東京の鉄道ターミナルのひとつ。1883(明治16)年の開業以来、東京の北の玄関口として、東北上信越地方や北海道連絡の長距離列車が100年以上ここを起終点とし、文学や歌にもよく表現された。1991(平成3)年の東北新幹線の東京駅への延伸や、2015(平成27)年の上野東京ラインの開業で、その役割を東京駅へ譲った。駅弁は東京駅と同じものが売られるが、昭和時代には日本食堂が支店を構えて別個に品を揃えた。1883(明治16)年7月28日開業、東京都台東区上野7丁目。
下記の駅弁「おふくろの味うえの弁当」を、2017(平成28)年6月までにリニューアル。見た目や内容に加えて、調製元やコンセプトも替わっており、事実上の新発売。掛紙にパンダや西郷隆盛を載せるのは変わらない。中身は茨城県産コシヒカリの白飯を、焼鮭とカブ漬物と上野の海苔と大洗の梅で覆い、煮物、鶏肉、牛しぐれ煮、シイタケの肉詰め、玉子焼、納豆の春巻などを添えるもの。
調製元が東京都から茨城県の水戸駅の駅弁屋に替わり、中身が茨城や常陸になったうえ、幕の内に肉も野菜も揚げ物も焼き物もある、水戸駅の駅弁と同じく、居酒屋メニューの感じが出た。調製元の所在地と連絡先が、その水戸駅の駅弁屋とちょっと違うのはなぜだろう。2021年夏頃までの販売か。
※2022年4月補訂:終売を追記下記の駅弁「おふくろの味 上野弁当」の、2009(平成21)年の秋時点での姿。イラスト版おしながきによると、2008年10月にリニューアルした模様。容器が長方形から正方形に変わり、白御飯の上にあった海苔が消えて焼タラコが加わり、おかずは筑前煮、玉子焼、レンコンきんぴら、高菜炒め、ヒレカツに小変化。この駅弁の特徴である鮭塩焼は、また小さくなってしまったような気がした。味はともかく、見栄えには劣化を感じる。2017年に上記の駅弁「上野弁当」へリニューアル。
掛紙はJR上野駅Breakステーションギャラリー「ART LUNCH BOX展」受賞作品を月替わりで採用しているのだとか。2009年9月版がこれで、10月と11月は別バージョンで、各5000個を用意した旨が添付の紙片に記される。本版は上野公園の西郷隆盛像、同公園内の旧寛永寺五重塔、かつて上野駅に発着していた国鉄特急電車が切り貼りされている。金属造形作家がなぜこんな絵を描いたのだろうか。
※2017年9月補訂:終売を追記2009(平成21)年10月18日にに購入した、上野駅弁の掛け紙。上記の駅弁「おふくろの味 上野弁当」の、2009(平成21)年10月版。中身と値段は同じで、掛紙だけ「ART LUNCH BOX展」受賞作品で差し替え。パンダが3頭、シートを敷いて弁当を食べている。印刷がにじんだわけではなく、こういう絵になっている。
2009(平成21)年5月15日に上野駅で購入した、上野駅弁の掛紙。内容は下記の同じ名前の商品とだいたい同じ。この駅弁は数か月に一度のペースで掛紙のデザインを変えているようで、今回は上野駅舎と西郷隆盛像が描かれている。
2002(平成14)年2月に、駅舎のリニューアルを記念して発売した、上野駅限定の駅弁。明治32年頃の上野駅に現在の駅員さんの姿を描いたイラストの掛紙を、長方形の容器にかけて、紙ひもでしばる。中身は御飯におかずの幕の内風弁当だが、中央に横たわる大きな焼鮭をはじめ、御飯や煮物に良い食材が使われているようで、冷蔵での販売で冷たくなってなければ、おいしくいただける。
2003年3月頃には名前を「上野物語」に変え、上野駅限定販売という肩書きはそのまま、都内の主要駅でも販売を始めた。その当時では一日150個の販売で、前作から通算して2004年4月19日に10万個発売を記録したとか。
上野駅の昔懐かしい停車場の姿はこの改装で払拭され、どこにでもあるような商業施設に変わってしまったが、乗降客はだいぶ増えたとのこと。薄暗い地上ホームと薄汚い駅前の建物群には昭和が残る。
※2012年5月補訂:解説文の統合2003(平成15)年6月9日に購入した、上野駅弁の掛紙。中身や価格は上記の駅弁「おふくろの味−うえの弁当−」と同じ。2003年3月頃にこのように駅弁の名前と掛紙を変え、上野駅以外での販売も始められた。
2006(平成18)年10月22日に購入した、上野駅弁の掛紙。掛紙のデザインと駅弁の名前がまた変わり、中身もサラダが山菜に差し替えられたが、基本的な線に何ら変わるところはない。変化や変更を宣伝や告知しているわけでもなく、理由がよく分からないリニューアル。