2023(令和5)年7月の南阿蘇鉄道の全線開通時に高森駅で販売。これを2025年1・2月の鶴屋百貨店の駅弁大会で販売。横長の容器にはめたスリーブは各社共通で、南阿蘇鉄道トロッコ列車の走行写真と路線図、「南阿蘇鉄道全線復旧までの歩み」と新型車両の紹介を記す。これは商品名「阿蘇高菜めし弁当」ということで、2区画の片方に高菜と雑穀米の混ぜ御飯を詰めて海苔で覆い、片方にハニーサラダ、甘酢生姜、きゅうり、しそわかめ、鶏肉和え、餃子風包み揚げ、だし巻き玉子で7種類のおかずを詰めた。茶色く沈んだ色彩によらず、明るく感じるお弁当。調製元は高森駅付近のホルモン食堂。
スリーブに記されるとおり、2016年4月の熊本地震で激しく被災した南阿蘇鉄道は、2023年7月15日に「7年3ヶ月ぶりの全線運転再開」を果たした。山の向こうで2005年に水害に遭い、26億円の復旧費用が工面できず廃止された高千穂鉄道と違い、年商約1億円で赤字のローカル線の、橋梁がゆがみトンネルが割れるような災害に対して、約67億円もの復旧費用が国から負担される仕組みができていた。架設当時に東洋一の規模と紹介された第一白川橋梁は架け替えられ、犀角山トンネルは山ごと撤去され、被害の軽かった中松駅と高森駅の間でトロッコ列車を動かしながら待ち、復旧と新車と豊肥本線肥後大津駅までの乗り入れが実現した。
2023(令和5)年7月の南阿蘇鉄道の全線開通時に高森駅で販売。これを2025年1・2月の鶴屋百貨店の駅弁大会で販売。横長の容器にはめたスリーブは各社共通で、南阿蘇鉄道トロッコ列車の走行写真と路線図、「南阿蘇鉄道全線復旧までの歩み」と新型車両の紹介を記す。これは商品名「根子岳あか牛ハンバーグ弁当」ということで、阿蘇で育ったあか牛を使い高森名物の田楽味噌ソースをかけたハンバーグ、根子岳をイメージした黄色いご飯、ニョッキ、玉子焼、鶏唐揚、ミニトマトにブロッコリー、チンゲン菜などを折り重ねる。色彩で特別な感じを受ける、洋食弁当の創作。調製元は高森市街のイタリアンレストラン。
南阿蘇鉄道は、熊本県の阿蘇カルデラ内で立野駅から高森駅までの17.7kmを結ぶ鉄道を運営する第3セクター鉄道会社。1928年2月に国が開業した鉄道が、1981年に日本国有鉄道の廃止対象線となったことで、沿線の3町4村が出資し鉄道会社を設立、1986年に転換して開業した。国鉄高森線の時代からの通学客を運びながら、トロッコ列車を運行し観光客も運び、赤字を最小限に抑えて転換当時の国からの交付金約3億円の元本と利子のみを取り崩して、廃線の危機を迎えることなく30年以上の運行が続けられた。
転換当時、当時の高森線の高森駅と高千穂線の高千穂駅を結ぶ27.0kmの鉄道が建設中で、トンネル工事での1975年の出水事故により建設が中断していた。これが開通したら熊本県の熊本駅や立野駅と宮崎県の延岡駅を結ぶ九州横断鉄道が実現できたが、熊本県側でも宮崎県側でも引き取り手がなく、完成済みの構造物は1990年代に解体されてしまった。解体できないトンネルは封鎖されたり倉庫になったり、観光施設「高森湧水トンネル公園」として現存する。
熊本駅からJR豊肥本線の列車で約1時間。立野駅がある南阿蘇村は、熊本県の北東部で2005年に長陽、白水、久木野の3村が合併してできた、人口約1万人の村。駅弁は大正時代から1980年頃まで熊本駅や阿蘇駅の駅弁屋の支店があった。また、1907年に創業した饅頭店が立野駅の開業で駅前へ移転し、今も売られる「ニコニコ饅頭」が名物である。1916(大正5)年11月11日開業、熊本県阿蘇郡南阿蘇村立野。
立野に鉄道が来る前の1907(明治40)年に登場したという、立野駅前の名物まんじゅう。過去には駅のホーム上で立ち売りされ、現在は駅前で販売。掛紙には国鉄高森線のち南阿蘇鉄道の、第一白川橋梁を渡る汽車が描かれた感じ。
生地に甘酒を練り込んだ、こしあん入りの白い手作りまんじゅうが8個、ラップと経木の薄皮に包まれて400円。高い確率で出来立てホカホカが買えた模様。一度聞いたら忘れられない商品名の由来は、食べたらニコニコするからだそうな。
