東京駅から新幹線で約1時間40分。名古屋市は愛知県の西部で伊勢湾に面する、人口約230万人の城下町。日本国内第三の大都市圏として、製造業や商業で大いに栄える。駅弁は改札外コンコースや新幹線改札内で3社約50種が積まれ、地元や近隣の弁当なども加えて、こちらも大いに栄える。1886(明治19)年3月1日開業、愛知県名古屋市中村区名駅1丁目。
2007(平成19)年9月に、名古屋駅の新幹線改札外にあった駅弁実演販売コーナーで発売。掛紙は昔の名古屋駅弁のものを使用、発売時は「大正11年創業当時の掛紙」「昭和の御大典の掛紙」「時刻改正の掛紙」「国際観光年(1967年)の掛紙」を日替わりで使用した。2017年頃から、1972年の名古屋駅弁で使われた汽車100年シリーズの掛紙20種類のうちどれかが使われる模様。今回はその2番目の、国有鉄道7100形蒸気機関車のバージョンで売られていた。
中身は昔懐かしい味の幕の内弁当だそうで、「復刻ではございません」という注記がある。名古屋駅で名物の幕の内駅弁「こだま」と同じ容器を、掛紙をかけて使う。中身は日の丸御飯に焼サバ、白身魚フライ、玉子焼、かまぼこ、牛肉炒め煮、シイタケやタケノコの煮物、栗豆、大根桜漬など。掛紙がどうであれ、安価なのにスキのない正統派の幕の内駅弁。価格は2007年の発売時や2010年時点で630円、2015年時点で660円、2017年時点で690円、2019年時点で750円、2019年8月から770円、2022年4月から790円、2023年時点で870円。
※2023年10月補訂:写真を更新2021(令和3)年11月13日に購入した、名古屋駅弁の掛紙。1972年の名古屋駅弁で使われた汽車100年シリーズの掛紙20種類のうち、今回はその20番目の、19種類の国有鉄道車両のイラストをすべて掲載したバージョン。
2022(令和4)年10月9日に購入した、名古屋駅弁の掛紙。今回はいつもと異なり、日本鉄道構内営業中央会の鉄道開業150年記念復刻駅弁企画により、同月から期間限定で販売された31社34駅弁のひとつとして、10月1日から31日まで各地で販売した。キャンペーンのミニクリアファイルを添付。1937(昭和12)年の駅弁掛紙の絵柄を取り入れたそうで、同年の3月15日から5月31日まで名古屋で開催された博覧会「名古屋汎太平洋平和博覧會」の文字に、工業地帯や飛行機に船舶、当時は本物だった名古屋城天守を描く。
2022(令和4)年4月10日に購入した、名古屋駅弁の掛紙。今回は「汽車100年シリーズ=(3)」として、国有鉄道1010形式蒸気機関車の側面図を描いた。1010形なのに「52」と描かれるのは、私鉄の山陽鉄道が1896(明治29)年にアメリカから輸入した際に11形52号機とし、1906(明治39)年の国有化で1909(明治42)年に1010形1011号機に番号を振り直す前の姿か、その写真を参考に描いたものか。この名古屋駅弁はこの時点で、JR東海の新幹線や東海道本線の駅のキヨスクやコンビニ「ベルマート」で手広く売られており、今回は名古屋から遠く三島駅で買った。
2010(平成22)年12月11日に購入した、名古屋駅弁の掛紙。中身は上記の2021年のものと同じ。当時に4種類が日替わりで使われたという掛紙は、この時は「時刻改正の掛紙」に該当。そのデザインから、時刻表の表記が午前午後の12時制から現在の24時制に変わった1942(昭和17)年11月15日のダイヤ改正のものではないかと思う。
2014(平成26)年にナゴヤドームのお弁当として発売か。駅での販売は翌2015(平成27)年からか。幕の内弁当らしくなく9区画に仕切る中身は、金色に輝く専用紙箱に書かれた「みそかつ」「天むす」「えびふらい」ときしめんサラダに、きのこ御飯、わかめ御飯とはりはり漬、とんてきとポテトサラダ、昆布やタケノコなどの煮物、玉子焼と蓮根枝豆揚、練り物の串と照り焼きチキン。内容でも幕の内っぽさが皆無な、とても賑やかな駅弁。
2000(平成12)年の前後に発売か、それ以前からの販売か。八丁味噌のように赤みがかる専用紙箱には、味噌の仕込み風景や宣伝文を書いている。中身はゆかりご飯と白飯の俵飯に柴漬けを載せ、みそかつ2枚、焼売、きしめんサラダ、エビフライと肉団子、タケノコなどの煮物とかまぼこと玉子焼、サワラ焼と蓮根枝豆揚、はじかみとさくらんぼを詰めるもの。名古屋や味噌の味を詰めた、幕の内タイプの駅弁。
2008(平成20)年の発売か。路線を省略する度合いが不思議な鉄道路線図と、名古屋城やテレビ塔などを描いたボール紙のパッケージを使用。黒いプラ製トレーに収めた中身は、日の丸俵飯、サケ焼とかまぼこと玉子焼、白身魚フライ、しゅうまい、焼き鳥、牛しぐれ煮、ちくわ天、金時豆など。中身はその内容も姿も分量も、幕の内駅弁の定番と基本を押さえながら、少しだけ愛知県してる。価格は2012年の購入時で680円、2015年時点で756円、2016年時点で700円、2023年時点で750円。
