岩国駅から錦川鉄道の列車で約1時間。かつて単独で町制を敷き、2006(平成18)年に岩国市へ吸収された錦町の中心地で、錦川鉄道の終着駅。人口は半世紀で5分の1に減り、錦川沿いでかつて栄えた商店街が「錦町まちぐるみ博物館」として小さな展示施設が点在。駅弁はないが、2013年から2019年頃まで、事前の予約により12時過ぎ到着の列車で「錦川清流駅弁」を受け取ることができた。1963(昭和38)年10月1日開業、山口県岩国市錦町広瀬。
2013(平成25)年10月15日に発売した、錦川鉄道史上初の駅弁。調製元は錦帯橋の近くで江戸時代に創業した老舗料理店。購入の3日前までに鉄道会社への予約が必要で、岩国駅11時過ぎ発の列車内で受け取るか、その列車の錦川駅への12時過ぎの到着時に同駅の売店で受け取るかを選ぶというのは、購入の仕組みが日本一複雑な駅弁ではないかと思う。ただし、1個から買えた。
掛紙には錦川鉄道の全車両と走行風景の写真を使う。前述の厳しい購入手順を受け、「当日15時まで」と消費期限まで印刷されている。中身は岩国寿司、レンコンの酢の物や揚げ物、煮物、きんぴら、玉子焼、焼き魚、ミニ大福など。岩国の名物が分かりやすく収まるうえ、この価格でいろんな料理を楽しめて楽しい。実は岩国錦帯橋空港の空弁「岩国錦帯御膳」と、同じ中身である。2019年までに鉄道会社が公式サイトから予約ページを削除してしまい、現存しないものと思われる。
錦川鉄道は、国鉄の廃止対象線であった岩日線(がんにちせん)を引き取った、1987(昭和62)年7月開業の第3セクター鉄道。沿線の過疎化で乗客は減り続け、鉄道事業では開業以来一度も黒字を出したことがないが、役所の補助金と、2013(平成25)年度から始めた岩国城やロープウェイなどの管理業務収入で収支を償い、さらに建設を中止した延伸予定線で2002(平成14)年7月からゴムタイヤの遊覧車「とことこトレイン」を走らせることで、鉄道の安定した運行を続けている。
※2020年5月補訂:終売を追記広島駅から普通列車で約50分。岩国市は山口県の東端で瀬戸内海に面する、人口約13万人の城下町。海上自衛隊とアメリカ海兵隊が駐屯する軍都であり、石油化学コンビナートが立地する工業都市であり、錦帯橋や岩国城などの観光地も抱える。駅弁は、今はない。1897(明治30)年9月25日開業、山口県岩国市麻里布町。
入手状況等から1970年代のものと思われる、昔の岩国駅弁の掛紙。「ディスカバー・ジャパン」のロゴマークがあるので、1975年以降のものだろう。デザインはおそらく、錦帯橋と岩国城と吉香神社。調製元は駅弁から撤退した後も仕出し弁当とホテル業を営んでいたが、2005(平成17)年5月に破産した模様。
1971(昭和46)年11月26日の調製と思われる、昔の岩国駅弁の掛紙。こちらは逆に、1970年からの国鉄の観光キャンペーン「DISCOVER JAPAN」のロゴマークがないので、仕出し弁当用の掛紙かもしれない。デザインも地域色のない紅葉とシンプル。
1969(昭和44)年1月27日6時の調製と思われる、昔の岩国駅弁の掛紙。錦帯橋と、そのそばにある紅葉谷公園と、県をまたぐが近い宮島の絵柄で構成する。
第二次大戦前の調製と思われる、昔の麻里布駅弁の掛紙。駅名は1942(昭和17)年3月31日に現在の「岩国」へ改称。当時は現在の岩徳線西岩国駅が「岩国」を名乗っていた。掛紙に描かれる名所はやはり、日本三名橋とも日本三奇橋とも呼ばれる錦帯橋。
広島駅から新幹線で1駅15分。岩国の城下町から城山を挟んだ西側約3km、または錦川の少し上流にあり、市街地から遠くないものの、山に囲まれていて雰囲気はまるで異なる。岩国駅と同じく、駅弁は今はない。1975(昭和50)年3月10日開業、山口県岩国市御庄。
