東京の鉄道ターミナルのひとつ。19世紀の末に甲州街道の宿場町のはずれにできた小さな駅は、20世紀に入ると東京の西の玄関口となり、私鉄や地下鉄が次々に乗り入れ、利用者数で世界一の駅になるまでに発展した。1897(明治30)年頃から1991(平成3)年まで新宿駅の駅弁があり、以後は東京駅と同じ駅弁が売られる。1885(明治18)年3月1日開業、東京都新宿区新宿3丁目。
東京都亀戸で1905(明治38)年に酒店で創業し、1945(昭和20)年に割烹料理屋となった升本が、東京都内のデパートや駅ビルで販売するお弁当。正六角形の折箱に巻く掛紙には屋号と紋が描かれ、食品表示ラベルに商品名「すみだ川(あさり炊き込み飯)弁当」があった。中身は同店の看板メニューのひとつ「あさり鍋」を弁当にしたもので、アサリの御飯、サトイモや椎茸などの煮物、サワラの香味焼き、鶏つくね、アイガモ煮、ホタテ煮、牛肉巻、玉子焼などと、亀辛麹(かめからこうじ)なる超激辛のペースト。塩味がきつくも、おかずが豊かな折詰。
これが駅弁と紹介されることはないと思うが、駅弁の定義がゆるい東京のテレビのバラエティ番組では東京の駅弁と紹介されたことがあるようで、2015年12月26日放送のテレビ東京「出没!アド街ック天国」で3人の食通が選ぶ東京駅駅弁ランキング第1位のひとつに選ばれたらしい。たしかに過去には、東京駅などのキヨスクの弁当店「膳まい」で見た気がする。これがJR東日本の駅弁キャンペーン「駅弁味の陣2021」では、新宿駅の駅弁「すみだ川あさり飯」としてエントリーされ驚いた。新宿では伊勢丹と小田急と高島屋のデパ地下で売られ、これもそこで買えたが、新宿駅の駅弁売店ではついに出会えずじまい。話題に挙がることもなかった、謎のエントリー。
2017(平成29)年秋のリニューアル。2003(平成15)年6月発売の「新宿弁當」について、調製元を東京駅弁のNRE(日本レストランエンタプライズ)から小淵沢駅弁の丸政に変え、内容から新宿駅弁で伝統の「鳥めし」を廃した。角張った正方形の容器を包む掛紙の絵柄は、「新宿弁當」の発売当時を思わせる錦絵に戻った。
中身は白飯に鮭の味噌焼と小梅を載せ、ソースかつ、炭火牛焼肉、シイタケやサトイモやニンジンなどの煮物、かまぼこ、玉子焼、甲州煮、野沢菜炒め、巨峰寒天餅。新宿でなくなり、甲州や信州になった。かつての鳥めしの雰囲気は消え、とても肉々しい感じ。
2020(令和2)年10月26日に購入した、新宿駅弁の掛紙。名前は「135周年記念新宿弁当」とも。新宿駅の開業135周年を記念して、同年の2月16日に発売。掛紙にはJR時代の新宿駅に発着した様々な列車の顔で亀甲文様、裏面で今の新宿駅員の仕事をアピール。中身は通常版とほとんど同じで、甘味を「JR SHINJUKU STATION SINCE 1885 135th」と印字したハチミツ饅頭に差し替え、150円増しで販売した。4〜6月はなぜか休売、通常版も併売。
2018(平成30)年9月16日に購入した、新宿駅弁の掛紙。上の半年前と何も変わらない。掛紙に「内藤とうがらし」のシールを貼り付けるようになり、今回は絵柄の一部を食品表示ラベルで隠してしまった。
2018(平成30)年12月21日に購入した、新宿駅弁の掛紙。絵柄は上の3か月前や11か月前と同じだが、どうも食品表示ラベルの収まりが悪い。
2003(平成15)年6月11日に発売。これは2009(平成21)年時点の姿。長方形の容器に同じ木目柄と素材でふたをして、中央本線の沿線にちなんだイラストや駅名を描いた掛紙を巻く。中身はおしながきの表現を借りると、とりそぼろご飯、山うどしょうゆ漬け、三色こんにゃくの肉味噌のせ、山里の煮物、マスの信州味噌焼、黒冨士鶏のつくね、舞茸の天ぷら、野沢菜漬、ワインくずもち。コンセプトと価格を変えないまま、味はもちろん見栄えについてグレードアップが図られた。2017(平成29)年の秋に調製元を替えて、こちらは終売。
※2018年6月補訂:終売を追記上記の駅弁「新宿弁當」の、2003(平成15)年6月の発売当時の姿。正方形の経木枠の容器に紙のふたをかけて、開業当時の錦絵を印刷した掛紙をかける。中身は玉子そぼろと少量の鶏そぼろが載った御飯に煮貝やさくら肉など中央線沿線の食材のおかずを詰めるもの。駅弁の名前から新宿駅限定発売と思わせておいて、「中央線限定」の記述があるとおり、吉祥寺や甲府での発売もあった。