※2023年9月補訂:価格の改定を追記駅弁の名前は単に「なごや」とも。名古屋駅の幕の内弁当の、松浦商店版。正八角形の容器の半分に俵飯を、半分におかずとして、タケノコやシイタケなどの煮物、玉子焼に紅白のかまぼこ、焼きサバにチキンロール、アナゴ八幡巻に有頭海老、カニカマフライに磯扇フライなどを詰める。眺めて食べて美しい正統派の幕の内駅弁。「幕の内こだま」がカジュアルならば、こちらはフォーマル。価格は2012年の購入時で1,000円、2014年4月の消費税率改定で1,030円、2016年時点で1,050円、2022年時点で1,080円、2023年時点で1,150円。
※2023年9月補訂:値上げを追記2017(平成29)年1月の京王百貨店の駅弁大会でのみ販売か。今回の京王でひっそりと集めて輸送販売していた、価格を1,000円に統一した各地の駅弁のひとつか。電子レンジ対応品のような、つや消しの白いプラ容器に、梅しその俵飯4個と柴漬け、みそかつ、エビフライ、焼サワラ、サトイモやシイタケなどの煮物、焼ウインナー、きしめんサラダ、ういろうの三色団子を詰める。四半世紀前に東海道新幹線の列車内の売店「カフェテリア」で売られたような、簡易な商品。よく観察すると、中身の名古屋が凝縮されていた。
2008(平成20)年か、それ以前の発売か。仕出し弁当風の専用紙箱に収まる黒いトレーの中に、白御飯と赤飯の俵飯、焼きサバ、かまぼこ、玉子焼、カボチャやサトイモなどの煮物、山菜、うの花、インゲンのごま和え、春雨、ピーナッツ煮、桃とチェリーなど。駅弁ではまず見ないうの花(おから)が入ることが印象的。
「幕の内昭和」と何が違うのかと思って公式サイトを見ると、揚げ物のない幕の内弁当という位置付けだそうな。元日に購入したため、この日や時期のために目出度い駅弁を売っているのかと思ったら、そうではなく一年中この名前と姿で買える模様。価格は2013年の購入時で750円、2016年時点で770円、2020年時点で864円。どうもこれは、駅で売られる商品でなく、調製元の仕出し弁当として配送される商品である模様。
※2021年3月補訂:駅で買えないことを追記2011(平成23)年の発売か。商品名とお品書きと名古屋駅ビルを描いたボール紙製パッケージには、日の丸俵飯を収めた黒いプラ製トレーと、ソース味のチキンカツとエビフライ、鮭西京焼と玉子焼とかまぼことつくね、シイタケやカボチャなどの煮物、あんかけ風パスタ、小倉サンド風ドッグ、柴漬けなどを収めた黒いプラ製トレーが入る。JRCPっぽい東京風の素っ気なさを見せながら、個性をさらりと突っ込んで名古屋らしさに染め上げた、幕の内タイプの駅弁。価格は購入時で900円、2014年4月の消費税率改定で930円。2015年までの販売か。
パッケージに振り仮名付きで記され、駅弁の名前の一部になっている「名駅(めいえき)」は、名古屋人限定の名古屋駅の呼び名であり、名古屋駅の所在地やその周辺の地名である。
※2017年5月補訂:終売を追記2007(平成19)年6月の新作だそうな。9区画の正方形のプラ製容器を、中身と駅弁の名前を賑やかに描いたボール紙の枠にはめる。中身はひつまぶしことウナギの小片を載せたタレ御飯と、錦糸卵を載せたとりめし、天むす、みそかつ、手羽先、きしめんサラダ、みそおでんこと煮玉子、どて、ういろう、守口漬。これのどこが「幕の内」なのかと思うが、見た目で確かな名古屋ないし愛知。よそ者には厳しい味や食べ方についても容赦ない。2013年頃までの販売か。
※2015年10月補訂:終売を追記名古屋駅の無名なJRCP版上等幕の内駅弁。カキツバタの花を描いた長方形ボール紙容器を使用、中身は日の丸俵飯に焼鮭・蒲鉾・玉子焼、白身魚フライに鶏竜田揚、菜の花にゴボウにてまり串に煮物や付合せの各種など。意外と言っては失礼だが高品質な幕の内駅弁で、新幹線の車中食としても酒のつまみとしても使える出張の友。現存しない模様。
カキツバタは。日本全国に分布するアヤメ科の多年草。愛知県の県花で、伊勢物語に収録される在原業平の歌が知立市で詠まれたり、刈谷市のカキツバタ自生地が国の天然記念物に指定されたり、名古屋駅のホームの大阪側のうどん・そば屋が「麺亭かきつばた」であったり、名古屋競馬に重賞レース「かきつばた記念」があるなど、愛知や名古屋に縁がある植物。
