2011(平成23)年6月4・5日に横浜市内の日本大通りで開催されたイベント「2011tvk秋じゃないけど収穫祭」でテント売りされていたお弁当。黒い容器に白御飯を詰め、牛肉煮、ネギ、しらたき、タケノコ、シイタケ、しば漬けを詰め、横浜の開港当時の名物をいろいろ描く掛紙を巻くもの。
調製元の荒井屋は横浜で120年弱の歴史を刻む牛鍋の名店で、弁当としても本店や催事などで買うこともできる。甘辛の強いタレが脂身豊かな牛肉煮と合い、冷めても柔らかくジューシー。横浜駅弁の崎陽軒も時々、横浜や開港をイメージした牛肉弁当を出しているが、これにはちょっと追いつかない。
高島屋横浜店のが開店50周年を記念して、2009(平成21)年9月に販売した記念弁当。同店の地下1階の食品売り場には「日本ばし大増」が出店しており、そこでひっそりと販売されていた。NREの駅弁でおなじみの正方形の容器に、木目を印刷したボール紙でふたをして輪ゴムで留め、昔の食堂車内の写真を掲載した掛紙をかけて、紅白のひもで十字にしばる。
中身は日の丸御飯とハムライス、スチュードビーフにチキンカツレツ、フライドエッグに鮭塩焼に煮物類。味はいつものNREであり、横浜と食堂車に経由駅を超えるつながりはないと思うけれど、中身のコンセプトは楽しかった。
高島屋横浜店のは1959(昭和34)年の本設開店。その前年に仮設店舗でオープンしている。1952(昭和27)年にアメリカの石油会社スタンダードオイルから横浜駅裏口一帯の土地を買収した相模鉄道が、自社の横浜駅の隣に高島屋と合弁で設けた商店。当時は横浜駅自体が横浜の町外れであり、その西口は裏口として砂利敷と水溜まりと東京急行や相模鉄道の駅しかない有様だったそうな。その後は横浜と西口と相鉄の発展で、横浜店は高島屋の旗艦店として君臨し、店内はいつも混雑している。
新たな横浜駅弁「牛めし」を生んだ、2005年の横浜商工会議所「第1回ハイカラ弁当コンテスト」で、グランプリを取れなかった創作弁当のひとつ。これは金賞の作品のひとつで、西洋・中華・懐石料理がコンセプト。
ふたの表裏に横浜の関内や関外の市街地図を描いた惣菜弁当用紙箱を使用する。中身は白ごま御飯、なますグレープフルーツ和え、ロールキャベツ、白身魚マヨネーズ焼、玉子焼、レンコンしんじょ挟み揚げチリソース、抹茶豆腐など。
コンセプトに芯を通しているはずが、その見ただけでは分からないコンセプトに対する説明や解説が皆無であり、単なる中身が雑多な弁当に終わっている。しかも仕出し弁当屋の商品なのに、購入の際には10歩進むとで容器が縦に返る形状のビニール袋に詰る心遣いのなさ。駅弁化されることはないと思うが、仮にそうする場合には課題がたくさん出ると思う。
購入時の横浜は新潟と組んで2008年主要国首脳会議(サミット)の誘致活動を行っており、「横浜・新潟うまいものサミット」イベントもきっとその一環。先に名乗り出ていた関西や瀬戸内と競っていたが、政府はそれらをさしおいて北海道洞爺地方に立候補を促し、総理はそこに決めた。努力は報われない、後出しじゃんけんに勝たせるのが、この政府や総理のコンセプトなのだろう。
2004年秋の横浜松坂屋の駅弁大会で特別出展されていた、地元のトンカツ屋さんの企画弁当。半透明なトレーが入る木目調の総ボール紙容器を紙袋に入れる。中身は白御飯に串カツとヒレカツとエビフライにキャベツの千切りなどというヒレカツ弁当。特別ではないが普通にかなり美味いトンカツ弁当。
しかし弁当名。銀座をぶらぶら歩くことを指す言葉「銀ブラ」さえ死語に近いのに、1970年代には横浜を代表する商店街の地位を失った伊勢佐木町を、ぶらぶら歩くことを指す言葉「伊勢ぶら」という言葉を使う人が残っているのかどうか。政治力が強いようで、1978年の終日歩行者天国化など行政の予算が投入され続けているものの、公共の通路が商品と広告看板と駐輪に占拠されていて、ぶらぶら歩ける商店街にはみえない。