立川駅開設百年と立川市制五十周年を記念して1988(昭和63)年に発売され、1999(平成11)年9月まで立川駅で販売されていた「多摩辨」が、ファンの要望により2002(平成14)年3月1日に「復刻立川駅多摩辨」として蘇ったもの。調製は東京の日本レストランエンタプライズ(NRE)が行うが、販売はかつて立川駅の駅弁屋だった中村亭が行う。
八角形の容器に、明治36年頃の立川駅前の茶屋を描いたボール紙のふたをする。中身は白御飯と赤飯の紅白おにぎり、玉子焼・蒲鉾・焼き魚の幕の内駅弁「三種の神器」に、コンニャクや里芋などの煮物。当時は東京駅で850円でうまくない幕の内弁当を売ったNREが、ここでは850円でこんなにおいしい駅弁を作れたのが不思議。
2011(平成23)年時点で、立川駅での駅弁の販売は終了した模様。この駅弁もすでに買えないものと思われる。
※2011年2月補訂:終売可能性を追記「さわやか新撰組弁当」に続くJR東日本八王子支社駅弁の第二弾として、2005(平成17)年2月25日に新宿、三鷹、立川、八王子、甲府の各駅で発売。漆塗り木箱のような色とつやを持つ容器を重ねて、駅弁の名前を書いた紙帯をかける。中身は下段が梅付き白御飯、上段が焼鮭や玉子焼や菜の花に煮物や山菜の各種にゆずわらびもちなどで、多摩地方にちなんだりこじつけた食材が入る。和のテイストがあるうえに、容器の質感も加わり、千円分の風味が十分に味わえる。
東京都の多摩地方では、立川駅や八王子駅と高尾駅に昔からの駅弁屋がいたが、立川駅の駅弁屋は調製から、八王子駅と高尾駅の駅弁屋は販売からも撤退し、いずれも東京駅の駅弁が売られる駅となった。そのために消えたオリジナルの駅弁を、JRが音頭を取り開発し始めたもの。駅弁屋の力不足なのか土地柄か、千葉や横浜には存在する東京近郊の駅弁は、埼玉や多摩の方面にない。
2011(平成23)年時点で、立川駅での駅弁の販売は終了した模様。この駅弁もすでに買えないものと思われる。
※2011年2月補訂:終売を追記1977(昭和52)年6月5日6時の調製と思われる、昔の立川駅弁の掛紙。鮎寿司は古くからの立川駅弁の名物であり、古くは多摩川の、この頃には相模川のアユを使う姿寿司だった。1985(昭和60)年頃まで販売。
1976(昭和51)年11月21日6時の調製と思われる、昔の立川駅弁の掛紙。立川駅弁の鱒寿司は1953(昭和28)年の発売。当初は多摩川の天然物を使う姿寿司で、のち東京都の日野や奥多摩の養鱒場のものを使う押寿司となり、昭和時代中期の駅弁紹介本で立川駅弁の筆頭に挙げる名物だった。1985(昭和60)年頃まで販売。
1976(昭和51)年11月21日6時の調製と思われる、昔の立川駅弁の掛紙。当時の中央本線では、八王子駅にはすべての特急や急行が停まる一方で、立川駅には新宿駅〜甲府駅の急行「かいじ」2往復と、これに併結される富士急行直通の急行「かわぐち」1往復しか停まらないような駅だった。