2018(平成30)年1月の京王百貨店の駅弁大会で販売。2017(平成29)年9月にデビューした京王電鉄の新型電車「5000系」を容器に使う駅弁。電車を模した細長い陶器に、ケチャップライスを詰め、オムレツ、ハンバーグ、海老フライ、ポテトフライ、ブロッコリーで覆ったボール紙のトレーを詰める。まるで冷凍食品を多用したようなお子様ランチな中身はどうでもよく、容器を目当てに買われた商品だろう。
陶器を収めたボール紙の箱には、電車の写真やイラストが多用される。下記の9000系弁当と、つくりはほとんど同じで、やはり新宿駅のどこへ行けば買えるのか分からない。どうも京王百貨店の新宿店で日本最大級の駅弁大会を開催している期間だけ、その催事場と新宿駅のどこかで買える模様。
京王電鉄5000系電車は、首都圏の電鉄では東武鉄道や西武鉄道に続き、横向きの座席を前向きにできる機構を採用。普段は運賃のみで乗れる通勤電車として走り、2018(平成30)年2月から夜には座席指定券が必要な全車指定席の列車「京王ライナー」として走る。
2015(平成27)年1月の京王百貨店の駅弁大会で販売。会期とともに発売し、会期とともに終売で、販売期間中は京王電鉄新宿駅の売店にも置かれた模様。発売は京王百貨店駅弁大会50回記念の一環だと思う。調製元はJR小田原駅の駅弁屋であるが、その名前は小田急の新宿駅の売店でもよく見掛ける。
京王電鉄9000系電車を模した陶器に、チキンライスを鶏唐揚、オムレツ、ハンバーグ、ウインナー、ポテトフライで覆ったボール紙のトレーを詰める。まるで冷凍食品を多用したようなお子様ランチな中身はどうでもよく、容器を目当てに買われた商品だろう。陶器を収めたボール紙の箱には、電車の写真やイラストが多用される。
京王電鉄は、東京都と神奈川県に6路線84.7kmの路線を持つ鉄道会社。東京と八王子を結ぶから、京王である。高尾山や多摩動物公園や東京競馬場などの行楽地を沿線に持つが、車両は2001(平成13)年1月デビューのこの9000系を含めてすべて通勤電車で、列車も新幹線や有料特急があるわけではない都市鉄道。駅弁を買って食べるどころか、車内での飲食もはばかられる。
この駅弁は発売以降、毎年1月の京王百貨店の駅弁大会で販売される。新宿駅のどこへ行けば買えるのか分からない。
東京の浅草で1900(明治33)年に創業した老舗の弁当屋が、言い替えるとJR東日本の子会社の子会社で都内などのデパートに入居する弁当チェーン店が、毎年5月1〜5日頃に販売する期間限定商品。端午の節句なので兜を描いた掛紙を使用、二段重ねの容器の下段に煮物やちらし寿司や笹寿司や柏餅、上段にブリ照焼や焼合鴨や有頭海老や黒豆やきんぴらなどを詰めていた。味は必然的にNRE(日本レストランエンタプライズ)の東京駅弁と同じ。食品表示ラベルの形式も同じもの。
新宿駅の駅弁売店で買えた箱入りサンドイッチ。東京都内のスーパーマーケットである紀ノ国屋が、「かつサンド」「鹿児島県産黒豚メンチかつサンド」に続く自社製かつサンド第3弾として、2019(平成31)年2月に発売した商品。カツサンドソースとタルタルソースを片面ずつに塗ったえびカツを、耳なし食パンに挟んで3切れ、袋に包装したうえでエビ色の紙箱に収める。
駅弁として意識して買われる商品ではないが、駅弁売店で買えるのは新宿駅だけのように見える。1953(昭和28)年に東京都青山で全国初のスーパーマーケットを開店したことで知られる高級スーパーのKINOKUNIYA(紀ノ国屋)は、2010(平成22)年からJR東日本の完全子会社。
新宿駅の駅弁売店で買えた箱入りサンドイッチ。東京都内のスーパーマーケットである紀ノ国屋の自社製かつサンドとして、2017(平成29)年9月に発売した商品。トンカツを耳なし食パンに挟んで3切れ、袋に包装したうえで白い紙箱に収める。国産豚肉、リッチミルクブレッド(パン)、パン粉、とんかつソースにこだわった製品だそうな。駅弁として意識して買われる商品ではないが、駅弁売店で買えるのは新宿駅だけのように見える。
2018(平成30)年8月22日に東京駅の駅弁売店「駅弁屋 祭」での実演販売でデビュー。新宿駅の駅弁に見えるが、本来の調製元は山梨県は小淵沢駅の駅弁屋であり、山梨でなく東京都内の各駅で売られる模様。白御飯を牛肉煮で覆い、玉子焼、しいたけ、にんじん、大根漬を添える内容は、全国にありふれた牛肉駅弁。味は小淵沢駅弁の焼肉弁当と同じ。肉に1個載せた唐辛子が、江戸時代の現在の東京都新宿あたりでの特産品「内藤とうがらし」だという。2019年までの販売か。2021年の阪神百貨店の駅弁大会には出現。
