五島列島などへの船便が発着する長崎港の、ターミナルビルの売店で売られていたお弁当。電子レンジ対応の白い容器に、白御飯、ハンバーグ、鶏唐揚、目玉焼き、千切りキャベツ、福神漬を詰めたお惣菜。ハワイの丼ものの名前が付いているが、内容からして関係なさそう。JR長崎駅の駅弁屋の調製であったため、買って船内で食べてみたが、長崎や駅弁の味はしなかった。この売店に、駅弁や空弁や港弁らしきものはなかった。
長崎県東彼杵郡東彼杵町の大村湾沿いにある、国道205号に面した道の駅「彼杵の荘(そのぎのしょう)」で、2012(平成24)年9月に発売。駅弁でも使われるプラ製の釜型容器には、ちゃんと専用の掛紙がかけられている。この容器に炊込飯を詰め、炒り卵で覆い、クジラの本皮湯かけと赤肉を少々散らし、シメジと紅生姜と茶葉を添えたもの。淡く美味で、臭みは皆無で、なにより安価で、こういうものが駅弁や空弁になっていれば、もっと注目されるかと。
現在の長崎県では江戸時代に、沿岸や五島列島や壱岐・対馬で捕鯨が行われており、現在の東彼杵に水揚げされて流通したそうな。そのため東彼杵には今もクジラ屋が多く、道の駅でもクジラ肉が販売されていて、こんな道の駅弁が誕生している。
長崎県東彼杵郡東彼杵町の大村湾沿いにある、国道205号に面した道の駅「彼杵の荘(そのぎのしょう)」で、以前から販売されているお弁当。駅弁でも使われるような黒い容器には、ちゃんと専用の掛紙がかけられている。この容器に炊込飯を詰め、炒り卵で覆い、クジラの本皮湯かけを散らし、クジラ竜田揚、ふろふき大根、たくあんを添えたもの。淡く美味で、臭みは皆無で、こういうものが駅弁や空弁になっていれば、もっと注目されるかと。
この道の駅の近くには、JR大村線が通る。1934(昭和9)年12月に長崎本線の肥前山口駅〜諫早駅が開通するまでは、こちらが長崎本線であり、門司駅や博多駅と長崎駅を結ぶ列車が経由した。しかし起終点の早岐駅と諫早駅を除き、駅弁が売られたという話を聞いたことがなく、その両端駅も今は駅弁がない。こうやって弁当にできる名物はあるので、新幹線が新大村駅や諫早駅に来る頃には何かできるだろうか。
博多駅から特急列車「リレーかもめ」と新幹線「かもめ」を乗り継いで約1時間半。諫早市は長崎県の中央部で長崎半島と島原半島の付け根にある、人口約13万人の城下町。江戸時代に佐賀藩の諫早鍋島家が治め、3つの湾と4方向の街道を擁する交通の要衝であり、有明海の干拓や工業団地の造成で発展し、1957年の大水害で知られる。駅弁は1898(明治31)年から1993(平成5)年頃まで売られたほか、新幹線の開通で鹿児島の駅弁が駅のコンビニに置かれる。1898(明治31)年11月27日開業、長崎県諫早市永昌町。
西九州新幹線の開業日である2022(令和4)年9月23日に、諫早駅ビルあるいは駅前再開発ビル「iisa(イーサ)」の1階交流広場でのイベント「西九州新幹線開業イベント「開通元年」」で即売されていた商品。8切れにカットした焼きサバ寿司を1本、笹の葉を敷いた細長いプラ容器に詰め、祝と書いた掛紙を巻いた。調製元は諫早駅前のホテルか。
ホテルのスタッフブログによると、この日のみ100個を販売し完売、今後もイベント等で販売予定なのだそうで、実際に10月26日の諫早市役所前や、2023年2月25,26日の同所でのイベント「諫早駅ワイワイフェスタ」で、この「特製焼鯖寿司」が売られたそうな。諫早と焼サバが結び付かなくても、長崎県と考えれば五島のサバやサバ寿司は名産。なぜか鹿児島産のものが「駅弁」として売られる諫早駅のファミリーマートに入れるかどうか。
昭和30年代、1960年前後のものと思われる、昔の諫早駅弁の掛紙。諫早の電話番号に市内局番が付いた、1966(昭和41)年頃より前のもの。江戸時代の天保10年(1839年)に架けられ、1957(昭和32)年7月の諫早大水害に耐え、翌1958(昭和33)年の11月に国の重要文化財となった、眼鏡橋が描かれる。1898(明治31)年11月から売られたという諫早駅の駅弁は、南蛮弁当、椎茸弁当、うなぎ弁当などの駅弁がほぼ知られることなく、1993(平成5)年頃に消えた。