名古屋駅の幕の内弁当の、JRCP版。広重「東海道五十三次」鳴海の絵を描いた紙箱に黒いトレーを入れて、食品表示のシールで封をする。中身は幕の内駅弁なので俵飯に各種のおかずという構成なのだが、そのおかずが骨付鶏、さざえ壺焼、エビフライ、鰻蒲焼とけっこう豪華でデザートにういろうも付いており、それでいて大都市駅の幕の内駅弁なのに千円を切る価格が付けられている。2004年頃までの販売か。
※2015年10月補訂:終売を追記名古屋駅の幕の内弁当のだるま版。市販の仕出し弁当向け容器と同じく、ボール紙の箱にプラ製トレーを収める構造を持つが、黒と華でできた箱の絵柄に高級感があり、真っ黒なプラ製トレーもこれにリンクする。中身は正に幕の内駅弁。俵飯に鰆の焼き魚と身厚な蒲鉾と金色の玉子焼、海老焼売に鶏照焼に帆立や各種煮物、ポテトフライに茎わかめにデザートにはオレンジという内容で、地域色はないが実力のある駅弁。名古屋の駅弁にはみそカツや鶏の他にも具の種類が多いという特徴があるので、その点では名古屋を表現しているか。現存しない模様。
駅弁で「だるま弁当」といえば、群馬県高崎のものが有名だが、こちらは「だるま」という駅弁業者が出す幕の内弁当の意味である。正八角形の容器にだるまを描いたボール紙のふたをかける。中身は俵飯7個に焼き魚(鰆)、蒲鉾、玉子焼の幕の内駅弁三種の神器、エビフライに帆立に昆布巻に煮物が少々、という構成。現存しない模様。
名古屋には、かつて特殊弁当という専門用語でくくられた特色ある駅弁が数十種もあるので、駅弁を楽しみたい時に買う駅弁ではないが、幕の内が(で)良い場合には、基本性能が高くお茶を付けても千円以下となるこの駅弁が有力な選択肢となるはず。
エビフライが入っている点に名古屋を感じるが、これはタレントのタモリが「えびふりゃ〜」と名古屋ギャグのネタにして一世を風靡(ふうび)したとかで、なんとなく名古屋名物っぽくなったらしい。実際に、名古屋の海老の世帯年間消費量は全国平均と差がないとか。
1976(昭和51)年10月9日17時の調製と思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。歌川広重の浮世絵「東海道五拾三次之内」の宮に描かれた、熱田神宮で5月5日に行われた馬の塔の神事の絵柄を、ここに流用した。
1973(昭和48)年5月27日5時の調製と思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。価格やデザインは1972年12月のものとまったく同じである。
1973年の調製とされる、昔の名古屋駅弁の掛紙。あるいは駅弁屋が調製し市中向けに販売したお弁当か仕出し弁当かもしれない。「御料理」「御はん」の掛紙だけでは何も分からない。
1972(昭和47)年12月29日9時の調製と思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。徳川の家紋と名古屋城天守閣の墨絵を描いたデザインは、三十年の時を経てもまったく色褪せていない感じを受ける。
1972(昭和47)年5月18日6時の調製と思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。実際に製作したのだろうか、信長・秀吉・家康の木工人形を縦列に並べる。それに「郷土英雄人形」のタイトルが付くが、信長と秀吉はともかく家康を名古屋の英雄としていいのかとは思う。
1960年代、昭和35年前後のものと思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。おかずの掛紙に描かれた建物は、3代目の名古屋駅舎。線路の高架化と旅客専用駅化と鉄道庁舎の統合のため、12年間かけた駅改良工事により、1937(昭和12)年2月に完成、1945(昭和20)年3月の空襲による全焼を経て、1993(平成5)年まで使われた。
1960(昭和35)年7月1日5時の調製と思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。テレビ塔としゃちほこで名古屋らしい図柄。調製元は京都の都ホテル。1956(昭和31)年11月から1990(平成2)年3月まで、東海道・山陽・鹿児島本線や東海道・山陽新幹線の列車食堂を営業した。
1941(昭和16)年12月15日5時の調製と思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。「沈黙!!一人一人が防諜戦士」と、九○式鉄帽の帝国陸軍兵士がにらみを利かせる、戦時色が強烈な掛紙である。その絵柄や文字のためか、戦争中の名古屋駅の駅弁掛紙は比較的多く残されているのか、戦時や駅弁を紹介する書籍の多くに、これが掲載される。
