新宿駅から特急列車で約1時間か通勤電車で約1時間半。大月市は山梨県の東部で桂川が流れる、人口約2万人の宿場町。富士への玄関口のひとつで、甲州街道の宿場町が連なるほか、奇矯で知られる猿橋がある。駅弁は1916(大正5)年から売られ、2011(平成23)年に消えた。1902(明治35)年10月1日開業、山梨県大月市大月町1丁目。
2017(平成29)年4月9日午後に、大月駅にある大月市観光協会の観光案内所で発売。ほのかな桃色に染まる、餅米と白あんと桃シロップ漬を使うプチ大福餅が4個、トレーに収まり、竹皮柄の紙に巻かれ、白くつややかな掛紙に巻かれる。大正時代の猿橋駅で売られた駅売り銘菓の復刻版だというが、それを感じさせない現代的なスイーツ。
山梨県立大学の総合政策学科の女子学生が、地元の大月に桃太郎に関する伝説があることと、祖先が駅で「桃太郎もち」を売っていたことから、この商品を考案し、販売にこぎつけたという。山梨のよさを発信する女性グループ「モモハナ」が、大正時代の猿橋名物であった桃太郎餅を復刻したという記事もある。掛紙にある「桂川館」は、2011年まで下記の駅弁を販売していた調製元のこと。掛紙上部に「SINCE 1916」とあるとおり、1916(大正5)年に中央線の機関庫があった猿橋駅で駅弁や菓子などを売り始め、富士山麓電気鉄道、現在の富士急行が開業して乗換駅になった大月駅へ移転した。
2014(平成26)年の7月までに、大月駅の駅舎の一角にある、大月市観光協会の小さな小さな案内所兼売店で売り始めたお弁当。調製元は1904(明治37)年からの大月の駅前旅館で、この弁当は大月駅前で毎月第三土曜日の日中に実施する「夕やけ市」で販売しているもののようで、掛紙にもそんな表記が見られる。
白御飯の上に、真円に固めた炒り卵、鮭フレーク、鶏照焼を配し、隙間を鶏そぼろで埋め、ホウレンソウと柴漬けを添える。御飯の具で満月の夜空を表現しているのだろう。駅弁向けでもありふれたプラ製の容器を使いながら、御飯の底に吸湿シートを敷いており、常温で湿っぽくなく固くなく、適度な口当たりである。安くて柔らかく、きれいなお弁当。駅弁として知られることなく、2015年までの販売か。
※2021年3月補訂:終売を追記1986(昭和61)年の発売という、ホロホロチョウを使用した全国で唯一の珍駅弁。駅弁の名前や鳥のイラストを描いた専用のボール紙箱を使用、白いプラ製トレーに収まる中身は、栗を添えた味付け御飯に、富士山麓で飼育されているホロホロチョウの薫製、エビフライ、ポテトフライ、ソーセージ、かまぼこ、玉子焼、昆布巻、漬物などと、ロゼの甲州ワイン「オリファン」の小瓶。価格は2002年の購入時で1,150円、2010年の購入時で1,200円。
買って食べれば話の種になるし、メインのホロホロチョウの濃厚な食感と淡泊な風味はチーズササミのようで、クセがないので食べやすい。茶飯も美味。基本的に土休日限定で販売される駅弁。大月駅は1928(昭和3)年築の丸太小屋風駅舎が現役で供用され、運輸省「関東の駅百選」にも選ばれた。
この駅弁はおそらく調製元の廃業により2011年7月限りで失われた。
※2011年8月補訂:終売を追記大月駅の幕の内弁当。ボール紙製の専用容器を使用、白いトレーに収まる中身は、日の丸御飯に白身魚フライ、鶏唐揚、エビフライ、カマボコと玉子焼と昆布巻、シメジ、漬物など。おそらく昭和の頃から容器も中身も進化を止めているのだろう、前向きに書けば希少になりつつある、コンビニやホカ弁がなかった頃の古き幕の内駅弁。石和から横浜まで自転車で走っている道中で食べたので、御飯が多く揚げ物ばかりのスタミナ食はうまかった。
この駅弁の購入時の大月駅弁は、JR駅の駅舎内やホーム上では売れなくなったのか、しばらくその姿を見ていないと思う。土休日には富士急行駅のホーム上で台売りが行われている。この駅弁はおそらく調製元の廃業により2011年7月限りで失われた。
※2011年8月補訂:終売を追記2006(平成18)年に発売の、富士急行とのタイアップ駅弁。駅弁の名前は、2004年7月に富士急ハイランドが導入した絶叫マシン「トンデミーナ」にちなんたのだろうか。ホカ弁タイプの容器に、富士山と富士急行「フジサン特急」のイラストを描いた掛紙をかける。中身はおにぎり2個、フライドポテト、鶏唐揚、ウインナー、ごまだんご、ゼリーなど。どうしてこうなったのか、駅弁や鉄道や遊園地のイメージを損なわないか、見た目も中身も微妙な弁当。発売時にはパンが入ったお子様ランチかピクニック弁当だったそうな。この駅弁はおそらく調製元の廃業により2011年7月限りで失われた。
※2011年8月補訂:終売を追記大月駅弁のしめじ御飯は、1980年代に発売か。ボール紙の容器の中に半透明のトレーを入れる。中身は茶飯の上にしめじを十数本載せるもので、鶏肉や漬物に栗と缶詰ミカンを添える。しめじの混ぜ御飯や炊き込み御飯ではないので、しめじとの一体感がなく、具も飯も、特にしめじがとても塩辛いので味はイマイチ。ただ550円という価格は安い。この駅弁はおそらく調製元の廃業により2011年7月限りで失われた。
※2011年8月補訂:終売を追記大月駅の釜飯駅弁は、1960年代に発売か。各地の駅弁でよく見かける、焼き物の釜飯容器にプラスティックのふたをして掛紙をかけ、山の緑の紙ひもでしっかし締め、ひも1本で吊り上げられる外装を持つ。この容器に茶飯を詰め、真ん中に鶏肉をどんと置き、周りをゴボウやレンコンに椎茸や錦糸卵に栗やうずらの卵などで囲む。味は見た目のとおり、オーソドックスな釜飯駅弁。具が茶系一色なので華やかさに欠けても、登山やハイキングの入口駅にちゃんと釜飯駅弁が用意されていることが肝要。この駅弁はおそらく調製元の廃業により2011年7月限りで失われた。
※2011年8月補訂:終売を追記1980年代のものと思われる、昔の大月駅弁の掛紙。色合いと記載内容が少々異なるが、上記の21世紀のものとほぼ変わらない、おそらく何十年も使い続けた、富士山のシルエット。
1960年代、昭和40年前後の、5月14日5時の調製と思われる、昔の大月駅弁の掛紙。富士山を描き富士五湖を記す、富士の掛紙。
昭和30年代、1960年前後の、6月23日3時の調製と思われる、昔の大月駅弁の掛紙。大月付近の名所として、富士山・富士五湖めぐり、岩殿山と橋倉温泉、猿橋と桂川の鮎を挙げるが、湖面に浮かぶ富士山を描くとおり、ここの名所はやっぱり富士である。
昔のものと思われる、昔の大月駅弁の掛紙。鉄道に関する記述がないため、駅弁でない商品のための掛紙であったのかもしれない。昭和時代まで駅弁屋も、現在のホカ弁やコンビニや持ち帰り寿司チェーンの役割を担っていた。