新大阪駅から新幹線で約1時間半。広島市は広島県の西側で瀬戸内海に面する、人口約120万人の城下町で政令指定都市。中国地方の商工業の中枢であるほか、世界唯二の被爆都市としてもその名が知られる。駅弁は国鉄時代からの駅弁屋が多種の駅弁を販売するほか、駅ビルで山陽・九州新幹線沿線の駅弁も売られるようになった。1894(明治27)年6月10日開業、広島県広島市南区松原町2丁目。
今回は2022(令和4)年10月14日に広島駅と東京駅で発売、11月30日まで販売。日本鉄道構内営業中央会の鉄道開業150年記念復刻駅弁企画により、同月から期間限定で販売された31社34駅弁のひとつ。二段に重ねた長方形の容器にかけた掛紙は、その表面に明治時代末期のものと思われる昔の駅弁掛紙の絵柄を使い、裏面でその当時の広島駅の駅弁の歴史を紹介する。
明治30年代後半に広島駅で中島改良軒が初めて売り出した幕の内弁当のものを再現したという中身は、下の容器に白ごまの日の丸御飯、上の容器にかまぼこ、ブリの焼き魚、玉子焼、筑前煮タイプの煮物、ひじき煮、広島菜の炒め物を詰めたもの。たしかに明治時代あるいは第二次大戦前の、当時に「上等御辨當」を名乗った幕の内駅弁の体裁を備えていた。
この復刻駅弁「廣島上等弁当」は、山陽本線広島開業110周年を記念して2004年に販売したものが最初か。この時は明治時代の絵柄を掛紙とした。2013年の駅弁の日、2015年の駅弁130周年などの理由で断続的に、あるいは継続して販売された。
広島駅の駅弁屋である広島駅弁当は、広島駅の羽田別荘と吉本屋と中島改良軒と、海田市駅の山岡甲了軒と大田山陽軒の5者が、1943(昭和18)年3月に合併してできた。当時の鉄道省の広島鉄道局や門司鉄道局では、従来の個人営業である構内営業の統合や改組を進めており、広島の他にも1942(昭和17)年に下関、北九州、東筑(折尾駅)、博多、九州中央(鳥栖駅)、西九州(佐賀駅)、大分、熊本、鹿児島、宮崎で、今でいう駅弁屋の統合と会社組織化が行われた。
その多くは第二次大戦後に分割されたが、広島と下関と大分は戦後も残った。2010年には徳山、新山口、下関の駅弁屋が合併、2015年にはその駅弁事業が広島駅弁当に引き継がれ、2018年には廃業した博多駅弁を8年越しで引き継ぎ、今では広島の駅弁が広島駅から博多駅までの間で売られる。
※2023年7月補訂:過去の販売を追記駅弁の名前は「もみじ弁当」。1980年代に1,000円で発売か。昔から「もみじ」とのみ記したふたは、紅葉の絵柄と色彩でできているが、秋季限定でなく一年中買える、広島駅で定番の幕の内駅弁であり、調製元も公式サイトで一番人気と紹介する。中身は俵飯、煮穴子の押寿し、カレイ西京焼、だし巻き玉子、サトイモやタケノコなどたっぷりの煮物、広島菜炒め、大石餅。具の形や味の大きさが印象的。また、容器ごとフィルムで包むため、弁当を積み上げても崩れたり滑らず、新幹線の揺れる車内での販売で売りやすく重宝した。価格は1989年4月の消費税導入で1,030円、1997年4月の消費税率改定で1,050円、2014年4月の消費税率改定で1,080円、2019年時点で1,100円、2023年時点で1,200円、2024年時点で1,280円。
※2024年11月補訂:写真を更新し解説文を手直し値上げを追記上記の駅弁「もみじ」の、2012(平成24)年時点での姿。見た目も中身も位置付けも、だいたい同じ。甘味が大石餅かサツマイモか、ふたの側面が黄色か橙色かの違い。駅弁大会に出てくるような駅弁ではないものの、現地で定番の駅弁として君臨する。
入手状況から1992(平成4)年10月17日5時の調製と思われる、昔の広島駅弁のふたの一部。上記の20年後の「もみじ」と、その体裁は変わらなかったように記憶している。幕の内弁当という存在と内容も、変わらないのではと思う。
