東京駅から電車で約45分。大船駅のある鎌倉市は、神奈川県の東部で相模湾に面した、人口約17万人の古都。13世紀に幕府と呼ばれる武家政権がここを拠点とし、農漁村に戻るも明治時代に別荘地や観光地として再興、文人や要人が好んで住んだり訪れた。東海道本線が横須賀線を分岐する大船駅では、1898(明治31)年から大船軒が駅弁を販売、鎌倉の文人や駅前の映画撮影所の関係者に親しまれた。1888(明治21)年11月1日開業、神奈川県鎌倉市大船1丁目。
2019(平成元)年1月に発売。おそらく従前の幕の内弁当のリニューアルだろう。大船駅よりはむしろ東京都内の駅弁売店で手広く売られる。幕の内駅弁らしくなく、松花堂タイプの4区画に仕切られた中身は、日の丸御飯、エビフライと鮭塩焼とごぼうそぼろ、肉団子と煮物、紅白のかまぼこと玉子焼にひじき煮と漬物。そんな御飯に三種の神器(焼き魚、かまぼこ、玉子焼)という内容は幕の内駅弁らしい、普段使いの駅弁。過去の大船軒のこのタイプの駅弁よりは、味と盛付に立体感が出たと思う。
JR東日本グループ会社の事業再編という不思議な理由により、2021年3月25日限りで終売。以後は東京駅の幕の内弁当が売られる模様。
※2021年3月補訂:終売を追記2012(平成24)年1月の京王百貨店の駅弁大会で輸送販売された記念駅弁。大船駅で普段売られる幕の内駅弁を容器ごとそのまま使用し、掛紙を1924(大正13)年11月のものに差し替えた。
大船駅の幕の内弁当のリニューアル品か。正方形の容器に木目の紙ぶたをかけて、古い湘南電車とスカ線電車のイラストで弁当名を囲む掛紙で包み、紙ひもでしばる。中身は日の丸御飯に鶏唐揚、焼赤魚、イカ焼、煮物、玉子焼など。近隣の横浜駅や小田原駅で同じ価格帯の幕の内弁当に比べて、中身でなく見栄えについて、とても安っぽく感じた。価格は2005年の購入時で880円、2015年時点で掛紙と一部の中身を変えて920円。2019年に上記の「駅辨幕の内」へリニューアル。
※2019年8月補訂:終売を追記2004(平成16)年の秋頃に、下記の駅弁「特製おべんとう」をリニューアルか。正方形の容器に紙ぶたをして、戦後直後の横須賀線電車を枠に描いた白い掛紙をかけて、紅白の紙ひもで締める。中身は日の丸御飯に鮭塩焼、鶏唐揚、玉子焼、蒲鉾、煮物その他を詰める、いわゆる幕の内駅弁。これも含め最近の大船駅弁は、容器内に無駄な空間が多く容器の底の紙がよく見える、見栄えで損をするものが多いと思う。リニューアル前のほうが良かった感じ。2006年頃までの販売か。
横須賀線の電車の色は、青い海と白い砂の色。1951(昭和26)年に国鉄が新型電車を投入した際に、前年に東海道線の湘南電車で試した橙色と緑色の塗り分けが好評だったので、その第二弾として新色を採用した。後に色調を少々変更したが、この色の組み合わせは「スカ色」と呼ばれ、房総半島や身延線や飯田線などにも広がった。
※2015年9月補訂:終売を追記大船軒の幕の内弁当。厚手の紙の掛紙をかけた正方形の容器は5区画に仕切られ、梅干しを載せた俵飯が5つ、鮭に鶏唐揚、揚げ物煮物各種に付け合わせと、品名「幕の内弁当」のとおりの正統派の幕の内弁当。赤と白の外観が印象的で、しっかりした内容物も好感が持てた。