2016(平成28)年4月の熊本地震による災害で、立野駅に豊肥本線も南阿蘇鉄道も代行輸送も来なくなった際、ニコニコ饅頭は熊本市内のスーパー「鶴屋フーディーワン」各店で売られた。豊肥本線は2020(令和2)年8月に運転を再開、駅前でのニコニコ饅頭の販売もまた再開した。南阿蘇鉄道は実質的に全額国費で約70億円をかけて、2022(令和4)年度の運転再開を目指している。
※2021年3月補訂:現況を改訂熊本駅からJR豊肥本線の列車で約1時間。南阿蘇鉄道は1986年に国鉄高森線を転換して生まれ、立野駅はJRの立野駅の延長線上にあり、トロッコ列車の始発駅。1916(大正5)年11月11日開業、熊本県阿蘇郡南阿蘇村立野。
2010(平成22)年までに、南阿蘇鉄道トロッコ列車向けの予約限定弁当として発売か。掛紙には商品名、阿蘇山、トロッコ列車、第一白川橋梁、鉄道会社名が記される。長方形の容器に白御飯を詰め、鶏照焼、鶏そぼろ、錦糸卵、高菜で覆い、筑前煮と大根サラダを添える。味や見た目や価格は、スーパーの惣菜弁当レベル。調製元は熊本では大手の持ち帰り弁当チェーン店。
この商品が立野駅の駅弁として紹介されたことはないと思うが、2016(平成28)年4月の熊本地震による被害で立野駅〜中森駅が不通となったことで、震災復興の願いをかけて、または乗じた宣伝で「震災の影響により現在は販売中止」旨の注記を加えて、2017(平成29)年1月の京王百貨店の駅弁大会で、立野駅の駅弁として輸送販売された。
立野駅はJR線も南鉄(なんてつ:南阿蘇鉄道の略称)も不通のままで、駅弁も当然に売られない。トロッコ列車は中松駅〜高森駅で運行を再開したが、下記のとおり南阿蘇白川水源駅に新たな駅弁ができてしまい、このとり飯の立場が失われている。2017(平成29)年7月の南阿蘇鉄道のイベント「ひまわりフェスタ」では「復刻」として売られたので、これはもう売られないものとみられる。
※2021年3月補訂:終売を追記立野駅から7駅25分。その名のとおり、熊本県の中部を横断する白川の、水源にあたる湧水の近くにできた駅。駅にカフェがあり、2017(平成29)年3〜5月の土日曜日に販売する駅弁ができた。2012(平成24)年3月17日開業、熊本県阿蘇郡南阿蘇村大字白川。
2017(平成29)年3月25日にデビュー。前年4月の熊本地震の被災地である熊本県阿蘇郡南阿蘇村の村役場が、震災復興と南阿蘇鉄道の全線復旧を目指し実施する「南阿蘇鉄道駅弁プロジェクト」により、芸人と村民で考案したこの駅弁を、南阿蘇白川水源駅の駅舎内にある「駅カフェ倶利伽羅」で、2017年3月25日〜5月7日の土日曜に販売するもの。
竹皮編みの容器に、南阿蘇鉄道の風景やトロッコ列車を描き、同プロジェクトのアイコンやロゴマークを記した掛紙を巻く。半透明のプラ製トレーに収まる中身は、クレソン混じりの御飯を、阿蘇あか牛の牛肉煮で覆い、半身の煮玉子、クレソン、菜の花を添えるもの。見ても食べても手作り感のある牛丼。発売日には180個ないし200個が完売、以後の販売日も連日の売り切れで好評だという。2019年か2020年までの販売か。
2016(平成28)年4月16日の熊本地震で、阿蘇山のカルデラが唯一外部に口を開ける、南阿蘇村の西端で大規模な斜面崩壊が発生、国道57号とJR豊肥本線と、国道325号阿蘇大橋を土砂が押し流した。また、地震動により村内の住宅や別荘や道路や草原の一部が押し流され、15名以上の死者と100名近い負傷者が出たほか、南阿蘇鉄道のトンネルや鉄橋が変形し、列車の運行ができなくなった。
以後約1年が経過。道路は迂回路の整備と不通箇所の復旧が進められ、商店も観光施設もおおむね元通り。迂回路が混雑することと、大規模な土砂崩れが起きた箇所を除き、生活や観光に支障はないように見える。しかし鉄道の不通は続き、復旧の見通しが立たないうえ、代行輸送が平日朝夕の通学生向けのみで行われているため、公共交通での阿蘇へのアクセスが絶望的に悪化した。南阿蘇鉄道は7月31日から中松駅〜高森駅で運行を再開、一日1往復の普通列車と2往復のトロッコ列車が走り、車で来た観光客に以前と変わらぬ車窓を提供する。駅弁発売日の訪問日には、高森駅も南阿蘇白川水源駅も、地元や東アジアの客で賑わっていた。
※2022年4月補訂:終売を追記