)年11月10日8時の調製と思われる、昔の赤羽駅弁の掛紙。橋梁を汽車が渡るのは、当時の東北本線の荒川橋梁の姿か。1929(昭和4)年の二代目橋梁での複々線化から昭和30年代まで、このような光景が見られたはず。
1930(昭和5)年9月27日正午の調製と思われる、昔の赤羽駅弁の掛紙。「山手線電車接続点」の赤文字がある。山手線はもともと、後の東海道本線と東北本線を結ぶため、1885(明治18)年3月に品川駅と赤羽駅の間で開業した路線。1909(明治42)年12月の電化で電車が走り始め、1919(大正8)年3月に中野駅から上野駅までの「の」の字運転の開始により、池袋駅と赤羽駅との間での折返し運転となる。1972(昭和47)年7月に池袋駅から赤羽駅までの区間に「赤羽線」の線路名称を制定、1985(昭和60)年9月の池袋駅から武蔵浦和駅を経て大宮駅までの通勤新線の開業で、路線愛称「埼京線」の一部となった。
1929(昭和4)年11月16日5時の調製と思われる、昔の赤羽駅弁の掛紙。上記の掛紙「サンドウヰツチ」の色違いで、不思議と欄外の注意書きの右と左が入れ替わる。赤羽駅では1899(明治32)年頃から都家と津々井の両店が構内営業を開設、1951(昭和26)年5月に合併し赤羽食品となり、1991(平成3)年まで駅弁が売られた。