東京駅から電車で約45分。大船駅のある鎌倉市は、神奈川県の東部で相模湾に面した、人口約17万人の古都。13世紀に幕府と呼ばれる武家政権がここを拠点とし、農漁村に戻るも明治時代に別荘地や観光地として再興、文人や要人が好んで住んだり訪れた。東海道本線が横須賀線を分岐する大船駅では、1898(明治31)年から大船軒が駅弁を販売、鎌倉の文人や駅前の映画撮影所の関係者に親しまれた。1888(明治21)年11月1日開業、神奈川県鎌倉市大船1丁目。
2021(令和3)年12月1日に大船駅その他神奈川県内や東京都内の湘南新宿ライン停車駅の駅弁売店やコンビニで発売。JR東日本横浜支社が湘南新宿ライン20周年記念スタンプラリー期間中の販売を公表、ということは翌2022(令和4)年1月10日までの販売か。掛紙にはその20年間にここを走った電車のアイコンや写真を使う。
松花堂弁当のような4区画に、アジの酢漬けの刻みと錦糸卵を載せた酢飯、ほうれんそうとちくわの炒め物に鮭フレークとしらすごま油炒めを載せた酢飯、マグロ角煮に根菜の煮物と肉団子と柴漬け、かまぼこと玉子焼と明太ポテトサラダときんぴらごぼうと抹茶きなこわらび餅。「車体カラーをイメージしたトッピングや、人気のおかずを詰め合わせた」のはどこだろうか。
湘南新宿ラインは、2001(平成13)年12月1日に運行を開始した、大宮駅・新宿駅・大船駅の間を介して宇都宮線(東北本線)と横須賀線、高崎線と東海道線を結ぶ列車に対する路線愛称。第二次大戦前から1970年代まで貨物列車が多く走り、武蔵野線などの開通や鉄道貨物の衰退で部分的あるいは限定的に旅客列車を走らせた路線に、JR東日本は一気通貫の直通系統を設け、東急や小田急などの私鉄各社を出し抜いた。「SS」は湘南新宿ラインに対する略語のひとつであるが、これを使うのは一部の鉄道マニアに限られると思う。
JR横須賀線のE235系電車の記念商品として、2021(令和3)年7月22日から8月31日までの金土日曜に販売。大船駅ではそう掲示したが、公式サイトにはなぜか「7月31日から8月31日の期間限定」と、発売日を変えて掲載した。黒い掛紙には電車の形式と前面のデザインと、駅弁の中身のイラストを描き、裏面には横須賀線のクイズを4問記す。
「鎌倉こまち」と題した中身は、細長い黒箱にお揚げが3色の三角いなり、太巻き1切れ、きゅうりとかんぴょうの細巻き各1本、唐揚げ2個。約10年前に売られた大船駅弁「鎌倉いなり」に、少し似た雰囲気。
JR東日本のこのE235系電車は、2020(令和2)年12月21日に横須賀・総武快速線で営業運転を開始。2015(平成27)年11月30日に山手線でデビューした11両編成の通勤電車について、車体の緑色を横須賀線の白と青、いわゆる「スカ色」に変え、グリーン車2両を組み込み、車内にトイレを設置し、11両編成と4両編成に分けて、従前のE217系電車を置き換え始めた。
JR横須賀線のE235系電車の記念商品として、2021(令和3)年7月22日から8月31日までの金土日曜に販売。大船駅ではそう掲示したが、公式サイトにはなぜか「7月31日から8月31日の期間限定」と、発売日を変えて掲載した。
黄色い紙箱には鎌倉の名所のアイコンを薄くたくさん描き、その内ぶたには鯵の押寿しなど調製元の押寿司駅弁の特徴を記し、これに電車の形式とイラストと中身の写真を描く水色の掛紙を巻き、その裏面に横須賀線のクイズを4問記す。「鯵の押寿し4種盛合せ」と題した中身は、えび、サーモン、カニ、鯵の押寿しが各2個に、ガリと昆布。
横須賀線のE235系電車は、混雑対策か合理化かコストダウンなのか、普通車のすべての座席のボックスシート、前向きと後ろ向きの向かい合わせの座席をやめ、山手線と同じロングシート、横向きの座席とした。山手線の通勤電車をそのまま横須賀線に持ってきてしまった。こんな電車に1時間も2時間も乗るのはつらいと、通勤客でない鉄道ファンはがっかり。新しくも情けない平面顔も、時が経てば慣れてくるだろうか。
2021(令和3)年1月15日に東京、品川、新宿、上野、大船、藤沢、小田原、熱海の各駅で発売。2月25日に掛紙を替え、3月末まで販売する予定。この年の3月のダイヤ改正で、東京駅と伊豆を結ぶ特急「踊り子」から185系電車が引退することを記念した駅弁。掛紙の写真はもちろん、185系電車の特急踊り子号。加えて紙箱も箸袋も、その特徴である白地に緑のストライプの車体色をイメージしたものが、新たに起こされた。
