東京の鉄道ターミナルのひとつ。19世紀の末に甲州街道の宿場町のはずれにできた小さな駅は、20世紀に入ると東京の西の玄関口となり、私鉄や地下鉄が次々に乗り入れ、利用者数で世界一の駅になるまでに発展した。1897(明治30)年頃から1991(平成3)年まで新宿駅の駅弁があり、以後は東京駅と同じ駅弁が売られる。1885(明治18)年3月1日開業、東京都新宿区新宿3丁目。
中央本線の特急列車「あずさ」の運行開始55周年を記念した、JR東日本の八王子、東京、長野支社のイベントの一環で、2021(令和3)年12月12日から新宿駅や東京駅などで合計3,000個を販売。掛紙の表面には国鉄時代のあずさ号の姿を再現した189系M51編成の走行写真と主な停車駅などを、裏面には撮影地ガイドの観点でコメントした歴代の走行写真と、新宿駅長の寄稿を掲載した。
中身は普段の新宿駅弁「新宿弁当」とおおむね共通。白飯に小梅と安養寺みそ使用鮭のみそ焼きを載せ、シイタケ煮、野沢菜炒め、炭火焼肉、ソースかつ、かまぼこ、玉子焼、甲州煮を添え、国鉄時代のヘッドマークを印刷した記念饅頭を袋詰め。饅頭のハチミツ味を含め、味にもいつもの強さがあった。
特急あずさは国鉄時代の1966(昭和41)年12月12日に新宿駅〜松本駅で運転を開始。55年も経過した今も東京と甲州と長野県中信地方を結ぶ主役であり続けるのは、列車と鉄道の魅力や実力というよりはむしろ、他の交通手段が発展や改良を止めている、航空路がなく、中央自動車道が年中の渋滞でまともに機能しない点が大きいと思う。昭和時代の末期には中央道の高速バスとの競合があり、所要時間を縮めたり電車をリニューアルしたり安い回数券が売られたりという良い時代があった。
駅弁の名前のとおり、特急あずさの誕生50周年を記念して、2016(平成28)年10月1日から5,000個がなくなり次第、実際には半年間ほど販売。調製元は小淵沢駅の駅弁屋で、新宿、大月、甲府、小淵沢、茅野、上諏訪、下諏訪、岡谷、塩尻、松本の各駅で販売したという。電車型のボール紙製容器を、特急「あずさ」デビュー当時の国鉄181系電車100番台の先頭車を模した容器を使い、その天井には特急あずさの主な運転区間や停車駅の路線図を描いた。
中身は白飯を牛肉煮とメンチカツで覆いラッキョウを添え、茶飯を牛焼肉と野沢菜と錦糸卵で覆いマツタケと赤カブと花にんじんを添えたもの。それぞれ山梨県と長野県にちなんでいるらしい、おおむね牛肉丼。
特別急行列車「あずさ」は、1966(昭和41)年12月にデビュー。新宿駅〜松本駅を2往復、約4時間で結んだ。以後は増発と急行列車の格上げで漸増し、1983(昭和58)年7月には新線開通で最短3時間17分運転になり、1986(昭和61)年11月には一日45本まで増発、1988(昭和63)年3月に新宿駅〜甲府駅の列車を「かいじ」に分離した。鉄道ファンに「ボンネット」と呼ばれる駅弁容器の形の電車は、1975(昭和50)年までに「あずさ」から撤退したため、この外観から特急あずさ号を連想するのはきっと還暦世代以上だろう。
駅弁の名前のとおり、新宿駅の開業130周年を記念して、2015(平成27)年3月13日から31日まで、新宿駅や東京駅などで販売した記念弁当。「新宿弁当」でも使われる新宿駅開業当時の錦絵をここでも使用、中身はとりめし、りんご赤ワイン煮、信田巻煮、野沢菜天、マス味噌漬焼などで、中央本線沿線を感じさせる中身を取り入れたように見えた。
名前のとおり湘南新宿ライン運転開始10周年を記念して、2011(平成23)年12月1日よりおそらく月末まで販売された記念駅弁。容器や中身や価格は通常版の「新宿弁當」と同じで、掛紙に湘南新宿ラインを走った4種類の電車の写真やその帯色を印刷し、添付のおしながきにその停車駅を載せた。
湘南新宿ラインとは、東北本線や高崎線と東海道本線や横須賀線との間を、新宿駅経由で結ぶ電車の運転系統に付けられた、JR東日本の旅客案内上の路線愛称。1929(昭和4)年までに貨物列車のために構成されていた、赤羽と池袋を結ぶ短絡線、山手線の貨物線、大崎と西大井を結ぶ短絡線を使い、2001(平成13)年12月1日のJR東日本ダイヤ改正で一日25往復だけ登場した。
従前の東北本線や高崎線は上野駅に発着し、東海道本線や横須賀線は東京駅に発着し、山手線や京浜東北線で二度の乗り換えが必要であったものを、1本の列車で結んだ。また、渋谷、新宿、池袋という世界有数のメガターミナルとこれらの路線を直接結んだり、この区間での山手線と埼京線の混雑緩和という側面もある。