1950年代、昭和30年前後の、6月26日の調製と思われる、昔の諫早駅弁の掛紙。外食券という文字が元気にデザインされた。佐賀、肥前山口、早岐、諫早の4駅の構内営業者は、第二次大戦中の鉄道省の門司鉄道局長の指示により西九州鉄道構内営業有限会社に統合、戦後の1951(昭和26)年5月にこれを解散し、各駅別の調製元に復す。その際に諫早駅の駅弁屋は諫早鉄道構内営業有限会社となり、平成時代まで営業した。昭和時代後半の掛紙に記される屋号の中村家は、おそらく創業家に由来する。
博多駅から特急列車「みどり」で約100分。早岐駅は長崎県佐世保市内で、佐世保線が大村線を分ける駅。古くは貿易港長崎や軍都大村と軍港佐世保への鉄道路線の分岐駅であり、鉄道の町があった。駅弁は1898(明治31)年から売られ、2000年代には駅で見られない幻の存在となり、2010年代に消えたと考えられる。1897(明治30)年7月10日開業、長崎県佐世保市早岐1丁目。
山崎製パンが日本全国で売る惣菜パン「ランチパック」シリーズのひとつで、見るからに九州限定、期間限定に見える商品。中身は商品名どおり、2枚のパンの間に桜餅風味のつぶあんが入っているもの。袋に九州新幹線のN700系電車の写真が印刷され、「JR九州承認済」の文字まで記されるため、参考として収蔵した。このシリーズの商品は、全国の駅構内のコンビニでもおなじみの商品である。
現在の早岐駅に駅弁はなく、これは早岐駅の元駅弁屋による予約制弁当。有田焼の器に中華おこわまたは大村寿司が入っている。入手には3日前までの予約が必要とされた。いつまで売られていたかは定かでないが、2003年6月に福岡県のテレビ番組には出ていた模様。
長崎への鉄道は現在の佐世保線・早岐・大村線経由で開業、後に現在のルートが開業した際に、肥前山口・佐世保間が佐世保線、早岐・諫早間が大村線となった。佐世保線は早岐駅で進行方向が変わる一方で直進すると大村線に入るため、肥前山口・諫早間を大村線、早岐・佐世保間を佐世保線と名付けたほうがすっきりすると思うが、昔も今も重要な軍港である佐世保を重視したのであろうか。
1950年代のものと思われる、昔の早岐駅弁の掛紙。汽車と路線図とツバメと橋梁を描く、交通系の絵柄。早岐瀬戸開閉橋とは、1936(昭和11)年9月に早瀬瀬戸に架けられ、1954(昭和29)年に架け替えるまでは船を通すために桁を持ち上げることができた観潮橋のことか。
諫早駅から島原鉄道で約70分。島原市は長崎県の南東部で有明海に突き出た島原半島の東側に位置する、人口約4万人の城下町。江戸時代に入った後に島原城が築かれ、戦乱や地滑りや噴火という災難に見舞われながら、農業や漁業や商業のまちができている。島原駅に駅弁はないが、駅裏のカフェが作る弁当が2022年秋から、JR九州の駅弁キャンペーンにエントリーされている。1913(大正2)年9月24日開業、長崎県島原市片町。
島原鉄道の島原駅の裏手にある商店「島原むすびす」で購入。この「おむすびカフェ」を名乗る店舗は、島原鉄道の島原駅弁を名乗り、2023年10月のJR九州の駅弁キャンペーン「第13回九州駅弁グランプリ」に「火山弁当」(500円)を、翌2024年10月の「第14回九州駅弁グランプリ」に「風光明媚火山弁当」(1,000円)をエントリーした。午前中の訪問で弁当は完売しており、代わりにこれを購入したもの。
母恋駅や七戸十和田駅など、ハンバーガーやサンドイッチでも入っていそうな、既存の駅弁屋では使われないタイプのふた付き容器に、いわしハンバーグと千切りキャベルサラダなどを詰めていた。こういうものが、カフェめしというのだろう。弁当のように見えて、御飯は入らないお惣菜。
今は長崎県内の島原半島で、諫早駅と島原港駅を結ぶ鉄道に路線バスやフェリーを営業する島原鉄道。当時市販の時刻表によると大正時代に駅弁が売られた可能性があるが、戦後昭和時代に駅弁があるという話を見聞きしたことがなく、島原駅には駅弁も売店もその案内もない。それでいて、なぜか上記のとおりJR九州の駅弁キャンペーンに駅弁をエントリー。駅から見えるけれど駅からは行けない店舗で、どうもその弁当が買えるようで、現地と公式サイトに「火山弁当」の紹介があった。