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 旅の友「駅弁」。実際に食べた9,000個以上の駅弁を中心に、日本全国と世界の駅弁を紹介します。

JR四国 川田(かわた)駅 JR-Shikoku Kawata Station
2017(平成29)年6月訪問 GoogleMap「川田駅」

駅名標 駅舎 駅構内

徳島駅から徳島線の普通列車で1時間前後。川田は徳島県の中部で吉野川の南側の右岸に位置する、小さな駅と町。今は駅弁も売店もなく、駅員もいない駅であるが、大正時代の駅開業時から昭和30年代頃までは駅弁が、昭和50年代後半まで饅頭が立ち売りされたという。その饅頭が2023年10月まで、駅前で生き残った。1914(大正3)年3月25日開業、徳島県吉野川市山川町川田。

【終売】川田満んぢう(かわたまんじゅう)(650円)Kawata Manju (end of sales)
2017年6月4日に脇町の土産物店で購入 Jun. 4, 2017

掛紙 中身
掛紙 掛紙 掛紙 掛紙 外観 外観 中身 中身 中身

明治5年(1872年)に阿波で創業した和菓子屋が、1907(明治40)年から売る饅頭。プラ製の白い半透明トレーに、横浜のシウマイくらいの大きさの白い饅頭を15個並べ、ボール紙箱に収め、包装紙で包む。阿波名物を名乗るが、川田駅周辺の狭い地域でのみ知られる模様。白く不揃いな饅頭に、味わいがある。のちに4個入り密封パックのものも発売。

川田付近には1900(明治33)年8月に私鉄の徳島鉄道が徳島駅からの鉄道を敷き、1907(明治40)年8月に川田駅が開業。1913(大正2)年4月に同社を買収した国が、翌1914(大正3)年3月に阿波池田駅まで全通させた際に、川田駅が現在の位置へ移動した。これに合わせて、弁当屋と饅頭屋が駅構内へ進出し、商品を立ち売りし始めた。

駅弁は昭和30年代頃まで、饅頭は昭和50年代後半まで売られた模様。その饅頭が、この川田まんじゅうである。今も駅前で作られ、駅前と国道沿いの店舗で売られ、地元のスーパーや道の駅でも買えるという。この商品は駅弁でないが、かつての駅売り銘菓。添付のしおりでは今でも、駅のホームや構内で立ち売りされていたことを記載する。その絵柄は、駅売り時代の掛紙のものではないだろうか。

調製元の廃業により、2023年10月限りで終売。1か月前に新聞記事になると、注文が殺到とのことで買えなくなった。阿波ういろと日曜限定のおはぎも、併せて終売となった。

※2023年10月補訂:終売を追記
販売駅
徳島線 川田(かわた)駅 1914(大正3)年3月25日開業 徳島県吉野川市山川町川田
調製元
有限会社 吉田商店 徳島県吉野川市山川町川田198 0883(42)2206

【掛紙】上等御弁當(30銭)Joto Obento
1933年4月3日調製 Apr. 3, 1933

掛紙

1933(昭和8)年4月3日の調製と思われる、昔の川田駅弁の掛紙。吉野川と阿波の土柱を描いた。現地はこんな谷筋にはない、空の広い駅。調製元の松浪軒は、上記のとおり2023年まで駅前で饅頭を製造した長久堂とは異なる、川田駅の構内営業者。1910年代から1960年代まで駅弁を販売した。

販売駅
徳島本線 川田(かわた)駅 1914(大正3)年3月25日開業 徳島県吉野川市山川町川田
調製元
松浪軒 川田駅前 連絡先の記載なし

【掛紙】上等御辨當(40銭)Joto Obento
調製年月日不詳 1922

掛紙

1922(大正11)年の調製と思われる、昔の川田駅弁の掛紙。同年に上野公園で開催された平和記念東京博覧会で英国の皇太子殿下が来日されたことを記念して、全国各地の駅弁屋が同じデザインの記念掛紙を使用したもの。周囲に日本と英国の国旗を配し、右に駅弁の名前、左下に調製元、下部に日英の歓迎文、上部の2枠は広告枠。

販売駅
徳島本線 川田(かわた)駅 1914(大正3)年3月25日開業 徳島県吉野川市山川町川田
調製元
松浪軒 川田駅 連絡先の記載なし