東京駅から北陸新幹線で約1時間半。長野市は長野県の北部に位置する、人口約37万人の門前町で県庁所在地。6〜7世紀からの歴史が伝わる善光寺が参拝客を集め、県庁や鉄道や銀行で商業が興り、1998年には冬季五輪が開催された。駅弁は1892年からの駅弁屋が2007年に撤退、東京駅の駅弁が売られた後に、県内業者の弁当が売店に入荷するようになった。1888(明治21)年5月1日開業、長野県長野市末広町。
2019(令和元)年の7月までに発売か。同年のJR東日本の駅弁キャンペーン「駅弁味の陣2019」へ新作駅弁としてエントリー。近年は駅弁ではほとんど見られなくなった、おかずを入れたサンドイッチ。窓から中が見える紙箱には、おしながきを兼ねた掛紙を巻く。中身は厚切りカツサンドと玉子焼サンドが各1切れと信州ワインブレッド、ラティスカットという網目模様のポテトフライ、信州サーモン燻製入りマリネ、信州ハム製ウインナー2本。値段と分量の設定が難しそうだが、駅弁が多様性を失わないよう、こんな創作があってよい。
長野新幹線の金沢駅への延伸、北陸新幹線の金沢駅までの開業を記念して、その開業日の2015(平成27)年3月14日に発売。同年10月のJR東日本の駅弁キャンペーン「駅弁味の陣2015」にエントリーした。食品表示ラベルでは弁当の名前を「山菜と信州サーモンちらし」とする。正八角形の木製エコ容器をふたつ重ね、駅弁の名前を書いた掛紙を巻く。
長野の善光寺の御開帳などの際に前立本尊(まえだちほんぞん)と結ばれる「善の綱」と重ね合わせたという中身は、上の「一の段」に上段に5種の串やゼンマイやタケノコなど、下の「二の段」にサーモンと山菜のちらしずし。これは美しいお弁当で、その見た目と同じくらい、味も上品。
※2019年11月補訂:写真を更新2008(平成20)年11月1日の発売。白いパッケージには、長野駅の旧駅舎、飯山の正受庵、上田城、横川駅〜軽井沢駅のアプト式蒸気機関車を描く。中身は栗入りいなり、山菜入りいなり、梅味とソース味のとんかつ巻き各1個、丸々太ったサーモン笹寿司、シメジと牛肉の炒め物、りんごのコンポートなど。他の駅弁で見ないものを、多種で雑然のはずがていねいに収める。いろんなものを味わえた気分になる、真のなんでもまるごと弁当。
※2019年11月補訂:写真を更新長野新幹線の車内販売で買えたサンドイッチ。ハム玉子サンドとポテトきゅうりサンドが3切れずつ、サンドイッチ向けプラ製容器に収まるという、街の中でも車内販売でも惣菜としてどこでも買えるタイプのサンドイッチ。調製元が115年間もの長きに渡り長野駅の駅弁屋であったものの2007年1月に撤退したナカジマ会館と似た社名を持つところが大いに気になったが、はたして何らかの関係があるのだろうか。長野駅の売店では、この商品は見掛けなかった。
上記の商品「フレッシュサンドN」の、2012(平成24)年3月時点での姿で、やはり長野新幹線の車内販売で買ったもの。価格と野菜に違いがあるが、ほぼ変わらない。
いつから駅売りされているかは分からないが、商品としては1972(昭和47)年に発売したそうな。中身は商品名のとおり、栗おこわに漬物を添えるだけという自信作。見た目に素朴で上品だが、甘味がちょっと強かったような。調製元の竹風堂(ちくふうどう)は小布施で老舗の栗菓子屋。同じものが直営店で売られており、これは駅弁ではなく郷土の名物である。
小布施は長野駅から長野電鉄の電車で約40分の小さな町。江戸時代の浮世絵師である葛飾北斎にちょっとだけゆかりがあり、1976(昭和51)年に町には相応でない美術館「北斎館」を造ってしまう。その人気にあやかって北斎館の周辺で1980年から1987年にかけて町並修景を進めたことで、今では年間で約100万人の観光客が訪れる人気の観光地となった。
2017(平成29)年7月から9月までのJRグループの観光キャンペーン「信州デスティネーションキャンペーン」の開催に合わせ、その期間中に販売された。8区画の中身は、梅と野沢菜の俵むすび、信州サーモン押し寿司、信州産牛の時雨煮の御飯、信州サーモン味噌焼と厚焼き玉子、信州ポークカツ、タケノコの木の芽味噌和え、野沢菜のわさび漬けとナガイモの酢漬け、りんごのコンポートとあんずシロップ。よくあるタイプのなんでもまるごと駅弁も、見た目が美しく、味もまた美しく。
