名古屋駅から特急列車「ひだ」で約45分。美濃加茂市は岐阜県の南部に位置する、人口約6万人の宿場町。かつて日本ライン下りの観光客で賑わい、今は工業都市として栄える。駅弁は1924(大正13)年から売られ、1955(昭和30)年に業者が交代し、釜飯や立ち売りが親しまれたが、2019年の廃業で消えた。1923(大正10)年11月12日開業、岐阜県美濃加茂市太田町立石。
1959(昭和34)年に発売。「舟弁当」なきあと、美濃太田駅で最も有名な駅弁であり、駅で普通に買えた唯一の駅弁。ふたまで陶製の釜飯容器に、山や松茸や必要な情報を描いた薄手の掛紙をかけて、ひもで十字にしばる。中身は茶飯の上に松茸、鶏肉、タケノコ、ワラビを載せて、グリーンピースを散らしてさくらんぼを添えるもの。
個人的に日本一普通の味がするマツタケ駅弁だと思う。マツタケの高騰により、昭和中期には全国各地で秋の味覚を提供していたマツタケ駅弁も、今は高価で入手難かつ素晴らしいものと、駅弁催事に出てくる味や香りが足りないものに分かれてしまった。これは駅で一年中買え、たまにはこうやって駅弁催事に出てくるが、マツタケの程良い分量と味と香りと食感が、いつでもちゃんと確保されている。
しかもこの駅弁は、立ち売りで売られた。美濃太田駅は、JR東海管内や中部地方で唯一、駅弁を立ち売りする駅であり、21世紀の時点で栃木県の宇都宮駅から福岡県の折尾駅までの巨大な空白を埋める貴重な存在だった。美濃太田駅は見た目でもはや、駅弁が売れる駅ではないだろうから、駅弁文化の維持と継承のために買い支えなければならないと思った。なお、美濃太田駅構内と特急列車「ひだ」の車内販売では、JRの指導により軽いプラ製の釜飯容器を使用していた模様。
調製元の駅弁からの撤退により、2019年5月限りで終売。国鉄時代は一日で300個から400個が売れたというが、末期には10個以下しか売れなかったという。終売の情報は新聞やネットやテレビに載り、5月末には一日で100個以上が売れるようになり、最後の販売日を観光列車「ぬくもり飛騨路号」運行日の6月1日まで延伸したという。
この駅弁は、名古屋駅の駅弁屋である松浦商店に引き継がれ、2019(令和元)年の秋からスーパーの駅弁大会で売られるようになった。
※2023年4月補訂:現況を追記2009(平成21)年1月24日に購入した、美濃太田駅弁の掛紙。中身や意匠が変わるものではない。下記の2001年5月のものに比べて、食品表示がラベルでなく印刷になり、注意書きが加わり、駅弁マークも加わった。
2001(平成13)年5月3日に購入した、昔の美濃太田駅弁の掛紙。この直後に駅弁資料館の制作を始めたことから、当館で昔という扱いをする最新の駅弁だと思う。立ち売りで買い、太多線の車内で食べた。アメリカからの外圧により、食品には調製(製造)年月日ではなく消費(賞味)期限を入れるよう国が指導するようになり、この駅弁も調製日時が不詳であるが、この頃の多くの駅弁では両者を併記した。
おそらく1990(平成2)年の、1月4日11時の調製と思われる、昔の美濃太田駅弁の掛紙。1989(平成元)年4月に消費税が導入され、1990(平成2)年には松茸の釜飯が900円に値上げされたので、その間となる。絵柄は下記の昭和時代と変わらない。
1985(昭和60)年4月14日10時の調製と思われる、昔の美濃太田駅弁の掛紙。当時も以後もおそらく、まったく同じ駅弁が立ち売りされたことだろうが、掛紙の絵柄が異なる。マツタケとシイタケやタケノコに日本ラインとその山並みを描いたのだろう。
手桶型の美濃焼容器に木製のふたをして、掛紙をかけて紙ひもでしばる。中身は酢飯の上に海老、タコ、うなぎ、玉子焼、椎茸、キュウリなどを載せるもの。ちらし寿司にしては具が豪華で容器にも凝っているのに価格は千円以下と、お買い得な感じ。ただしふらりと駅に立ち寄っただけでは滅多に手に入らないようで、購入は予約か駅弁大会で。価格は2004年の購入時で950円、2015年時点で1,000円。調製元の撤退により2019年5月限りで終売。
美濃太田駅は1998(平成10)年3月に橋上駅舎化。その姿は無機質に近代的な通勤通学用で旅行気分はまるでなし。そんな駅に古風な駅弁と立売販売があっても違和感が先行するので、駅弁屋はよく頑張っているなと思う。エレベーターがJR各ホームに設置されるのに長良川鉄道のホームにないのは、将来の何かを暗示しているかどうか。
※2019年8月補訂:終売を追記1962(昭和37)年に発売。駅弁の容器としては日本一級の複雑な形状を持つ美濃焼を用いる、駅弁通に知られた駅弁。日本ライン下りの屋形船をイメージした、容器のふたイコール屋根を持ち上げると、中身は茶飯の上に駅弁としては厚手の松茸に加えて椎茸や鶏やタケノコなどが乗る釜飯風松茸弁当。同じ駅の駅弁「松茸の釜飯」と、中身は同じ。食後は容器を小物入れや灰皿にすることが推奨される。
美濃太田駅では一日2個限定で、ふらりと訪れてもまず買えなかったが、2004年度まではスーパーやデパートの駅弁大会に多く出荷され、購入は容易だった。容器のストックが切れ次第、販売を終了することを決めたそうで、2006(平成18)年の春をもって終売。ところが同年末に駅弁屋が大掃除をしたら容器が出てきたとのことで、ごく一時的に販売が再開されたそうな。
※2007年1月補訂:一時復活を追記第二次大戦前のものと思われる、昔の美濃太田駅弁の掛紙。小山観音と日本ラインの一部を描く。路線図の行き先から、高山本線の岐阜駅〜美濃太田駅〜富山駅が全通した1934(昭和9)年10月や、越美南線が北濃駅に達した1934(昭和9)年8月より後のものか。崩し字が読めない調製元は「礒谷ひさ」だろうか。戦前昭和の美濃太田駅の構内営業者であり、上記の駅弁を販売した1954(昭和29)年創業の向龍館とは、おそらくつながっていない。