大阪駅から特急列車「はまかぜ」で4時間弱。兵庫県美方郡新温泉町は2005年に浜坂町と温泉町が合併してできた、兵庫県最北西部で日本海に面する、人口約1万人の町。温泉と夏の海水浴、冬のカニで観光客を集める。駅弁は駅前に商店を構える国鉄時代からの駅弁屋が、1999年に駅から撤退し、2007年頃に再参入し、2014年の夏に再撤退し、2019年1月に弁当を売り止めた模様。1911(明治44)年11月10日開業 兵庫県美方郡新温泉町浜坂字東岡。
1958(昭和33)年に発売し、以前は山陰一とも言われたカニ寿司駅弁。1999年の駅弁撤退で失われたが、ファンの要望で復活、かつての駅弁屋が運営する駅前のコンビニにて販売された。容器や包装は、浜坂駅で売られた駅弁当時のまま。カニ型を浮き出した赤いプラスティック製容器を、やはりカニを描いた本来の日本の青色な掛紙で包み、輪ゴムでしばる。中身は山陰各地のカニ寿司駅弁と同じく、無農薬有機栽培という酢飯の上に、カニ脚、カニほぐし身、錦糸卵、グリーンピースが載る。
昔は松葉ガニを使っていたというが、材料の高騰により今は別の種類らしい。それでも非公式な駅弁になってからは、以前とは似ても似つかない感じで味が落ちたとする報告が多く、私が食べたものも完全に無味無臭。地域色豊かなコンビニ弁当といった感じか。
なお、この駅前弁当として残ったかつての駅弁は、2014年の夏に販売を終えたらしい。2019年4月に神戸の駅弁屋の駅弁として復刻された。
※2023年8月補訂:復刻を追記上記の駅弁「かに寿し」の、2010(平成22)年時点での姿。容器と価格は同じで、中身もほぼ変わらない。7年の間に駅弁が再び公式なものとなり、商品が1種増えて、駅前の商店では駅弁の専用棚を設け、売り場をコンビニキヨスク程度に縮小し、鉄道整備や駅構内営業などに関する史料の展示が登場した。掛紙も現代に所要のアップデート。色合いが緑から青に変わっているが、もともと以前はこの色だったそうな。これを買うと「余部鉄橋物語」の未使用掛紙が1枚付いてきた。
2007(平成19)年5月3日に発売。正方形の容器に透明なふたをして、B4サイズの説明文を1枚添え、山陰本線余部橋梁を通過する寝台特急列車「出雲」の写真を掲載した掛紙で包む。中身は日の丸御飯とカニ寿司、玉子焼とアジの塩焼き、魚すり身の煮物、海老煮、かまぼこ、昆布巻、ホタルイカ生姜煮など。控えめな個性を持った風味良好な幕の内で、とても大きな焼き魚と玉子焼に珍しい価格が印象に残った。この駅前弁当は、2014年の夏に販売を終えたらしい。
余部橋梁(あまるべきょうりょう)は、1912(明治45)年に開通した鋼製の鉄道橋。高さ約40メートルのトレッスル橋は、昔から山陰本線の撮影名所として親しまれた一方で、1986(昭和61)年には強風で列車が転落する事故が発生するなど、厳しい自然環境に悩まされていた。
2005(平成17)年に橋梁の架け替え事業が始まり、2010(平成22)年7月からは26日間のバス代行輸送を実施したうえで、8月12日から新しいコンクリート製の橋梁を列車が走り始めた。その間に消え行く大鉄橋へ多くの観光客が訪問し、テレビや雑誌などでも話題になった。
ここで、事業費30億円のうち24億円もの負担を沿線の県や市町村が出すことを決めた瞬間に、写真の寝台特急列車「出雲」の廃止が発表され、掛紙に書いてあるとおり2006(平成18)年3月に廃止された。かつては東京や大阪や博多への優等列車や夜行列車に、中国地方の日本海側を一日かけて延々と走り抜ける長距離鈍行が、十数両の編成をもって駆け抜けた山陰本線のこの区間には、今では一日2往復か3往復の大阪発着特急列車「はまかぜ」を除くと、豊岡方面と浜坂方面の短い区間を行き来する1両または2両編成の各駅停車が細々と通過するに過ぎない。
※2015年9月補訂:終売を追記おそらく1930年代、昭和10年前後のものと思われる、昔の浜坂駅弁の掛紙。京都府や兵庫県で東海道・山陽本線より北側の、第二次大戦前の駅弁掛紙は、このようにとても小さなものが多いので不思議。9時の調製時間のみを記した調製印が、調製印の欄でない所に押される。