博多駅から新幹線と在来線を乗り継いで約40分。下関市は本州西端で関門海峡に面する、人口約27万人の港町。昔から陸海の交通結節点として重要な地位を占め、県都の山口を凌ぎ県内一の人口を抱える産業都市。駅弁は国鉄時代からの駅弁屋が2010年7月までに新山口駅の駅弁屋に吸収され事実上廃業し、さらに2014年5月に新山口駅の駅弁屋も廃業したため、現存しないと思われる。1901(明治34)年5月27日開業、山口県下関市竹崎町4丁目。
博多駅から山陽新幹線で約26分。新幹線の開業時に長門一ノ宮駅を改称し、山陽本線の乗換駅とした。下関の鉄道の玄関口のひとつであり、駅周辺は新幹線の開業で建物が増えたが、新幹線は朝晩を除き各駅停車の「こだま」が毎時1本来るだけで、大きな駅は閑散としている。駅弁は下関駅と同じく、過去にあり、現在はない。1901(明治34)年5月27日開業、山口県下関市秋根南町。
2018(平成30)年1月の京王百貨店の駅弁大会で下関駅の復刻駅弁として販売。福井の駅弁催事業者のプロデュースのようで、実際に下関駅で売られることはないだろう。
「上等御辨當」「下関駅 浜吉」などと書かれた掛紙には、1942(昭和17)年7月に開通した関門海峡の海底鉄道トンネルが描かれる。中身は広島県やかつての山口県で見られる穴子飯。茶飯をカマボコのような食感を持つ焼アナゴで細かく覆い、漬物とタレを添えていた。
調製元は広島県の三原駅の駅弁屋。かつては糸崎駅で、現在は福山駅で駅弁を売る。同社は古くは尾道の旅館であり、宇野〜高松、尾道〜宇品、尾道〜多度津、徳山〜門司の船内食堂を持ち、下関駅の構内食堂も持っていたとする文献もある。
下記の駅弁「ふく寿司」の、2013(平成25)年時点での姿。調製元の吸収合併というか廃業により、新山口駅の駅弁となったが、下関駅の駅弁であった当時の姿をそのまま残したほか、下関駅の駅弁としても紹介された。
調製元の弁当事業からの撤退により、2015年4月30日限りで終売。この駅弁はさらに広島駅の駅弁屋に引き継がれ、広島駅と新山口駅での販売を始めたが、下関駅や新下関駅での販売はなくなってしまった。
※2019年6月補訂:現況を追記1989(平成元)年に下関駅などで発売。時節柄「ふくめし」を売れない時期のために開発したという。底が深く固い円形のプラ容器に、真ん丸なふくの顔を描いた紙のフタをかける。中身は酢飯の上にふくの身・ふく皮・ふくそぼろと、うにやエビや椎茸などを載せるちらし寿司。下関港はフグの水揚げ日本一を誇り、ここではフグを濁らずにふくと呼ぶ。調製元の事実上の廃業により、2010年7月に新山口駅弁の小郡駅弁当が引き継ぎ、土休日のみの販売に変わった。
※2013年5月補訂:現況を追記下関駅の駅弁としては、2008(平成20)年2月に発売。その前年から観光列車「みすゞ潮彩号」の車内弁当として存在していた模様。長方形の経木折を、「みすゞ潮彩号」の車両の写真や線図、金子みすゞのイラストと詩などを印刷した掛紙で包み、割りばしを置いてひもで十字にしばる。
中身は五目酢飯にクジラの竜田揚、フグの唐揚、いわし天、焼きサバ、玉子焼、カマボコ、ミニトマト、有頭海老、サトイモ、揚げ豆腐など。いろいろ入って食べ応えのある駅弁。調製元の事実上の廃業により、2010年7月に新山口駅弁の小郡駅弁当が引き継ぎ、土休日のみの販売に変わった。さらに2014年5月に小郡駅弁当も廃業したため、現存しないと思われる。
雑誌への投稿を始めた1923(大正12)年頃から亡くなる1930(昭和5)年までの短い間だけ創作活動を行った金子みすゞは、今や長門市や山口県西部になくてはならない観光資源である。1982(昭和57)年に児童文学作家が遺稿を発見し紹介したことで、その名が知られるようになったという。
