岡山駅から津山線の列車で約1時間半。津山市は岡山県の北部に位置する、人口約10万人の城下町及び宿場町。古い町並みから新しい商業施設までを持つ、地域の拠点。四方から路線が集まり、かつては鉄道の要衝としても賑わった。駅弁は2002年9月になくなったが、当時の駅弁が駅から遠い観光センターで販売される。1923(大正12)年8月21日開業、岡山県津山市大谷。
津山駅で名物の駅弁であり、津山で親しまれたお弁当。赤いプラ容器に白飯を敷き詰め、錦糸卵と鶏そぼろと、何枚もの丸ごとのシイタケで覆い、グリーンピースと赤かぶ漬で彩り、漬物を添える。この620円の通常版と、エビフライや肉団子やオレンジなどを加えた1,000円の特製版があった。
津山駅は、姫新線に津山線と因美線が乗り入れる、中国地方の内陸部では最大の鉄道ターミナル。国鉄の機関区が置かれ、2面4線のホームに4方向から最大10両編成の急行列車が出入りし、昭和時代は地下道に加えて跨線橋を増築するほど多くの旅客で賑わった。その状況を変えたのが、1975(昭和50)年に関西方面とつながった中国自動車道と、国鉄と神姫バスが開設した中国ハイウェイバス。鉄道の客がごっそり自動車へ移行し、昭和が終わると関西への急行列車が廃止、岡山や鳥取への急行列車も1997年に智頭急行線へ逃げ、通学定期の高校生が出入りするほかは静まる駅となった。
それでもしいたけ弁当と幕の内弁当の販売や駅そば店の営業が続いたが、2002(平成14)年9月26日に駅前の調製元が全焼、休業の後に駅弁撤退となった。翌年には駅から遠い公共施設「津山観光センター」の食堂でしいたけ弁当が復活したそうだが、ここもまた2016(平成28)年11月27日に火災で半焼し、弁当は終売となった模様。駅弁として振り返られることもなくなった。しかしこの弁当の存在は地元では忘れられておらず、2017(平成29)年の秋頃に調製元を変え、2021年現在で津山市の観光パンフレットに掲載されるほか、地元のイベントで時々販売されるという。
※2022年1月補訂:解説文を整理津山駅で販売されていた幕の内弁当。長方形の容器の中身は、俵型御飯に梅干しがひとつ、鳥足にコロッケに鯖塩焼、蒲鉾と玉子焼とカニカマ揚げその他が入っていた。津山駅弁は「しいたけ弁当」と「幕の内弁当」だけなので、「しいたけ弁当」が苦手ならばこちらを購入することになる。1,000円の豪華版もあった模様。
1990年代に使われたのではないかと思われる、昔の津山駅弁の掛紙。その絵柄は2000年代と同じ。当時は「城下店・よし乃」という支店があったようだ。しいたけ弁当は、津山駅を代表する駅弁で、津山駅で最後まで売られ、その後に津山市街でも売られた名物。
これは駅弁でなく、津山駅前の観光案内所の土産物店で買えたサバ寿司。店頭に「次回鯖寿司販売予定日」と置き看板を出すほど人気の商品なのだろう、高速道路のサービスエリアや岡山のデパートでも売られる、地元で人気の味だという。中身の見本と町並みの写真を使う専用のパッケージに、サバの酢締めの棒寿司を1本、ラップごと9切れにカットして箱詰めして収める。酢飯にもち米を混ぜたようで、たしかに飯の型が整い崩れない。酸味と弾力のある、流行を追わず流されない堅実な鯖寿司。調製元は岡山県真庭市、鉄道でいうと姫新線の美作落合(みまさかおちあい)駅の近くにある持ち帰りサバ寿司店。
これは駅弁でなく、津山駅前の観光案内所の土産物店で買えたサバ寿司。店頭に「次回鯖寿司販売予定日」と置き看板を出すほど人気の商品なのだろう。ラップごと9切れにカットした、紅生姜を挟んだ焼きサバ寿司を1本、食品トレーに横たえ、レモン袋と醤油袋とチラシを添えて、商品名と食品表示を記した掛紙を巻く。
作州(さくしゅう)とは、美作(みまさか)国、現在の岡山県の北半分の異称。ここを含む中国地方の内陸部では京都と同じように、日本海で獲れたり運ばれたサバなどの海産物を塩締めなど保存が利くようにして、運ばれたり食べられる食文化が少しはあったという。背負い寿司は、猟師が山中に背負い持参する携帯食であったと、今の作州で少し宣伝される。