東武鉄道の東京都心のターミナル。明治時代にまずは北千住駅から北関東へ鉄道網を築き始めた東武鉄道が、再三の苦心の末に当時の東京で最大の歓楽街であった浅草にデパート付きターミナルを構えたものの、第二次大戦後に東京の都心は西へ移動、駅は狭隘で長編成化する電車に対応できず、今も鉄道の起点であるものの中心でなくなった。駅弁は2010年代に4度の撤退を繰り返し、2022年10月に羽田空港の空弁を売る店舗を設けて「駅弁復活!」とした。1931(昭和6)年5月25日開業、東京都台東区花川戸一丁目。
東京都心を中心に、日本中のデパートの食品売り場で売られる、浅草今半の牛肉弁当。東京駅や上野駅や羽田空港でも買え、浅草でも本店に加えて東武鉄道の浅草駅舎である松屋浅草店で購入できるが、2023年までに東武浅草駅の駅弁売店でも売られるようになった。浅草駅で「浅草今半」なので、浅草駅の駅弁に見えてくる。
各種の商品で共通の掛紙に、これは「牛玉重」のシールを貼る。長方形の発泡材容器に、割り下が浸みた御飯を敷き、牛肉煮と煮た玉子で覆い、グリーンピースと紅生姜で彩る。牛肉と玉子にも、甘さと辛さが絶妙な秘伝の割り下の味が浸み、常温の作り置きでもおいしさが香るか、あるいは変化に乏しく飽きが来るか。人気ブランドのおいしい牛丼。
調製元の公式サイトによると、この牛玉重は配達専門のお弁当であり、店舗販売では楕円形の容器で1,242円の「牛玉弁当」となり、内容は同じでも調理方法等に違いがあるのだそうな。また、2024年6月の日本ロケ弁大賞・運営委員会主催「第1回 日本ロケ弁大賞」で、インターネット投票で集まった全265種類のロケ弁の中から金賞を受賞したというので、テレビ番組の収録時に出演者やスタッフなどに提供される仕出し弁当としてよく使われるのだろう。
東京都心を中心に、日本中のデパートの食品売り場で売られる、浅草今半の牛肉弁当。東京駅や上野駅や羽田空港でも買え、浅草でも本店に加えて東武鉄道の浅草駅舎である松屋浅草店で購入できるが、2023年までに東武浅草駅の駅弁売店でも売られるようになった。浅草駅で「浅草今半」なので、浅草駅の駅弁に見えてくる。
これはレシートでの商品名が「夏の旬彩御膳」だったので、夏季の季節商品なのだろう。牛丼でなく幕の内弁当タイプの、正方形の平たい容器に、梅ちりめん飯、カジキ照焼、煮玉子、ミニトマト、オクラモロヘイヤ、なすのオランダ煮、もろこし豆腐、きぬさや、白滝たらこ和え、白金時豆、牛肉煮を詰めていた。駅弁として見れば個性的な内容を持つ、今半として見れば牛肉の分量も存在感もほとんどないお弁当。
羽田空港の空弁売り場や、東京駅や上野駅などの駅弁売店「膳まい」改め「HANAGATAYA」でおなじみの、浅草ヨシカミのロースカツサンド。2023年までに東武浅草駅の駅弁売店でも売られるようになった。浅草駅で「浅草ヨシカミ」なので、浅草駅の駅弁に見えてくる。
商品そのものは、その各地のものと同じ。1951年に浅草で創業した老舗の洋食店のブランドネームとキャラクターを描く専用の紙箱に、透明なプラ製トレーに収めてフィルムで密封したカツサンドが3切れ。焼いた食パンに豚ロースカツのソース漬けと自家製コールスローを挟む。ほどほどに柔らかく歯応えのあるカツサンドだと思う。コンビニサンドとこういった商品の進出により、昔からの駅弁屋は2000年代にはほとんどサンドイッチを作らなくなった。この商品の調製元は羽田空港の空弁屋。
2023(令和5)年までに東武鉄道の浅草駅で発売か。商品名を書いた黒い紙帯を締める、長方形のプラ容器に白飯を詰め、錦糸卵で覆い、タレをまとう鶏照焼のひとかたまりを5切れにカットして載せ、ピーマン焼きで彩り、ひじき煮と大根桜漬を添える。デパ地下の惣菜弁当のようなもの。調製元とその所在地から、東武鉄道系列のゴルフ場その他施設で食堂や売店を運営する東武鉄道の子会社が、千葉県野田市で運営するホテル「ビジネスホテル野田」で製造する弁当だろうか。駅のホーム上でそば・うどんでなく立ち食いラーメンを提供することで鉄道ファンに驚かれる「東武らーめん」の運営元でもある。