1941(昭和16)年5月19日11時の調製と思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。「国民精神総動員」「戦地偲んで感謝の節米」をキャッチフレーズに、慰問袋を抱える兵士の絵柄と、停止価格のマル停マーク。戦時色の強い掛紙である。「水筒を成るべく御携帯下さい」という呼び掛けは、なぜだろうか。
1941(昭和16)年4月15日6時の調製と思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。一降り二乗り一列励行「一列励行でお年寄も女子供もあんしんして乗れますな」に、みんなで綺麗に清潔に「これこれ腰掛の下に置きなさい」と、今に通じるマナーポスターであるが、このような絵柄の駅弁掛紙が作られたのは、政府の価格統制によるマル公マークやマル停マークが付くような、第二次大戦中のことである。
1940(昭和15)年1月3日19時の調製と思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。この年は神武天皇即位紀元つまり皇紀の2600年。全国各地で盛大に祝われ、駅弁でも各地で記念の掛紙が使用された。
1938(昭和13)年8月9日7時の調製と思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。凛々しく描かれる名古屋城の天守は、この掛紙で國民精神の總動員を呼び掛けた太平洋戦争により、1945(昭和20)年5月14日の空襲で焼失した。14年後の1959(昭和34)年に鉄筋鉄骨コンクリート造で再建。
1938(昭和13)年2月18日6時の調製と思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。おかずの掛紙は日章旗とナチスドイツ国旗とイタリア王国旗の絵柄を持つ鳥に国民精神総動員という、前年11月の日独伊防共協定や前年9月からの国民精神総動員運動を背景に持つと思われる戦時色の濃い絵柄、御飯の掛紙は一転して二重折の使い方を解説する平時からの絵柄。
1934(昭和9)年5月3日18時の調製と思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。その絵柄は名古屋城と桜花に見える。左下には名古屋城公開として拝観料や拝観時間などの案内があるが、こういう情報が駅弁の掛紙に記されるのは珍しいと思う。
1932(昭和7)年8月17日18時の調製と思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。名古屋城公開の案内チラシを兼ねている。この前年の2月11日に初めて内部が一般公開された名古屋城は、当時も多くの観光客を集めていただろう。1945(昭和20)年5月の空襲で焼失し、現在の建物は1959(昭和34)年10月に再建されたもの。
第二次大戦前の調製と思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。蒸気機関車の動輪をデザインしたマークに「鉄道殉職者祭典」「名古屋鉄道局」とあり、その祭典の際に販売または配布された弁当だろうか。
1928(昭和3)年11月21日1時の調製と思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。この年は昭和天皇の即位の年で、一年を通して各地で記念行事が行われた。名古屋でも9月15日から11月30日まで鶴舞公園で「御大典奉祝名古屋博覧会」が開催され、194万人もの来場者を集めた。
1928(昭和3)年1月6日1時の調製と思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。これは正月の絵柄だろうか、日の丸に松葉と玩具か何かを描く。
1925(大正14)年2月19日11時の調製と思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。描かれているのは名古屋城と熱田神宮か。
おそらく1920年代、大正時代末期か昭和時代初期のものと思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。名古屋城と熱田神宮を描いたのではないかと思う。
1919(大正8)年4月27日の調製と思われる、昔の名古屋駅弁の掛紙。熱田神宮、中村公園、鶴舞公園のミニイラストと、名古屋エリアの簡単な鉄道路線図を描く。調製元の服部茂三郎は、1886(明治19)年4月から1923(大正11)年10月まで名古屋駅で駅弁などを立ち売りし、老齢と相続人の病身のため松浦弥兵衛を後継営業人に推挙、これが現在の松浦商店となる。