これに慌てたのが、半世紀以上に渡り独占利益を享受してきた東急電鉄と小田急電鉄。東急では東横線に停車駅の少ない特急列車を新設し優等列車の本数を倍増させ、小田急では江ノ島線に停車駅の少ない「湘南急行」を新設し優等列車の輸送力を倍増させた。その結果、これらの路線では従前は朝から晩まで満員電車にしか乗れなかったものが、日中やラッシュ逆方向であれば座席に座れるようになるなど、混雑が緩和され所要時間も短くなり利便性が向上した。都市鉄道では今ではなかなか見られない、ライバルの有無によるサービスの変化を示す実験結果を、分かりやすく提供してくれたと思う。
JR中央線の201系通勤電車の引退にちなみ、2010(平成22)年5月1日から8月31日まで毎月3,000個が販売された記念駅弁。どこで探してきたのか電車と同じ色に塗られた容器を使用、電車の写真や路線図風に駅名を列記した月替わりの掛紙を巻く。中身は玉子そぼろ御飯、こんにゃくやニンジンなどの煮物、ホタテ煮、マイタケ天、マス味噌焼、カマボコ、玉子焼、野沢菜漬など。お品書きでは中身と電車や中央線沿線をこじつけているが、見た目で電車のあかときいろで固められた色彩重視の記念駅弁。味も悪くなし。
201系は1979(昭和54)年に東京の中央快速線で登場した鋼製の通勤電車。二度のオイルショックに見舞われた時代背景の中で、国鉄としては初めての技術を導入した省エネ電車としてデビューし、後に総武・中央緩行線と関西の東海道・山陽本線各駅停車に向けても製造された。しかし製造価格の高さが当時の赤字国鉄には重く、1,018両を製造した後は安価な205系電車に先を譲っている。
中央快速線では実に30年以上もこの電車が主役であったが、老朽化のため2006年末から4年間ですべての車両をステンレス製のE233系通勤電車へと置き換えた。駅弁では卒業と書いたが、実際は一部が一時的に京葉線で使われたほかはスクラップとなっている。また、関西の201系はまだまだ現役で、活躍の場を関西本線や大阪環状線へと広げている。
駅弁の名前のとおり新宿駅の開業125周年を記念して、2010(平成22)年3月6日から12日まで一日125個限定で発売された記念駅弁。価格も125周年にこだわった。大きな長方形の黒塗りな容器を、中央本線の特急列車で使われるE351系電車とE257系電車の顔と、1905(明治38)年頃の新宿駅舎の写真を印刷した掛紙で巻く。
新宿駅から発車している電車の停車駅にちなんだ食材を盛り込んだという中身は、白御飯を鶏そぼろと玉子そぼろと鶏照焼で覆い、鮭塩焼、有頭海老、サトイモやニンジンなどの煮物、きのこのピーナッツ和え、山うどの醤油漬、野沢菜漬、マイタケ天、チョコレートマフィン、りんごのシロップ漬など。
お品書きに記される地名は新宿、立川、千葉、小田原、長野、世田谷。そう言われると新宿駅には中央本線以外の路線も乗り入れているが、駅弁が食べられそうな電車はJR中央本線の特急列車と小田急のロマンスカーに限られそう。駅弁ファンとしては御飯が鶏飯であることに新宿を感じるが、鳥めしはどれくらい、新宿や中央線で親しまれているのだろうか、
2006(平成18)年3月18日の新宿〜東武日光・鬼怒川温泉間直通特急の運転開始を記念して、その当日と翌日だけ新宿駅や列車内などで販売された記念弁当。写真は3月19日版で、3月18日版は掛紙の色調が茶色で、御飯が紅白の俵飯だった模様。
黒いトレーを入れた木目調の長方形の容器に同色のふたをかけ、特急列車の運行ルートと電車イラストを描いた掛紙で包み、セロテープでしばる。中身はクルミが載る茶飯と鶏親子そぼろが載る白飯、煮豆や煮物、鶏唐揚に焼サバに玉子焼、里芋などの煮物と、「祝」文字入りようかん。記念駅弁としての価格や中身は悪くない。
首都圏からの日光輸送は、昭和30年代に国鉄と東武鉄道が激戦を繰り広げた末に国鉄が敗北したのだが、平成に入ると日光・鬼怒川地区の魅力の低下や東武鉄道の都心アクセスの悪さで、東武特急の利用者の減少が止まらなくなった。
そこでJRと東武の線路が横に並ぶ栗橋駅に注目し、ここに連絡線を整備して直通運転を実施して、都心側で便利なJR駅に乗り入れ、日光側では宇都宮での乗り換えや折り返しを避けて、鉄道と観光地の振興を図ろうとしたもの。運転開始後約3か月を経て、大人気とも大不振とも聞かないので、目論見通りの利用が付いているのだろう。