2000年9月に駅事務室跡を資料室にしていた仙崎駅へ訪問した時には、まだその知名度は長門市街と詩人の間に留まっていたのではないかと思う。その後のITバブル崩壊の世情に合致したのか、2001(平成13)年にTBSがテレビドラマ化、生誕百周年の2003年には生家跡に記念館ができ、2007年には上記の観光列車が走り始め、今ではどこの書店でも著作が読めるようになっている。
※2015年8月補訂:終売を追記2006(平成18)年10月1日に発売。円形の加熱機能付き容器を収納するボール紙箱には、幕末に長州藩からロンドンへ留学した5名と中身の写真が載る。中身は御飯の上にシロサバフグ煮、クジラ竜田揚、アンコウ唐揚、焼明太子、帆立ウニ焼など、海産物を主にした豊富なおかずが載る。前記の具のそれぞれは、遠藤謹助、井上馨、井上勝、伊藤博文、山尾庸三の5名にあやかっているという。
容器や中身の見栄えにいつもの下関駅弁らしさがなく、どこかの誰かがプロデュースしてるのではないかと思うが、具のそれぞれが加熱機能付き容器の駅弁にしては大きくしっかりしたものを入れており、食後に満足感がある。同じ名前の映画が同時期に制作されたこともあり、この駅弁はすでに新聞等でもよく紹介されており、知名度を上げている。調製元の事実上の廃業により、2010年7月に新山口駅弁の小郡駅弁当が引き継いだが、現在は売られていない模様。
幕末の1863(文久3)年に国禁を犯して英国へ密航した、これらの留学生5名は、造幣、造船、鉄道などの技術と政治や外交のセンスを持ち帰り、明治時代にこれを生かすこととなる。
※2013年5月補訂:終売を追記最近の京王百貨店の駅弁大会で毎回、駅弁実演に囲まれてひっそりと実演販売されていた、下関のフグ寿司。とても小さい握りが箱に7個、駅弁より噛みやすく、しかしなかなか辛く、全体的には風味は良好か。現地のどこで買えるかは聞いてこなかったが、東京・横浜・大阪・神戸・下関の百貨店に店舗を持っていた模様。調製元は2011(平成23)年3月に倒産したようで、今後は買えないものと思われる。
※2019年8月補訂:終売を追記上記商品の別バージョン。中身の違いで4種ほどの商品を、2種類の掛紙を使って販売していた。下関駅と新下関駅では昔からの駅弁屋が盛業中で、その他に県内近隣で拠点性のある駅がないため、駅弁デビューは難しそうだが、見栄えを変えて市場の名物弁当などにできないものか。調製元は2011(平成23)年3月に倒産したようで、今後は買えないものと思われる。
※2019年8月補訂:終売を追記下関駅の、おそらく夏季限定のウナギ駅弁。鰻重とタレと沢庵を詰めた惣菜プラ容器に、透明なふたをして掛紙を巻いてビニールひもでしばる。駅弁であること以外に特徴はない鰻重だが、鰻蒲焼を敷き詰めず折り重ねているため、ボリューム感の演出に成功している。調製元の事実上の廃業により、2010年7月までに失われた。
2005年の訪問時、下関駅の下りホーム上にあった売店は、朝に夜行列車が到着する時のみ営業した。国鉄時代は幹線筋の多くの駅で、夜行列車の乗客を対象にした深夜や早朝の駅弁販売や売店営業が見られたが、JRになっていずれも衰退してしまったため、そんな光景はおそらくここだけに残っていた。列車の機関車の付け替えの停車時間に、乗客がホームに出て気分転換をする光景も、あとは門司駅と鳥栖駅くらいだったと思う。
※2010年10月補訂:終売を追記JR西日本の駅弁キャンペーン「駅弁の達人」の開催に合わせて、2004(平成16)年10月1日に発売。通常の冬季限定駅弁「ふくめし」(1,150円)と同じ容器を使用、中身はそれと比較してふく(フグ)の分量を増やし、炊き物、煮物、焼き物、揚げ物、炒め物でふくを楽しめるよう、ふく炊込飯、ふく唐揚、ふく炊身、ふく酒粕漬焼、ふくそぼろを入れ、おそらく彩りを取る目的でカニ爪を中心に据える。
