東京駅から東北新幹線で約50分。宇都宮市は栃木県の中央に位置する、人口約52万人の城下町で県庁所在地。工業都市として栄えるほか、二荒山神社の門前町や、餃子の町としても知られる。駅弁は明治時代から一貫して健在。駅弁の発祥地はここだという説がある。1885(明治18)年7月16日開業、栃木県宇都宮市川向町。
宇都宮駅弁の幕の内弁当の、2024年時点での姿なのかどうか。商品名とおしながきと食品表示を記した文字だらけの掛け紙に包まれた真っ黒なプラ容器の、左側に新生姜おにぎり、あさりごはんおにぎり、細竹旨煮、小茄子漬け、煮卵を、右側にとちぎ霧降高原牛と牛蒡の旨煮、いっこく野州どりの照り焼き、にんじんの柑橘和え、巻湯波、こんにゃく煮、にんじん煮、お花見おはぎを詰める。これは幕の内弁当なのだろうか。「大人の休日倶楽部駅弁発祥の地より汽車辨當」と同じような創作にみえる。値段は宇都宮駅弁にしては高額になった。
宇都宮駅弁の幕の内弁当。かつてここでは各社が幕の内駅弁を競ったが、今では松廼家のみが残るため、幕の内弁当もこれ1種。他に上等か特製の幕の内弁当「ふるさと幕の内」(1,000円)が存在することになっているが、その姿を見たことはない。ボール紙箱に記された商品名「花づつみ」は、市販の仕出し弁当箱の名前であり、駅弁の名前でない。駅弁の名前はどこにも書かれておらず、ここでは売店や市販の時刻表での表現どおり「幕の内弁当」とする。単に「幕の内」と書かれることもある。
旅館の食事で見るような器の絵柄を印刷した、これも市販品のトレーの中に収まる中身は、マスの塩焼きを載せた日の丸御飯、海老からあげ、つくね寄せ、鶏唐揚、海鮮しゅうまい、ひじき煮、タケノコ煮、煮豆、大根桜漬。見た目に加えて内容や風味も野暮ったい、あるいは小さな弁当店が手作りしたような、古めかしい幕の内駅弁あるいは惣菜弁当。
2006(平成18)年9月1日に購入した、宇都宮駅弁のふた。「御弁当美味」と書いてあるが、これは市販の市販の仕出し弁当箱の名前であり、駅弁の名前でない。下記の2003年のものと同じ駅弁なので、「特製幕の内」と推定。中身は上記の2022年のものと、トレーごと同じ。価格も変わらない。
2003(平成15)年7月12日に購入した、宇都宮駅弁の掛紙。内容と価格は上記の2006年のものと同じ。この当時は駅弁らしく、専用の掛紙を使い、容器もあからさまな汎用の市販品ではなかった。中身は変わらない。2006年や2022年のものと、値段まで変わらない。
宇都宮駅の幕の内弁当の富貴堂バージョン。松廼家からも同じ値段の幕の内弁当が出ている。濃紺一色の大きくシンプルな掛紙を正方形の市販ボール紙製弁当容器にかける。中身は俵飯に似せ軽く型押しした白御飯に、透き通るような色の蒲鉾と玉子焼、焼鮭と薩摩芋、鶏唐揚に竹輪天と、これは珍しいパセリの天ぷらが入る。
御飯の量が多くおかずの量が少ない昔風の幕の内駅弁。御飯も個々のおかずは品質・風味・食感いずれもとても良く、販売時にはほんのり暖かい点も良い。価格も手ごろで、満点しか与えられない幕の内駅弁。2008年に調製元が駅弁から撤退したため、この駅弁も終売となった。
※2009年3月補訂:終売を追記昭和50年代、1980年前後の、4月2日16時の調製と思われる、昔の宇都宮駅弁の掛紙。白根山に男体山の日光連山と中禅寺湖に華厳ノ滝、下野草に大谷石と、宇都宮を玄関口とする観光資源の一部を賑やかに描く。この当時で活字でなく手書きの文字を多用する掛紙は珍しいかもしれない。
1950年代のものと思われる、昔の宇都宮駅弁の掛紙。五重塔が宇都宮近辺にあったかどうか、絵柄に特段の意味はないだろう。当時の苫小牧駅弁の掛紙にかなり似ていると思う。
昭和30年代のものと思われる、昔の宇都宮駅弁の掛紙。栃木県内の鉄道路線図が描かれ、これに1959(昭和34)年廃止の東武矢板線高徳・矢板間があることから、それ以前の調製と思われる。長らく日本最古の駅弁屋とされた調製元は、現在は駅弁から撤退している。
1941(昭和16)年9月3日の調製と思われる、昔の宇都宮駅弁の掛紙。朝顔が爽やかな絵柄に見える。米は一日にして稔らず、守る公徳たのしい旅路、という程度の呼び掛けでは、ここではまだ戦時を感じにくいと思う。
1932(昭和7)年3月11日9時の調製と思われる、昔の宇都宮駅弁の掛紙。おかずの掛紙は、下記の1930(昭和5)年の「上等御辨當」と同じ。御飯の掛紙は鉄道省の東京鉄道局管内の各社で共通のものと思われる、桜の便りとして管内各地の桜の名所と簡略の路線図を描く。
1930(昭和5)年10月28日の調製と思われる、昔の宇都宮駅弁の掛紙。調製元の富貴堂は現役の駅弁屋さんである富貴堂弁当部。「一番長い橋梁は 日本 阿賀野川 1242.7米(羽越線) 世界 ドナウ川 3910.9米(ルーマニア・クラヒア懸)」の鉄道雑学を掲載する。
1929(昭和4)年3月16日17時の調製と思われる、昔の宇都宮駅弁の掛紙。桜花か梅花と神社に加えて、「一粒の米が野に働く人々の汗のたまものです。…」と、現代にも通じる東京鐵道局の標語が記される。
おそらく1920年代、大正時代末期か昭和時代初期のものと思われる、昔の宇都宮駅弁の掛紙。今も宇都宮市街のど真ん中に社を置く、宇都宮二荒山神社(うつのみやふたあらやまじんじゃ)を描く。