東京の鉄道ターミナルのひとつ。1883(明治16)年の開業以来、東京の北の玄関口として、東北上信越地方や北海道連絡の長距離列車が100年以上ここを起終点とし、文学や歌にもよく表現された。1991(平成3)年の東北新幹線の東京駅への延伸や、2015(平成27)年の上野東京ラインの開業で、その役割を東京駅へ譲った。駅弁は東京駅と同じものが売られるが、昭和時代には日本食堂が支店を構えて別個に品を揃えた。1883(明治16)年7月28日開業、東京都台東区上野7丁目。
1990(平成2)年12月14日12時の調製と思われる、昔の上野駅弁の掛紙。右上にJR東日本の観光キャンペーン「LOOK EAST」のロゴマークが、左下に日本食堂のロゴマーク「JD」がみえる。日本食堂の上野支店の調製なので、ここでは上野駅弁としたが、在来線の東京駅でも売られたと思う。東北新幹線が東京駅に乗り入れたのは、1991(平成3)年6月のこと。
1987(昭和62)年4月の国鉄分割民営化の後に、日本食堂は6旅客鉄道会社のエリア別に分けられることとなり、同年6月に「にっしょく北海道」と「にっしょく九州」、翌1988(昭和63)年6月に「ジェイダイナー東海」と「にっしょく西日本」の分社ができ、本体はJR東日本エリアに残った。四国がないのは日本食堂の営業がなく、東海の社名が違うのは「にっしょく東海」という会社が当時すでに存在したからだという。その間の1987(昭和62)年秋に、いわゆるCI(コーポレートアイデンティティ)としての「J・DINER(ジェイ・ダイナー)」が生まれており、本州3社の日本食堂がこれを使えたらしい。JR東日本エリアの日本食堂の駅弁なのに、JR東海エリアのジェイダイナー東海が2002(平成14)年10月の会社合併まで使ったJDマークがあるのは、このためである。
1983(昭和58)年1月1日7時の調製と思われる、昔の上野駅弁の掛紙。「賀正」の文字が左上に記される、正月限定の駅弁掛紙である。写真も目出度いものを使ったのではないかと思ったら、左下に「「民芸シリーズ」2わらべ三番曳(岩手)」とあるので、シリーズものの絵柄か。
1980年代のものと思われる、昔の上野駅弁の紙箱。調製元の所在地の表記から、駅の中で調製されたことがうかがえる。
1980年代頃の調製と思われる、昔の上野駅弁の掛紙。上野らしい駅弁の名前だが、つまり中身は日本食堂の幕の内弁当ではないかと思う。イラストは上野公園にある不忍池だろう。今は小さく浅い文字通りの池だが、江戸時代まではもっと大きな池だったらしく、しかし全部が埋め立てられることもなく、この大都会で池のまま現存する。
1978(昭和53)年8月19日9時の調製と思われる、昔の上野駅弁の掛紙。現在は東京駅弁も上野駅弁も埼玉県戸田市の調理センターで調製されるが、当時は東京駅弁を港区港南の調理所で、上野駅弁を台東区東上野の調理所で調製していた。
1977(昭和52)年1月15日8時の調製と思われる、昔の上野駅弁の掛紙。うえのと掛紙に大きく書かなくても、西郷さんの銅像を描くだけで上野が表現できるのは便利だと思う。
1977(昭和52)年5月2日19時の調製と思われる、昔の上野駅弁の掛紙。下記の1976年12月のものと同じ。右の標語の「ゆづり合い」が「ゆずり合い」になった、調製元の表記が少し異なるという違いがある。
1976(昭和51)年12月24日7時の調製と思われる、昔の上野駅弁の掛紙。駅の隣の不忍池(しのばずのいけ)や寛永寺(かんえいじ)を描いたのか、どうもそうには見えない絵柄を使う。
1970年代のものと思われる、昔の上野駅弁の掛紙。「明治20年ごろの上野山下鉄道館(現上野駅)の風景」を描いたそうな。
1970年代のものと思われる、昔の上野駅弁の掛紙。特に何かを描いたものではなさそうだが、当時の上野駅から在来線列車で行けた東北上信越地方の風景をイメージしているように見える。
1971(昭和46)年7月12日8時の調製と思われる、昔の上野駅弁の掛紙。掛紙に描かれる西郷さん銅像を除くアイテムは、東北各地の郷土玩具か。
1960(昭和35)年12月3日の調製と思われる、昔の上野駅弁の掛紙。背景の短歌は「露おかぬ 方もありけり 夕立の 空よりひろき 武蔵野の原」。室町時代の武将である太田道灌が寛正5年(1464年)に上洛した際、後土御門天皇に武蔵野はどんな所かと聞かれて答えた即興の歌だという。
※2012年7月補訂:解説文の増強1960(昭和35)年12月3日5時の調製と思われる、昔の上野駅弁の掛紙。上記の掛紙「幕の内弁當」と、調製年月日からまったく同じもの。入手した経路は異なるので、この駅弁を買った人も違うと思う。この日に調製所から出て別れた掛紙が、60年半ぶりに一緒になった。
1953(昭和28)年3月3日の調製と思われる、昔の上野駅弁の掛紙。掛紙に駅名や所在地の記載がないが、収集者はこれを上野駅の駅弁とみなしていた。「等外米」の印字に時代を感じる。1952(昭和27)年から1956(昭和31)年頃まで、政府配給の外食券が不要な等外米の駅弁が、各地で販売された。
1953(昭和28)年3月2日の調製と思われる、昔の上野駅弁の掛紙。調製印に上野とあるのでそう考えた。昭和時代の日本食堂は日本中で列車内営業を手掛けたため、この掛紙も全国共通、あるいは上野の営業所が持つ列車の車内調製品とも考えられる。どんな内容のサンドイッチだったのだろう。