※2022年4月補訂:現況を追記新宿駅の駅ビルにできたお笑い専門劇場「ルミネtheよしもと」の開設3周年を記念して、2004(平成16)年4月27日から5月31日まで、新宿・東京・上野・大宮・品川の各駅のNRE駅弁売店で発売された記念駅弁。
ドーナツでも入っていそうなボール紙のパッケージの中に、チキンライス・焼きそば・玉子サラダのパックがひとつずつ入り、東京と福岡のどちらの銘菓かで争われる饅頭「ひよこ」も付いている。内容の割にえらく高額だが、吉本興業のパテントと後述の鑑賞券代が積まれたのだろう。
チキンライスに玉子焼を載せたオムライスと、焼きそばに玉子焼を載せた「オムソバ」の「オム」ふたつがバスケットに入って「オムニバス」だという。鑑賞券が当たるくじと「ルミネtheよしもと」登場芸人のカードが一枚ずつ入る。普段は駅弁を絶対に買わないであろう層だけに向けられた、珍しいタイプの駅弁。
新宿駅の駅ビルにできたお笑い専門劇場「ルミネtheよしもと」の開設3周年を記念して、2004(平成16)年4月27日から5月31日まで、新宿・東京・上野・大宮・品川の各駅のNRE駅弁売店で発売された記念駅弁。
こちらは正方形のボール紙容器に16分割トレーが入り、その個々に食材が入る駅弁らしい風体だが、なんとその中身でしりとりができるという恐ろしいもの。ふたの裏側と食材を見ながらチャレンジする。こちらも比較的高額感があるので、このセンスを由としない方は買ってはいけない。鑑賞券が当たるくじと芸人トレーディングカードが各1枚付き。
2004(平成16)年4月23日に発売した、JR東日本八王子支社とNRE(日本レストランエンタプライズ)との共同開発駅弁。2004年放送のNHK大河ドラマ「新選組!」関連商品と見て良いだろう。新宿・三鷹・立川・八王子・甲府の各駅と中央本線特急列車内で販売される。
強度のあるタイプの竹皮製容器を、多摩地方の略地図に新選組名所の位置を描いた掛紙で包む。中身はワサビたっぷりの握り飯と蕎麦味噌焼にぎりに、鮒甘露煮、鶏照焼、帆立や里芋などの煮物、山菜天など。そのひとつひとつに多摩地方や新選組がこじつけられている。見てよし食べてよしの内容も、あと100円安くならなかったかと思う。
1993(平成5)年12月18日に新宿駅で発売。名前は列車愛称「あずさ」から来たもので、この名前の駅弁は過去にもあったと思う。正方形の容器にかけたボール紙のふたには、中央本線の車窓のイメージだと思う山岳と白樺の絵柄に、食品表示ラベルに隠れたが「スーパーあずさ」のロゴマークなどを描く。井形の仕切りを斜めに入れた中身は、角の3箇所に山菜御飯、あさり御飯、普通の御飯で3種の御飯を詰め、残るひとつの角に肉団子と煮物やコンニャクなど、真ん中に海老と公魚のフリッターと鮭照焼に玉子焼などを配置。「お楽しみ弁当」そのままの内容か。
シールに隠れて見づらいが、パッケージには「スーパーあずさ」用車両のロゴマークが入る。1993(平成5)年12月に臨時特急列車で営業運転を始め、翌1994(平成6)年12月のダイヤ改正で本格的にデビューしたE351系電車と「スーパーあずさ」は、曲線の多い線路で車体を傾けて速く走れる仕組みで、新宿駅〜松本駅の所要時間を約20分短縮した。そのうち中央本線特急「あずさ」のすべてを置き換えるのかと思ったら、E351系電車の製造は2年間で5編成のみで打ち切られた。
1997(平成9)年10月には大月駅で回送電車に側面から突っ込まれ、別の編成は踏切事故に遭遇して車両が不足、しばらくは置き換え前の国鉄時代の電車で時間をかけて代走させた。そして2001(平成13)年12月から2年間で、残る「あずさ」は速く走る仕組みを持たない新車のE257系電車で置き換えられる。2001(平成13)年3月4日に新宿駅で屋根上のパンタグラフを線路脇に落とす前代未聞の事故を起こしたのは、スピードアップを無にされた怨念か。
1989(平成元)年9月21日の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。食材となってしまうブタを、調理者や消費者の姿で描くことは、昭和時代の食堂や弁当で定番だと思う。
1980年代に使われたのではないかと思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。1977(昭和52)年に発売した、いなり、太巻き、細巻き、ちらしのセット。当時はよく売れたという。