JR東日本の新潟・長野・高崎の3支社合同の販売促進企画の一環で、2015(平成27)年7月18日から11月30日まで、新潟県の上越妙高駅、長野県の長野駅、群馬県の高崎駅で、同じ名前と容器と価格に異なる内容で販売される期間限定駅弁。これは長野駅版。
透明なふたをした竹皮編み容器の中で、白いシートを介して置かれる中身は、海苔巻、十穀米、豆御飯の俵飯各1本、白米と黒ゴマの俵飯3本、鶏唐揚、豚焼き、焼サケ、玉子焼、梅干し、わさび漬けなど。つまりだいたい、おにぎり駅弁。どこが信州や長野なのかは分からないが、俵飯の色と形と配置に、おしゃれなつくりを感じた。
北陸新幹線向けE7系新幹線電車の運行を記念し、2014(平成26)年3月14日から2015(平成27)年3月13日まで販売。黒い掛紙には、その名と電車の写真とロゴマークのみを記す。8区画の中身は、野沢菜のミニおやき、姫だんご、マス寿司、治部煮、はちく竹煮、きのこ御飯、豚角煮、野沢菜わさび漬、ナガイモ酢漬。添付のしおりで、新幹線が2015年の春に開業予定であることと、長野と上越妙高(新潟)と富山と金沢の内容を取り入れたことが分かる。
北陸新幹線は2015(平成27)年3月14日に開業。正しくは、北陸新幹線の高崎駅から長野駅までの間は、1997(平成9)年10月に開業していたものの、北陸地方に達していないため駅や時刻表では「長野新幹線」と呼び、これが長野駅から金沢駅までの開業で呼び名と公式な名前を合わせたもの。この延伸開業に向けて、JR東日本E7系電車とJR西日本W7系電車を製造した。E7系は金沢駅までの開業を前に、2014(平成26)年3月14日のダイヤ改正で東京駅と長野駅を結ぶ「あさま」一部列車で営業運転を開始、その日からいわゆる北陸新幹線の開業までが、この駅弁の販売期間であった。
2011(平成23)年の夏に限り、東京駅のみで販売か。9区画の正方形でプラ製の惣菜容器を、細かい文字で宣伝文やお品書きなどを書いた掛紙で包む。中身はサーモン粕漬焼、サーモン玉子焼、野菜のぬか漬け、サツマイモ茶巾、レンコン餅、サーモンマリネ、お米の和風サラダ、きのこ御飯、アスパラ豆腐など。フレンチの香りがするおつまみ弁当は、この調製元の得意分野。少量と高額を気にしなければ、個性が生きている。
この駅弁は調製元の破産により2012年3月30日までに終売となった模様。
2010(平成22)年10月から12月までのJRグループ「信州デスティネーションキャンペーン」に合わせて、同年9月1日に発売。通常はこの容器の二段重ね18区画で2,000円の駅弁である模様。9区画を持つ市販の正方形のプラ製容器を使用、中身のイメージ写真をメインに据えた掛紙で巻く。
中身は左上から時計回りに「信州サーモンのオモニエール」「信州アルプス牛煮込みイカ墨の香り」「古代米、そば米、キノコのライスサラダ」「半熟玉子味付き薫製」「信州産福味鶏のガランティーヌ(洋風肉巻き)」、「信州産茄子のコンフィと冷製薫製野菜」「信州産鹿のテリーヌ」「セロリと信州産鹿のシチュー」で、真ん中に「信州サーモンの吟醸炭火焼」。
駅弁の名前のとおり、ビールではなくワインに合うべき9区画のおつまみであり、長野駅弁で見たゆで卵と前者に入る焼鮭でようやく駅弁を思い出すもの。今までの長野駅弁は少々野暮ったいところがあったが、この路線がヒットすればリゾートや高原の地域性が結び付くと思った。調製元の破産により、2012年3月30日までに終売。
※2012年4月補訂:終売を追記2004(平成16)年の秋に発売か。長野駅の他の駅弁でも使われる、小柄で細長い竹編み容器に割りばしなどを置き、商品名と宣伝文を描いた黄色い掛紙で巻いて、紙ひもでしばる。竹皮柄の紙に包まれた中身は、松の実混じりの松茸御飯に醤油豆や小ナスなど。
