東京駅から総武線直通の快速電車で約80分。成田市は千葉県の北部に位置する、人口約13万人の門前町。江戸時代に成田山新勝寺の門前町として発展、明治時代からはここに向けて何本もの鉄道が敷かれ、1978年には日本一の国際空港ができて空の玄関口となった。第二次大戦前から売られた駅弁は、2003(平成15)年に失われた。1897(明治30)年1月19日開業、千葉県成田市成田。
1973(昭和48)年に300円で発売。成田駅のとんかつ弁当は、駅弁通にはよく知られていた。白御飯の上に、裏面にソースを塗った柔らかくふわりとした食感の豚ロースカツを載せ、少々のキャベツ千切りと漬物と、マスタードとソースを添える、直球勝負のトンカツ駅弁。価格が安いのにうまい、いつ買ってもほんのり温かいと、評判の駅弁だった。駅弁業者の撤退により、2003(平成15)年3月31日限りで失われた。
1990年前後の、7月26日7時の調製と思われる、昔の成田駅弁の掛紙。絵柄は上記の2003年3月のものと同じ。成田駅のとんかつ弁当は、1991(平成3)年1月までに400円になったので、それより前のものか。「JR成田駅」と「日本鉄道構内営業中央会」で、1987(昭和62)年4月の国鉄分割民営化以降のものだろうが、調製元の所在地はまだ「国鉄成田駅前」。そんなバブル経済の頃も、成田駅のとんかつ弁当は350円という安値で提供されていた。
成田駅の普通寿司駅弁。古典的な持ち帰り寿司向けの折箱に、いなりずしを3個、細巻きを4個、太巻きを2個詰めていた。掛紙はおそらく市販の汎用品で、食品表示ラベルでの商品名は「助六すし」。駅弁業者の撤退により、2003(平成15)年3月31日限りで失われた。
掛紙に「お弁当 SPECIAL−OBENTO」とあるが、食品表示ラベルは「五色弁当」なので、これを駅弁の名前とみなした。正方形の容器に白飯を詰め、鮭フレーク、紅生姜、刻みシイタケ、炒り卵、鶏そぼろで覆い5色のストライプを描き、漬物を添える。折尾駅など九州のかしわめし駅弁を思い出すが、こちらの知名度はなく、郷土料理というわけでもなさそう。価格も550円なので、5づくしの駅弁。駅弁業者の撤退により、2003(平成15)年3月31日限りで失われた。
駅弁の掛紙に包まれたカツ丼。成田駅で有名な駅弁「とんかつ弁当」と、同じ絵柄で色合いが異なる掛紙を使う。食品表示ラベルには「かつ丼」とあるので、これを駅弁の名前とみなした。屋台や持ち帰り弁当チェーン店のものと同じ、白い発泡材の丼型容器に、白飯を詰め、トンカツの卵とじを載せ、菜で彩る。食べてもやっぱり、街のカツ丼。駅弁なので出来立てとはいかないものの、いつ購入してもほんのり暖かく、冷ましてもカツ丼の味がしっかり出てくる優れもの。駅弁業者の撤退により、2003(平成15)年3月31日限りで失われた。
成田駅の並等幕の内駅弁。成田山大本堂と新東京国際空港と水郷を描く掛紙には「幕の内風御弁当」とあるが、食品表示ラベルには「和風弁当」とあるので、これを駅弁の名前とみなした。強度のない容器に半透明のトレーを入れた中身は、日の丸御飯、焼鮭、かまぼこ、玉子焼、ミートボール、煮物、漬物で、チープな雰囲気ながら幕の内駅弁の基本は押さえる。駅弁業者の撤退により、2003(平成15)年3月31日限りで失われた。
成田駅の上等幕の内弁当。市販の仕出し弁当向け容器の名前「味ごよみ」が、そのまま駅弁の名前にされている。白いトレーに詰めた中身は、日の丸御飯、焼鮭、かまぼこ、玉子焼、エビフライ、煮物、煮豆、漬物など。上記の並等の「和風弁当」より、おかずのグレードを上げた気はする。800円の駅弁としては、お買い得感が高いかと。駅弁業者の撤退により、2003(平成15)年3月31日限りで失われた。
JR東日本の観光キャンペーン「LOOK EAST」のオリジナル駅弁131種類のひとつとして、1989(平成元)年3月に「御弁当鶏ごはん」の名で発売か。食品表示ラベルには「鶏ご飯弁当」とあるので、これを駅弁の名前とみなした。正方形の容器に白飯を詰め、鶏そぼろ、鶏もも照焼、卵そぼろでストライプを描き、シイタケとししとうと紅生姜で彩り、3種類の漬物を添える。実は3づくしの駅弁か。他の成田駅弁より値段が高い気がするが、折尾駅など九州のかしわめし駅弁を素朴にしたらこうなった感じで、おいしい駅弁。駅弁業者の撤退により、2003(平成15)年3月31日限りで失われた。
※2021年3月補訂:発売年を追記1998(平成10)年の、4月10日の駅弁の日に発売。当時の千葉県内の駅弁業者5社、千葉駅の万葉軒と佐倉駅のいせやと木更津駅の浜屋と安房鴨川駅の南総軒と成田駅の桑原が共同プロデュースした、千葉県が水揚げ全国2位の伊勢海老と、千葉県の県魚であるタイを使った駅弁。掛紙は各社で共有する。中身は掛紙に記すとおり、千葉の食材を使用した、タイの塩焼き、イセエビのフライ、菜の花の辛子和え、銚子のいわし団子、小湊のひじき、木更津のれんこん、成田の鉄砲漬け、季節のタケノコ御飯。
おいしい駅弁も、成田駅の駅弁としては高価なので、東京駅で売ればよいかと思った。佐倉駅と安房鴨川駅では早くに売り止めたようで、木更津駅では駅弁屋が駅から撤退。この成田駅のものは駅弁業者の撤退により2003(平成15)年3月31日限りで失われ、千葉駅のものが最後まで残った。
上記の駅弁「寿司」の、2001(平成13)年時点での姿。この駅弁に専用の掛紙があり、いなりずしを3個、細巻きを4個、太巻きを2個の中身は変わらず、容器も同じで、値段が10円安かった。このような名物になり得ない駅弁が売れた駅で、駅弁が売店ごとなくなってしまったのは、どうも営業不振や売上の低迷ではないらしい。
1953(昭和28)年8月25日の調製と思われる、昔の成田駅弁の掛紙。成田の名物は昔も今も成田山で、現在のJR線や京成線も参拝輸送を目的に敷設された経緯がある。
1941(昭和16)年7月28日の調製と思われる、昔の成田駅での駅売りパン。調製元が駅弁屋でないうえ、食糧事情の悪化で食堂車連結が中止され鉄道パンが販売されたのはあと3年程度後のことなので、駅弁ではなく後にキヨスクと呼ばれる売店扱いのパンだと思われる。
1939(昭和14)年10月23日8時の調製と思われる、昔の成田駅弁の掛紙。名所案内は成田不動尊と成田公園と宗吾霊堂と三里塚桜の名所。成田駅と成田山は、切っても切り離せない。調製元の飯塚は第二次大戦前からの成田駅の構内営業者で、1936(昭和11)年11月に桑原となり、2003(平成15)年3月まで駅弁を販売した。