1977(昭和52)年7月25日6時の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。絵柄は当時の新宿中央公園から見た超高層ビル群、左から安田火災海上本社ビル、新宿三井ビルディング、新宿住友ビルディング、京王プラザホテルに見えるがどうか。1898(明治31)年12月に東京の外れにできた淀橋浄水場は、周辺が大正時代には早くも都市化、新宿副都心計画により1965(昭和40)年3月限りで廃止され、跡地は縦横の街路が立体交差する摩天楼街と公園になった。
1977(昭和52)年7月25日の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。駅周辺の名所のイラストマップが、東京都新宿という大都会で制作された。40年以上後に見ても、ガスタンクが撤去されて国立競技場を建て替えたくらいで、あまり変化がないことに驚く。
1977(昭和52)年7月25日6時の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。機能的な助六寿司だったのだろう、東京や新宿を思わせたり、旅情や郷愁を誘う絵柄はなにもない。
1975(昭和50)年1月1日9時の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。掛紙そのものにさしたる特徴はない。駅弁屋は基本的に年中無休であるが、元日は旅行者が少ないことと、おそらく目出度い掛紙として保存あるいは死蔵されるだろうから、調製印がこの日の駅弁掛紙を入手できたのは珍しいと思う。
1973(昭和48)年12月23日の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。掛紙だけを正視すれば目がチカチカしそうな背景。
1972(昭和47)年10月1日5時の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。日本国有鉄道は第二次大戦後の成立であるため、掛紙の「国鉄創業100年」は厳密には誤りだが、この年に日本の鉄道が百周年を迎え、各種のイベントが大々的に開催されたのだとか。
1972(昭和47)年9月30日の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。開設当時の新宿停車場と、当時の新宿ステーションビルとなんだか似ていないビルが描かれる。
1963(昭和38)年6月23日7時の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。小さな絵柄には明治神宮と書いてあるが、これではなんだか町外れの小さな神社にしか見えない。
1959(昭和34)年5月10日5時の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。絵柄は年輪に見えるような。新宿駅のすぐ南に渋谷区と新宿区との区界があるので、調製元の所在地も新宿駅南口脇なのに渋谷区千駄谷とある。
1941(昭和16)年4月28日5時の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。おそらく特に何かを描いているわけではないと思われる。
お茶付き弁当とは、1939(昭和14)年頃から第二次大戦中までの駅弁にみられたもの。当時30銭の駅弁と10銭のお茶を合計45銭で販売したのは、当時は鉄道省が決めていた駅弁やお茶の値段を、国家総動員法に基づく価格等統制令により1939(昭和14)年9月18日の価格に凍結されてしまったため、これを回避するため新たな商品を出したものらしい。
1941(昭和16)年4月28日5時の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。おかずの掛紙は、おそらく特に何かを描いているわけではないと思われる。御飯の掛紙は鉄道省の東京鉄道局管内の各社で共通のもので、駅弁の掛紙では第二次大戦中に呼び掛けられた、汽車や電車の客に向けたマナー啓発。
1939(昭和14)年10月30日5時の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。あるいは1925(大正14)年のものだろうか。おそらく特に何かを描いているわけではないと思われる。