東京の鉄道ターミナルのひとつ。19世紀の末に甲州街道の宿場町のはずれにできた小さな駅は、20世紀に入ると東京の西の玄関口となり、私鉄や地下鉄が次々に乗り入れ、利用者数で世界一の駅になるまでに発展した。1897(明治30)年頃から1991(平成3)年まで新宿駅の駅弁があり、以後は東京駅と同じ駅弁が売られる。1885(明治18)年3月1日開業、東京都新宿区新宿3丁目。
1989(平成元)年9月21日の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。食材となってしまうブタを、調理者や消費者の姿で描くことは、昭和時代の食堂や弁当で定番だと思う。
1980年代に使われたのではないかと思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。1977(昭和52)年に発売した、いなり、太巻き、細巻き、ちらしのセット。当時はよく売れたという。
1977(昭和52)年7月25日6時の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。絵柄は当時の新宿中央公園から見た超高層ビル群、左から安田火災海上本社ビル、新宿三井ビルディング、新宿住友ビルディング、京王プラザホテルに見えるがどうか。1898(明治31)年12月に東京の外れにできた淀橋浄水場は、周辺が大正時代には早くも都市化、新宿副都心計画により1965(昭和40)年3月限りで廃止され、跡地は縦横の街路が立体交差する摩天楼街と公園になった。
1977(昭和52)年7月25日の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。駅周辺の名所のイラストマップが、東京都新宿という大都会で制作された。40年以上後に見ても、ガスタンクが撤去されて国立競技場を建て替えたくらいで、あまり変化がないことに驚く。
1977(昭和52)年7月25日6時の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。機能的な助六寿司だったのだろう、東京や新宿を思わせたり、旅情や郷愁を誘う絵柄はなにもない。
1975(昭和50)年1月1日9時の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。掛紙そのものにさしたる特徴はない。駅弁屋は基本的に年中無休であるが、元日は旅行者が少ないことと、おそらく目出度い掛紙として保存あるいは死蔵されるだろうから、調製印がこの日の駅弁掛紙を入手できたのは珍しいと思う。
1973(昭和48)年12月23日の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。掛紙だけを正視すれば目がチカチカしそうな背景。
1972(昭和47)年10月1日5時の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。日本国有鉄道は第二次大戦後の成立であるため、掛紙の「国鉄創業100年」は厳密には誤りだが、この年に日本の鉄道が百周年を迎え、各種のイベントが大々的に開催されたのだとか。
1972(昭和47)年9月30日の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。開設当時の新宿停車場と、当時の新宿ステーションビルとなんだか似ていないビルが描かれる。
1963(昭和38)年6月23日7時の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。小さな絵柄には明治神宮と書いてあるが、これではなんだか町外れの小さな神社にしか見えない。
1959(昭和34)年5月10日5時の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。絵柄は年輪に見えるような。新宿駅のすぐ南に渋谷区と新宿区との区界があるので、調製元の所在地も新宿駅南口脇なのに渋谷区千駄谷とある。
1941(昭和16)年4月28日5時の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。おそらく特に何かを描いているわけではないと思われる。
お茶付き弁当とは、1939(昭和14)年頃から第二次大戦中までの駅弁にみられたもの。当時30銭の駅弁と10銭のお茶を合計45銭で販売したのは、当時は鉄道省が決めていた駅弁やお茶の値段を、国家総動員法に基づく価格等統制令により1939(昭和14)年9月18日の価格に凍結されてしまったため、これを回避するため新たな商品を出したものらしい。
1941(昭和16)年4月28日5時の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。おかずの掛紙は、おそらく特に何かを描いているわけではないと思われる。御飯の掛紙は鉄道省の東京鉄道局管内の各社で共通のもので、駅弁の掛紙では第二次大戦中に呼び掛けられた、汽車や電車の客に向けたマナー啓発。
1939(昭和14)年10月30日5時の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。あるいは1925(大正14)年のものだろうか。おそらく特に何かを描いているわけではないと思われる。
1928(昭和3)年1月5日の調製と思われる、昔の新宿駅弁の掛紙。この頃の新宿駅では、後の田中屋である田中五平の他に、「ちとせや」の屋号を持つ中島伸次郎が営業しており、こちらの駅弁掛紙ではないかと思う。池沼と家屋がある風景は、当時のどこのものだろうか。