新岩国駅のキヨスクで売られていた、山口県岩国の郷土料理「岩国寿司」のお惣菜。御飯に合わせ酢を混ぜて敷き、シイタケやエビや錦糸卵や魚肉などを散らし、また酢飯を敷いて具を散らし、これを繰り返した上でまとめて押し潰して切り分けるサンドイッチ。新潟県の上越地方や長崎県の大村でも見たような、甘めな積層ちらし押寿司。1,050円のものも売られていた。
山陽本線岩国駅と山陽新幹線新岩国駅には、国鉄時代には地元の駅前旅館が駅弁屋として入っていたが、1990年代に撤退し2005年には破産した。以後は広島や徳山の駅弁屋や地元の業者が入ることなく、駅弁のない駅となっている。
広島駅から電車を乗り継いで約1時間半。柳井市は山口県の南東部で瀬戸内海に面した、人口約3万人の商業都市。江戸時代までは瀬戸内や山陽道の一商都として栄え、今も市街には室町時代の町割りや江戸時代の家並みが残る。駅弁は昭和時代になくなったが、当時の駅弁屋が寝台特急列車の車内販売向けに幕の内弁当を卸しており、これが列車が廃止される2009年3月まで続いた。1897(明治30)年9月25日開業、山口県柳井市中央2丁目。
黒いプラスティックのトレーを詰めたボール紙のふた付き箱という汎用弁当容器を使用、駅弁の名前と食品表示のシールを貼り、輪ゴムで十字に留める。中身は日の丸御飯にメンチカツ、鶏唐揚、揚げたこ焼き、焼き魚など、その柔らかい食感と水気の多さは駅弁でなく仕出し弁当だと感じる。後述の販売形態からも、この弁当を駅弁と見なせるかどうかは微妙であった。
この駅弁は駅や調製元での発売がなく、東京発九州行の寝台特急列車の徳山からの車内販売でのみ、一日5〜10個が発売されたという入手困難なもの。それ以前には予約や新幹線「こだま」車内でも販売されていたとか。昭和時代まで遡ると、柳井駅は公式な駅弁販売駅で、日本初の珍駅弁「ドライカレー弁当」が有名であった。
2009年3月14日のJRダイヤ改正による、東京と九州を結ぶ寝台特急列車の全廃により、この駅弁と車内販売も同時に廃止、柳井駅弁は完全に消滅することとなった。廃止末期の寝台特急では鉄道ファンや駅弁ファンが早朝の1号車に行列をつくる、柳井駅弁の争奪戦が繰り広げられた。
※2009年4月補訂:終売により解説文を修整1955(昭和30)年7月30日の調製と思われる、昔の柳井駅弁の掛紙。まだ「特製御辨當」のような古めかしい名前で幕の内駅弁を売る所が多かった時代に、ずいぶんとモダンな名前と絵柄だと思う。
新山口駅から山口線で約25分。山口市は山口県の中央を占める、人口約19万人の県庁所在地。2005年の1市4町の合併により、瀬戸内海と新幹線駅を手に入れた。駅弁は昭和50年代まで津和野駅のものが売られており、2004年に下記の「薩長同盟弁当」が登場。1913(大正2)年2月20日開業、山口県山口市惣太夫町。
2004(平成16)年7月17日に発売された、山口駅で約20年ぶりの駅弁。長方形の容器に木目柄のボール紙でふたをして輪ゴム2本で留め、長方形の容器に維新の面々と文句を記したとても薄い掛紙をかけてまた輪ゴム2本で留める。中身は山口県産コシヒカリの白御飯を一面に敷いたうえで、左上を薩摩として海苔を振り黒豚のトンカツを載せ、右下を長州として卵とじをかけ鶏くわ焼を載せ、その間を土佐としてタケノコ土佐煮を並べる。ニンジンと漬物も添付。価格は2009年の購入時で840円、2014年4月の消費税率改定で864円。2016年頃までの販売か。
知らずに食べても分量十分、コンセプトを知ればより楽しめる。山口駅では国鉄時代に津和野駅弁が販売されていたが、1980年代に撤退して以来駅弁がなかった。山口市は山口県の県庁所在地なのに山陽山陰の交通路から外れた位置にあるためか、毎年の地価公示で最高価格点の全国県庁所在地中最低価格のタイトルを保持している。
※2021年3月補訂:終売を追記