博多駅から特急列車「リレーかもめ」と新幹線「かもめ」を乗り継いで約1時間半。諫早市は長崎県の中央部で長崎半島と島原半島の付け根にある、人口約13万人の城下町。江戸時代に佐賀藩の諫早鍋島家が治め、3つの湾と4方向の街道を擁する交通の要衝であり、有明海の干拓や工業団地の造成で発展し、1957年の大水害で知られる。駅弁は1898(明治31)年から1993(平成5)年頃まで売られたほか、新幹線の開通で鹿児島の駅弁が駅のコンビニに置かれる。1898(明治31)年11月27日開業、長崎県諫早市永昌町。
西九州新幹線の開業日である2022(令和4)年9月23日に、諫早駅ビルあるいは駅前再開発ビル「iisa(イーサ)」の1階交流広場でのイベント「西九州新幹線開業イベント「開通元年」」で即売されていた商品。8切れにカットした焼きサバ寿司を1本、笹の葉を敷いた細長いプラ容器に詰め、祝と書いた掛紙を巻いた。調製元は諫早駅前のホテルか。
ホテルのスタッフブログによると、この日のみ100個を販売し完売、今後もイベント等で販売予定なのだそうで、実際に10月26日の諫早市役所前や、2023年2月25,26日の同所でのイベント「諫早駅ワイワイフェスタ」で、この「特製焼鯖寿司」が売られたそうな。諫早と焼サバが結び付かなくても、長崎県と考えれば五島のサバやサバ寿司は名産。なぜか鹿児島産のものが「駅弁」として売られる諫早駅のファミリーマートに入れるかどうか。
昭和30年代、1960年前後のものと思われる、昔の諫早駅弁の掛紙。諫早の電話番号に市内局番が付いた、1966(昭和41)年頃より前のもの。江戸時代の天保10年(1839年)に架けられ、1957(昭和32)年7月の諫早大水害に耐え、翌1958(昭和33)年の11月に国の重要文化財となった、眼鏡橋が描かれる。1898(明治31)年11月から売られたという諫早駅の駅弁は、南蛮弁当、椎茸弁当、うなぎ弁当などの駅弁がほぼ知られることなく、1993(平成5)年頃に消えた。
1950年代、昭和30年前後の、6月26日の調製と思われる、昔の諫早駅弁の掛紙。外食券という文字が元気にデザインされた。佐賀、肥前山口、早岐、諫早の4駅の構内営業者は、第二次大戦中の鉄道省の門司鉄道局長の指示により西九州鉄道構内営業有限会社に統合、戦後の1951(昭和26)年5月にこれを解散し、各駅別の調製元に復す。その際に諫早駅の駅弁屋は諫早鉄道構内営業有限会社となり、平成時代まで営業した。昭和時代後半の掛紙に記される屋号の中村家は、おそらく創業家に由来する。