第二次大戦前のものと思われる、昔の網干駅弁の掛紙。収集者は1920(大正9)年のものとしていた。網干駅の西約3kmを流れる揖保川(いぼがわ)では、今も鮎釣りができるという。調製元の旭栄軒は、大阪駅弁の水了軒の支店として1902(明治35)年に阪堺鉄道の堺駅で約5年間売店を営業し、1908(明治41)年11月に網干駅へ移転、1946(昭和21)年1月に加古川駅へ移転し、1990(平成2)年頃まで営業していたという。
これは駅弁でなく、明石海峡大橋の淡路島側に位置する淡路サービスエリアで販売されていた土産物。板昆布と笹の葉を貼り大葉と生姜を混ぜた焼サバ寿司が1本、ビニール袋に密封されて市販の白い紙箱に収まり、商品名とブランド名を書いた掛紙が巻かれる。食品表示によると高速道路の商品としては珍しく地元で製造されているようであるが、油漬けでべたべたした残念な印象。調製元は江戸時代創業の海産物卸問屋。
神戸淡路鳴門自動車道は、昭和の頃は瀬戸大橋あるいは本州四国連絡橋の神戸・鳴門ルートと呼ばれていた、淡路島を縦貫して明石海峡と鳴門海峡に長大橋を1本ずつ架けて、本州と四国を、兵庫県と徳島県を結ぶ自動車専用道路。本ルートは世界最長の吊り橋である明石海峡大橋(全長3,911m、支間長1,991m)の完成により1998(平成10)年4月5日に全通した。同日に淡路サービスエリアも開業、駐車場やトイレ、売店やレストランから、ガソリンスタンドや花時計や観覧車まで備える巨大な行楽地になっている。
これは駅弁でなく、明石海峡大橋の淡路島側に位置する淡路サービスエリアで販売されていた土産物。小骨が浮き出るワイルドで薄く身の締まった焼きアナゴの棒寿司が1本、ビニール袋に密封されて市販の白い紙箱に収まり、商品名とブランド名を書いた掛紙が巻かれる。少量の割に高価であるが、味付けと食感が硬すぎず柔らか過ぎず、同じ調製元の焼サバ寿司とは雲泥の差。アナゴがいてサバはいない瀬戸内海沿岸では、買う前から選択の方向が見えていたかもしれない。
深夜の1時に訪問した淡路サービスエリアは満員御礼。高速千円とツアーバス盛況のおかげだろうか、過去に鉄道が捨てて駅では失われた深夜の賑わいが、高速道路には存在した。
2014(平成26)年1月の阪神百貨店の駅弁大会で、尼崎駅の駅弁として販売。実際に尼崎駅で売られたかは疑義がある。東京都新宿のキャラクター会社が持つコンテンツ「ちっちゃいおっさん」を名乗り、その絵柄がパッケージの表や裏や横や中に使われる。中身は醤油飯を鶏つくね串と鶏そぼろで覆い、焼き鳥、小松菜、クルミ、ししとう、ニンジン、うずらの卵を添える。小腹あるいは酒の友に良さそうな、味の濃い軽食の味は悪くない。4月頃まで新大阪駅か大阪駅で売られた模様。
大阪駅からJR宝塚線の快速電車で約40分。三田市は兵庫県の南東部に位置する、人口約11万人のベッドタウン。江戸時代に三田藩2万石の城下町であるも、平安時代の荘園から昭和時代までの田園風景が、昭和60年代のニュータウン開発と鉄道電化で、大阪のベッドタウンに変貌した。駅弁は1899(明治32)年の駅の開業後ほどなく、大阪駅弁の水了軒の支店ができ、「なにわ」の商号で1980年代まで営業した。1899(明治32)年1月25日開業、兵庫県三田市駅前町。
おそらく1930年頃、昭和5年頃のものと思われる、昔の三田駅弁の掛紙。絵柄は下記のものと同じだが、35銭の価格を30銭に訂正している点に違いがある。
おそらく1930年代、昭和10年前後のものと思われる、昔の三田駅弁の掛紙。とても小さな紙片に古めかしさが感じられる。なお、現在の三田駅に駅弁はない。
大阪駅からJR宝塚線の電車で約30分。かつて有馬温泉の玄関口のひとつで、武庫川にほど近いこの駅では、1905(明治38)年から第二次大戦中の1944(昭和19)年まで、鮎鮓や幕の内などの駅弁が売られた。1986年の電化で縮小移転した駅にはその痕跡もないが、神戸駅へ移転した調製元は関西と日本を代表する駅弁屋となった。1898(明治31)年6月8日開業、兵庫県西宮市生瀬町一丁目。
おそらく1930年代、昭和10年代のものと思われる、昔の生瀬(なまぜ)駅弁の掛紙。収集者は1938(昭和13)年6月7日のものとみなし、掛紙にそう記した。1986(昭和61)年7月まで福知山線の車窓でもあった、武庫川の渓流を描いたものだと思う。
生瀬駅は有馬街道のひとつが武庫川から離れる位置にあり、1898(明治31)年6月の開業時は有馬口駅であった。早くも1899(明治32)年3月に駅名を生瀬に改称、1915(大正4)年4月に三田駅から分岐する有馬線が開通したり、1928(昭和3)年に神戸有馬電気鉄道が神戸市街と有馬温泉を結ぶと、ここから有馬温泉へ行く人はいなくなったと思う。ここで鮎寿司などの駅弁を売った駅弁屋は、1945(昭和20)年に戦災で神戸駅の駅弁屋がいなくなるとそこへ移転、現在は京阪神を制圧する駅弁の大手となった。
おそらく1920年代、大正時代末期か昭和時代初期のものと思われる、昔の生瀬(なまぜ)駅弁の掛紙。この当時の近畿地方にのみ見られたと思う、名刺ほどのサイズしかない、とても小さな掛紙。だから商品名と価格と駅名と屋号に、空箱は腰掛の下に御置き下さいの注意書きを書いたら、もう満杯。
姫路駅から山陽本線の電車を乗り継いで30分強。上郡町は兵庫県南部の西端にある、人口約7千人の町。駅弁は1903(明治36)年から1980年代まで売られ、古くは鮎寿司が名物だったという。1895(明治28)年4月4日開業、兵庫県赤穂郡上郡町大持。