10月1日から4月10日までの期間限定発売ながら、年間約2万個を売り上げるという。2004年度JR西日本「駅弁の達人」対象駅弁。調製元の事実上の廃業により、2010年7月までに失われた。
※2013年5月補訂:終売を追記JR西日本の駅弁キャンペーン「駅弁の達人」の開催に合わせて、2004(平成16)年5月1日発売。底もふたもすべて経木の容器に掛紙をかけて、割りばしに加え先割れスプーンも挟み込んで紙ひもでしばる。中身は御飯の上にふく(フグ)明太子、かつお、からすかれいの三種のそぼろを敷き、ふくの唐揚や酒粕焼などを添えるもの。
下関名物のふくを駅弁で一年中味わえるようにと開発したという。あの薄造りの高級品を念頭に置くとだいぶ違うものだが、全体的にふんわり暖かい感じの風味があり、地域か駅弁屋の個性は出せている。2004年度JR西日本「駅弁の達人」対象駅弁。調製元の事実上の廃業により、2010年7月までに失われた。
駅弁の達人シールが掛紙に印刷されるため、つまりキャンペーンの応募に掛紙へハサミを入れる必要がありコレクター泣かせだが、この駅弁に限れば例えば横浜駅「シウマイ御弁當」と同様に中身の水分で掛紙が湿るため、仮にシールを貼っていれば絶対にはがれなかっただろう。
※2013年5月補訂:終売を追記掛紙には「海都歩記」とあるが「5高杉晋作」などとも書かれるため、駅弁の名前ではなく幕の内弁当の掛紙シリーズのようだ。発泡材二段重ねの正方形の容器に経木のふたをかけて、掛紙をかけてビニールひもでしばる。
中身は下段に御飯が半分で唐揚や白身魚フライやデザートのみかんで半分、上段はすべておかずで、玉子焼や蒲鉾、各種の煮物に海老に昆布にと、仕切りやカップだらけで見栄えは悪いが何でも入っている。主力のふく駅弁より高価なのだから、お品書きさえ入っていればなお良かった。調製元の事実上の廃業により、2010年7月までに失われた。
※2010年10月補訂:終売を追記こちらは通年販売の駅弁。季節限定の「ふくめし」と同じ容器を色違いのパッケージに収める。酢飯の上にふくの天ぷら・ふくの身・ふく皮・ふくそぼろを載せる、ふくづくしの駅弁。調製元の事実上の廃業により、2010年7月までに失われた。
※2013年5月補訂:終売を追記現地では特選幕の内弁当として売られた駅弁。中身も梅干しを載せた俵型白御飯に、鶏唐揚・コロッケ・ウインナーに煮物類などと、デザートにオレンジが入った、普通の幕の内弁当。半透明のトレーを正方形のボール紙製容器に入れる。観光客はふくの駅弁に手が出るはずで、地元の方向けの駅弁か。なお、掛紙もパッケージもない駅弁らしくない弁当として、380円と500円の幕の内弁当もあった。調製元の事実上の廃業により、2010年7月までに失われた。
※2010年10月補訂:終売を追記1960(昭和35)年に下関駅で発売。10月中旬から4月中旬まで販売された、冬季限定の駅弁。透明な窓の付いたボール紙製容器の中に、ふくの顔をかたどったユーモラスなフタをした円形のプラスティック製容器が入る。中身はふくの出し汁で炊いた御飯に、シロサバフグの煮付けや天ぷらが載り、タケノコや椎茸などが添えられる。調製元の事実上の廃業により、2010年7月までに失われた。
※2013年5月補訂:終売を追記入手状況から1977(昭和52)年の調製と思われる、昔の下関駅弁の掛紙。そのデザインや記述内容に、特段のものはない。
入手状況から1977(昭和52)年の調製と思われる、昔の下関駅弁の掛紙。そのデザインや記述内容に格別のものはない。この当時の駅弁にしては価格が高く、その中身は本当に特製な内容だったのだろう。
1960年代のものと思われる、昔の下関駅弁の掛紙。関門海峡に赤い鉄橋が架かる。この「関門架橋構想図」は、高速道路の関門橋(かんもんきょう)として1968(昭和43)年に着工、1973(昭和48)年に支間長712メートル、全長1,068メートルの当時日本一長い吊り橋として開通し、現在も供用中である。