山陽新幹線0系新幹線電車の引退を記念して、2008(平成20)年9月10日から12月までに5,000個が販売された記念駅弁。深さのある発泡材製の長方形の容器に、0系電車のサイドビューを掲載したボール紙でふたをして、ラップでまるごと包む。
中身は日の丸俵飯にワニ竜田揚、小いわし南蛮漬、カラスカレイ西京焼、広島菜油炒め、大きな出汁巻卵、サツマイモやコンニャクなどの煮物、もみじ型のニンジンなど。広島県内の郷土料理を取り入れたおかずは風味に加えて縦の並べ方も格好良く、記念駅弁なのに食事向けに完成されている。なお、中身の「ワニ」とはサメのことで、広島県備北地方ではそう呼ばれていもの。
1964(昭和39)年の東海道新幹線東京〜新大阪間の開業時、この駅弁のふたに描かれるような今までにない形の電車が、12両編成×30本=360両用意され、最高時速210キロを常時出せるという世界に類例のない高速営業運転を開始した。
その後の新幹線の歴史は、赤字転落〜累積債務拡大〜労使対立という国鉄の転落史と重なるため、新技術の開発や採用が停滞、結果的に1986(昭和61)年まで20年以上に渡り、同じような電車が製造されることになってしまった。これで新幹線イコール0系電車というイメージが定着、2008年11月30日の0系電車定期営業運転引退は、沿線や鉄道ファンに限らない全国的な話題となり、最後の約3か月間程度は記念の撮影や乗車で賑わった。
山陽新幹線博多開業30周年を記念して、2005(平成17)年1月23日から9月30日まで販売された、沿線12駅10駅弁業者による「復刻!懐かしの駅弁」シリーズのひとつ。1975年頃に広島駅で販売されていた500円の幕の内弁当を復刻したという。ただし、復刻したのは掛紙だけで、中身はオリジナル。プレスリリースでの駅弁の名前は「昭和50年復刻御弁当」。
経木枠の長方形の容器に木目調の紙のふたをかけて、昔の掛紙の画像をスキャニングした掛紙で包み輪ゴムでしばり、割りばしごとラップに包む。中身は上等幕の内駅弁で、白ゴマの日の丸御飯に銀ムツ西京焼、蒲鉾、玉子焼、牛肉、昆布巻、煮物など。
JR西日本にとっては、2004年度「駅弁の達人」に続く駅弁キャンペーンであったが、4月25日の福知山線事故による自粛ムードのなか、有耶無耶に終わってしまった。この駅弁は10月1日以降も販売が継続された。今は売られていない。
1977(昭和52)年10月2日12時の調製と思われる、昔の広島駅弁の掛紙。自動車の少ない広島駅新幹線口、新幹線の旧型車両、調製印代わりのラベルに記されたコンピュータ印字の製造年月日に時代を感じる。
昭和40年代、1970年前後のものと思われる、昔の広島駅弁の掛紙。宮島厳島神社と広島平和公園の写真を小さく使う。
昭和30年代、1960年前後の、5月2日11時の調製と思われる、昔の広島駅弁の掛紙。宮島ロープウェーができた1959(昭和34)年4月以降、広島市の市内局番が2桁になる1963(昭和38)年頃より前のものか。宮島ロープウェーと厳島神社、平和大橋と広島平和記念資料館、原爆ドームを描く。
戦中の調製と思われる、昔の広島駅弁の掛紙。駅名も商品名も無記載のため、駅弁の掛紙ではないかもしれない。紙質でも絵柄でも、結果的に第二次大戦の末期となった頃の状況を反映していると思う。
第二次大戦前の調製と思われる、昔の広島駅弁の掛紙。収集者は1941(昭和16)年4月18日の調製とみなしていた。宮島とその市街と、厳島神社の大鳥居を描く。調製元の吉本屋は、1943(昭和18)年3月に広島駅弁当となった当時の構内営業者5社のうちひとつ。
第二次大戦前の調製と思われる、昔の広島駅弁の掛紙。広島付近の地図を描いていると思われるが、現在の地図と照らし合わせても、どこがどれを指すのかがはっきりしない。1943(昭和18)年3月に、羽田別荘その他広島駅構内営業の3社と海田市駅の2社の戦時合併により、現在の広島駅弁当が設立された。
1921(大正10)年12月31日の調製と思われる、昔の広島駅弁の掛紙。上の掛紙とほぼ同じく、広島付近の地図を描いているが、細部は不思議とまるで異なる。