東京駅から新幹線で約40分、あるいは在来線で1時間半。小山市は栃木県の南端に位置する、人口約17万人の宿場町。江戸時代は日光街道の宿場と思川の舟運で栄え、明治時代の早くに鉄道が開通し分岐することで物流の要になり、のち商工業や遊園地で知られた。駅弁は1900年代より前に誕生し、駅弁発祥地説もあるほどで、鶏飯の駅弁が知られたが、2000年頃にすべてなくなってしまった。1885(明治18)年7月16日開業、栃木県小山市城山町三丁目。
鉄道開業150年を記念して、2022(令和4)年10月23日にのみ小山駅イベントスペースで販売。これを好評として、翌2023年10月29日の「小山駅フェスティバル2023」では改札外みどりの窓口前で、2024年2月17日の「おいでよ!小山駅のりもの祭り」と5月3・4日のゴールデンウィークでは小山駅イベントスペース前で販売。今後もイベント時に限り不定期に売られるのだろうか。調製元は宇都宮駅の駅弁屋であり、同駅の駅弁も併売された。
商品名のみを記した赤い掛紙を巻いた、長方形の容器に白飯を詰め、たれ漬けとんかつ、豚のみそ焼き、玉子焼、小松菜とにんじんの漬物、ザーサイの梅かつお和え、生姜漬けで覆う。なんだか千葉駅弁の「トンかつ弁当」と「万葉軒のやき肉弁当」を足したような、チープなつくりの豚肉弁当。小山市内の生産者が丹精込めて育てたブランド豚「おとん」をふんだんに使った駅弁とされる。
1989(平成元)年3月28日8時の調製と思われる、昔の小山駅弁の掛紙。特製とあるが、バブル経済の時期に600円で売るほどなので、上等でなく並等の幕の内駅弁ではないかと思う。この絵柄は何を表しているのだろうか。
1988(昭和63)年8月3日の調製と思われる、昔の小山駅弁の掛紙。豚肉の網焼きを御飯に載せた弁当だったそうな。
1981(昭和56)年10月20日11時の調製と思われる、昔の小山駅弁の掛紙。駅の名前がずいぶんでかい、幕の内弁当の掛紙。拙く描く蒸気機関車は、軸配置1B1のテンダー機関車で、国内では1900年代前後の山陽鉄道くらいでしか使われていない珍しいタイプに見えるが、そこまで意識して描いたものではないだろう。
1980年代のものと思われる、昔の小山駅弁の掛紙。調製元は鳥又。「鳥めし」の副名称も見られる。ここの三色弁当と柏屋のとりめしが、昭和の小山駅の名物駅弁であった。
1941(昭和16)年9月3日10時の調製と思われる、昔の小山駅弁の掛紙。孔雀に見える鳥は、小山と何らかの関係があるのか、それとも調製元が鳥又だから鳥を描いたか。鮎漁名所小山ノ思川も小さく描く。
第二次大戦前のものと思われる、昔の小山駅弁の掛紙。30銭の価格を取り消したような跡がある。「思川鮎漁」「小山旧城跡登口」が名所として描かれる。
1929(昭和4)年11月16日の調製と思われる、昔の小山駅弁の掛紙。当時で60銭の駅弁というのは、幕の内駅弁の倍額、今でいう2000円くらいの感覚で、類例に乏しい高額だと思う。掛紙のサイズも、気持ち大きめ。小山思川之景、鮎漁好適地という、思川と木橋の写真を使う。
1928(昭和3)年12月14日の調製と思われる、昔の小山駅弁の掛紙。掛紙で鮎の名所として描かれる思川は、現在も小山駅西方近くを流れる、足尾に近い群馬・栃木県境の地蔵岳を源に都賀や小山を経て渡良瀬遊水地で渡良瀬川に合流する河川。現在も県内有数の清流として放流の鮎が釣れるとか。なお、現在の小山駅からは駅弁が消滅し、駅で買えるお弁当はコンビニ弁当に限られる。
1925(大正14)年8月3日11時の調製と思われる、昔の小山駅弁の掛紙。掛紙に描かれる、松島のような風景は、小山駅の周囲に思い当たらないが、どこを描いたのだろうか。