1963(昭和38)年の発売というが、浅草駅の駅弁売店に来たのは少なくとも2011(平成23)年以降、この名前や見栄えになったのは調製元のツイッターの情報によると2018(平成30)年3月からと思われる。ふたには浅草雷門や浅草の観光イベントが賑やかに描かれる。中身は茶飯を鶏そぼろときんぴらごぼうとごま昆布佃煮で覆い、チキンシュウマイ3個、玉子焼、タケノコとニンジンとコンニャクの煮物を添えるもの。飯も焼売もおかずも、JR駅の駅弁よりも水気があり柔らかくなっている。2022年1月に浅草駅と北千住駅の駅弁販売店が閉店し、すべての駅弁が終売となった。
※2023年11月補訂:終売を追記上記の駅弁「浅草鶏シュウマイ弁当」の、2015(平成27)年時点での姿。当時は駅弁として知られたり紹介されることは、ほとんどなかったのではないかと思う。見た目も中身も後のものとはだいぶ違い、ボール紙のふたにはスマートなデザインで宣伝文を書き、中身は俵飯、チキンシュウマイ5個、タケノコやニンジンなどの煮物、ポテトサラダ、かまぼこ、玉子焼、きんぴらごぼう、生姜昆布漬だった。
1954(昭和29)年発売の横浜駅弁「シウマイ弁当」によく似ていると思うが、どちらもつまりシウマイを入れた幕の内弁当であるから、不自然ではないと思う。その伝統の駅弁に比べると、こちらは飯も焼売もおかずも、水気があり柔らかくなっている。
※2019年8月補訂:新版の収蔵で解説文を手直し2012(平成24)年の発売か。掛紙や添付のチラシで「牛すき弁当」、食品表示ラベルで「牛すき焼き弁当」、売店の掲示で「浅草牛すき弁当」と名前が異なる。長方形の容器に白御飯を詰め、割り下で真っ黒になった牛肉煮で覆い、タマネギ、シラタキ、玉子焼、お麩を添えたり散らすもの。明治の初め頃に浅草で牛鍋屋が一時的なブームになったことにちなみ、この駅弁ができたという。常温で昼飯にモリモリ食べられる牛鍋丼。調製元の2017年頃の撤退により、今は売られていないはず。
※2019年8月補訂:終売を追記東武浅草駅で駅弁も売る売店にて購入。わっぱ型の木製エコ容器の全面に白御飯を敷き詰め、焼き鳥や鶏肉団子をゴロゴロと撒いて外周を固め、長ネギ焼、レンコン、玉子焼、ピーマンなどを詰める。掛紙その他のパッケージがないため、コンビニ弁当か惣菜弁当にも見えるが、分量の多さ、容器の深さ、味の濃さ、常温での風味は、駅弁のそれである。鶏肉は分量に加えてタレの塩気や辛味の強さもあり、くどいほどの鶏丼。これはかつて「焼き鶏丼」の名で、浅草駅や北千住駅の駅弁として売られていたのではないかと思う。調製元の2017年頃の撤退により、今は売られていないはず。
※2019年8月補訂:終売を追記2017(民国106)年7月21日から24日まで、台湾の台北市内のコンベンション施設「台北世界貿易中心(台北世界貿易センター)」で開催された展覧会「2017台灣美食展」での「第3回鐵路便當節(鉄道弁当祭)」で販売された商品。日本の鉄道会社10社と、韓国、スイス、台湾2社の駅弁が、ここで展示販売されていた。
東武鉄道は、この1種。内容も分量も容器もおおむね、浅草駅弁「焼き鳥丼」と同じ。これに、中身と浅草寺と特急電車「リバティ」とSL列車「大樹」の写真を載せた掛紙をかけて販売していた。後に浅草駅の駅弁にも、この掛紙と似たものをかけ始めたらしい。ここでの調製元は、台北市内の歓楽街にある日本人向けの海鮮居酒屋。
東武鉄道の浅草駅で、以前から販売されていた駅弁。トレーを接着した長方形の容器に、江戸時代の田舎を描いたと思うボール紙でふたをして、輪ゴムで留める。中身は御飯の上に刻み海苔を振り、鶏肉を載せてグリーンピースを散らし、タクアンと柴漬を添える。
鳥飯など市販品では下手に作りようがない分野だと思う。しかしこの鳥肉板はパサパサで醤油臭く、彩りのためだけに散らしたグリーンピースで一般受けを削ぎ、雑に付けたタクアンとしば漬けの着色は毒々しい。こんな市販弁当が高度経済成長期までならともかく、平成の21世紀の首都ターミナル駅で現役なことに驚くばかり。掃除が行き届いていない電車内で、割り切りながらかき込んだ。
東武鉄道は、路面電車や電気鉄道で生まれた他の多くの私鉄と異なり、蒸気機関車が客車や貨車を牽引する路線で生まれたため、節々に旧国鉄との共通点が垣間見える。駅弁もそうで、私鉄唯一の駅弁立売駅があったり、戦前の駅弁掛紙が出てきたり、このような他の私鉄にない弁当が浅草、下今市、東武日光、鬼怒川温泉その他の駅で販売されている。
調製元が2011年3月頃に撤退または廃業したようで、この駅弁は今では買うことができない。駅弁売店は残存しているが、シャッターを降ろしたまま営業していない。
※2012年7月補訂:終売を追記