2010(平成22)年10月9日から11日まで東京駅で開催された「第12回東日本縦断駅弁大会」で販売された大船駅弁の復刻商品。といっても復刻したのは掛紙だけであり、中身は普段の大船駅の並等な幕の内駅弁と同じである。掛紙裏面の解説と違い少量な日の丸俵飯に、鶏唐揚とイカ焼とわさび漬、白身魚フライとかき揚げと佃煮、ニンジンとシイタケとタケノコとちくわの煮物、焼鮭と玉子焼とうぐいす豆。掛紙の絵柄は鎌倉八幡宮と2010年3月に倒れた大銀杏。この掛紙が使われた1924(大正13)年当時に比べて、大船や鎌倉の名所はたいして変わっていない。
2003(平成15)年の秋に発売された、大船駅の大人の休日駅弁の第2弾。2002年4月10日発売の第1弾は5個以上2日前までの予約制であったため、この駅弁が事実上の第1弾。通年販売の予定だったそうだが、後に人知れず消えた模様。
大きく柔らかい木目調容器に掛紙代わりの紙帯を締める。中身は古代米の御飯に、前菜として玉子焼や蓮根煎餅など、煮物として里芋や椎茸など、焼物として鯖味噌漬焼と紅白はじかみ、揚げ物としてカニカマとかき揚げと蓮根が入る。大人の休日駅弁らしくお品書きとロゴマークを完備。
1973(昭和48)年5月13日7時の調製と思われる、昔の大船駅弁の掛紙。1964(昭和39)年8月に開園し2002(平成14)年2月に閉園した横浜ドリームランドの汽車と観覧車と英国衛兵、県立フラワーセンター、当時の神奈川県立フラワーセンター大船植物園で現在の日比谷花壇大船フラワーセンターの、ハスかスイレンとユリを描く。いずれも大船駅からバスで行く観光地。
1972(昭和47)年6月18日17時の調製と思われる、昔の大船駅弁の掛紙。駅名の表記と、国鉄の旅行キャンペーン「DISCOVER→JAPAN」のロゴマークの位置を除くと、上記の1973年5月の掛紙「特製御弁当」と、同じ絵柄である。
1941(昭和16)年8月10日6時の調製と思われる、昔の大船駅弁の掛紙。
お茶付き弁当とは、1939(昭和14)年頃から第二次大戦中までの駅弁にみられたもの。当時30銭の駅弁と10銭のお茶を合計45銭で販売したのは、当時は鉄道省が決めていた駅弁やお茶の値段を、国家総動員法に基づく価格等統制令により1939(昭和14)年9月18日の価格に凍結されてしまったため、これを回避するため新たな商品を出したものらしい。
1939(昭和14)年1月8日7時の調製と思われる、昔の大船駅弁の掛紙。その絵柄は下記の1938年2月のものと同じはずが、大船軒の船の漢字が舩になるなど、不思議と文字の形や位置が微妙に異なる。
1938(昭和13)年2月19日7時の調製と思われる、昔の大船駅弁の掛紙。富士を背景に大船駅から鎌倉や江ノ島などの行楽地への交通案内を描く絵柄は、下記の1932年8月のものと共通するが、その構図は変えられ、藤沢駅からの江ノ島電車や小田急のルートが図に加わった。
1932(昭和7)年8月8日4時の調製と思われる、昔の大船駅弁の掛紙。おかずの掛紙には、富士、箱根、伊豆を背景に、大船駅から鎌倉や江ノ島などの行楽地への交通案内が描かれる。大船駅と鎌倉山と江ノ島口と長谷を結ぶ実線には「日本最初ノ自動車専用道路」と付記。御飯の掛紙は鉄道省の東京鉄道局管内の各社で共通のものと思われ、無砂搗(むさつき)御飯の判を押したうえで「海へ!!」「山へ!!」として管内の観光地30箇所以上を列記する。
1925(大正14)年4月14日6時の調製と思われる、昔の大船駅弁の掛紙。35銭の価格から1939(昭和14)年でないと考えたが、紙質の悪さから昭和の戦時の駅弁掛紙かもしれないし、1929(昭和4)年4月開通の小田急江ノ島線は未開通か描画省略か。上半分の絵柄は、鶴岡八幡宮の本宮(上宮)と大銀杏か。下半分には大船、鎌倉、江ノ島エリアの鉄道路線図を描く。