松茸は薄く小さいのが3切れしか入らず、見栄えでは一瞬ガッカリするものの、松茸御飯そのものの豊かな香りと柔らかな食感は、なかなかのもの。販売期間は秋季限定、というより10月限定ではないかと思われるが、調製元が駅弁を含む食品事業から撤退したため、今後に販売されることはない。
2003(平成15)年に発売か。細長い竹編み容器に割り箸を載せて、商品名を記した朱色の掛紙を巻き、紙ひもで十字にしばる。ふたを開けると緑色のお品書きが登場。中身はタケノコ御飯に焼きタケノコを載せて、ニシンとタケノコの旨煮、タケノコの味噌挟み、タケノコの魚すり身巻き揚げなど、おかずにもタケノコをいろいろ使い、醤油豆を添える。
とても淡泊な風味に物足りなさを感じるか好ましさを感じるか。類例に乏しい個性と雰囲気の良さに駅弁らしさを演じる。タケノコよりも醤油豆を求めてこれを買う人もいるそうな。1月から8月までの販売。
この駅弁は調製元の駅弁を含む食品事業撤退により、2007年1月末で終売となった。
※2007年2月補訂:終売を追記細長く絵柄が版画風に派手なボール紙パッケージ。中身はトレーのキノコ型のくぼみに収まるキノコ御飯に、エリンギフライや焼き魚、鳥肉やベーコン玉子焼、ゴボウやがんもどき、野沢菜におはぎなど。きのこたっぷり、信州たっぷり、風味豊かな駅弁の鑑。消費者の評判も高い。
長野駅弁は関東の駅弁催事ではあまり買えないイメージがあるが、東京駅弁の日本レストランエンタプライズ(NRE)が2004年から展開する駅弁売店「駅弁屋旨囲門」には多くの商品が送られて存在感が大きく、東京での入手がしやすくなった印象。
この駅弁は調製元の駅弁を含む食品事業撤退により、2007年1月末で終売となった。
※2007年2月補訂:終売を追記2002(平成14)年11月のリニューアル。赤い豪華絢爛な感じの柄を持つ長方形の容器に善光寺を描いた掛紙をかけてゴムひもでしばる。中身は精進料理になっており、湯葉フライや山芋磯部揚、鮭リンゴ焼揚や山菜、胡麻豆腐や黒米むし、織部ごはんとはすの実ごはんなど全16品。そのコンセプトによりおかずに困る感じもするが、見た目や善光寺御公許という立場を裏切らない風味と品質の良さがあり、これが千円ならお買い得。
善光寺は、江戸時代は伊勢に次ぐ観光地で今も長野市街最大の名所。7年に一度つまり6年ごとの御開帳は約2か月で数百万人もの参拝客を集める。この駅弁も2003年4月から5月までの御開帳に向けてリニューアルされたのだろう。掛紙に描かれる国宝の本堂は観光写真でも正面から撮られるが、その幅や高さの約2倍もある奥行きこそ注目すべきだと思う。
この駅弁は調製元の駅弁を含む食品事業撤退により、2007年1月末で終売となった。
※2007年2月補訂:終売を追記竹皮製の柔らかい長方形の容器に掛紙をかけて緑色の紙ひもでしばる。その中で竹皮を模した紙に包まれる中身は、駅弁の名前どおりの山菜栗おこわ。栗が持つ自然な甘さと、シロップ漬けの不自然な甘さがほのかに同居し、少量の山菜が風味と食感にアクセントを付ける、柔らかな雰囲気の良い強飯。しかし輸送の影響か、購入したものは硬い米粒がちらほらと。
長野駅は1997年10月の長野新幹線開業に伴い、善光寺を模した重厚な駅舎が取り壊されて変哲のない橋上駅に変えられたが、駅弁には山の田舎の雰囲気が見た目で残るものが多いと思う。簡素以上過剰以下な包装がその雰囲気を出す。
この駅弁は調製元の駅弁を含む食品事業撤退により、2007年1月末で終売となった。
※2007年2月補訂:終売を追記1931(昭和6)年12月29日の調製と思われる、昔の長野駅弁の掛紙。「苅萱餅」(かるかやもち)とあるので、弁当でなく銘菓のたぐいであろう。商品は現存しないようなので、これが何かは分からない。善光寺本堂のように見えるシルエットに商品名を記す。降幡利治「信州の駅弁史」によると、開業時の長野駅では旅館7軒と夏目、成島、丸上の販売人が構内営業を実施、1906(明治39)年に駅長の方針で中島と夏目に弁当類を、成島に雑貨類を販売させた。成島は1932(昭和7)年に営業譲渡したとのことで、この間に販売された商品なのだろう。