6区画の中身は、しらす御飯、桜でんぶとマグロ角煮の御飯、鯵の押寿しと太巻き、かまぼこと玉子焼と煮物、くじらカツと黒はんぺんフライと牛しぐれ煮、ひじきとポテトサラダとキャベツ和え。大船駅の駅弁を一部詰めていて、旅の食事にもできる内容。これを買う人の多くは185系が目当てだろうから、中身は気に留められないかもしれない。調製元によると予想外の売れ行きのため、3月14日で販売終了とのこと。
2021(令和3)年3月7日に購入した、大船駅弁の掛紙。上記の「踊り子号185系記念弁当」のとおり、2月25日に掛紙を変えて発売。容器の紙箱や中身や価格は変わらない。
掛紙記載事項のとおり、特急「踊り子」デビュー30周年を記念し、2011年10月1日から31日まで販売された記念駅弁。大船駅に限らず東京駅から熱海駅まで、大船軒や東華軒を名乗る箇所を含むNREの駅弁売店で販売された模様。普段の大船駅弁でも使われる浅い正方形の容器を、踊り子号の走行写真を使う販売期間前半の10月1日から14日までのバージョンである掛紙で巻く。
中身はきのこ御飯と鯵の押寿しに、カンパチ唐揚、鶏西京焼き、サーモン燻製、シイタケやタケノコなどの煮物、かまぼこと玉子焼、アイガモ焼、しば漬けなど。おかずの種類は多いが、風味や内容には見るべきものなし。クリやイクラで彩られたシメジの混ぜ御飯は良かったと思う。
「踊り子」は1981(昭和56)年10月の国鉄ダイヤ改正で登場した、東京駅と伊豆半島を結ぶ特急列車。文学作品名にちなんだ列車愛称と、白塗りに緑色のストライプをかけた基準外の塗色を採用した新型特急電車は、沿線や鉄道趣味誌において驚きの目で迎え入れられた。あれから30年、「スーパービュー踊り子」の登場や不評であった座席の交換や塗色の小変化はあったが、当時のまま同じ区間を走り続けている。グリーン車を固定編成内に2両も備える在来線特急列車は、全国を探してもここだけにしかいない。
駅弁の名前のとおり京浜東北線・根岸線の209系電車の引退を記念して、2010(平成22)年1月24日から2月頃まで販売された記念駅弁。屋台向けの発泡材製どんぶりに透明なふたをして、209系電車の写真を印刷した円形の掛紙を置き、セロハンテープで留める。中身は茶飯の上に大きな鶏唐揚を載せて、煮玉子と紅生姜を添えるもの。
これは掛紙に記されるとおり、大船駅の駅そばメニュー「親子そば」を弁当にしたもの。通勤電車も都会の駅の駅そばも、常連客に多く提供されるものであるから、この組合せはとても的を射ている。味もB級グルメとしておいしい仕上がりなので、普段も売られていいと思う。
209系電車は1993年から主に京浜東北線へ投入されたJR東日本の通勤電車。その前年に「重量半分・価格半分・寿命半分」をコンセプトに京浜東北線へ10両編成3本が投入された試作車の量産型であり、従来の常識からかけ離れた貧弱なスペックとルックスに対して、当時の鉄道ファンは使い捨てカメラの商品名から連想した「走ルンです」という軽蔑的な愛称で呼び合った。通勤電車という役回りもあり、明らかに不人気の車両であった。
だから、2010年1月24日の京浜東北線からの引退に合わせて、JRがイベントを行ったり、鉄道ファンが撮影や乗車に集まったり、記念駅弁が出たりすることが信じられなかった。通常の電車の寿命とされる20〜30年の半分を走った830両の電車は、E233系電車への置き換えが始まった2007年当時はたしか全車が廃車となると伝えられたが、実際は約4割の車両が叩き直されて房総半島へ転じ、現地では新型の電車として走り続けている。
駅弁の名前のとおり、横須賀線の開業120周年を記念して、2009(平成21)年6月限りで販売された記念駅弁。浅く華奢(きゃしゃ)な正方形の容器に木目柄のボール紙でふたをして、横須賀線電車の加工写真かイラストかを印刷した掛紙を巻いて、ひもで十時にしばる。中身は日の丸俵飯にカレー風味の鶏照焼、ホタテやサトイモなどの煮物、ピンク色のしゅうまいと赤い漬物、「祝」焼き印の玉子焼など。いつもながらチープな大船駅の記念駅弁だけど、価格と分量と風味に不満は出ないし、掛紙の品質も良かった。
横須賀線は神奈川県内で大船駅と久里浜駅を結ぶ23.9kmのJR線。1889(明治22)年に大船駅から横須賀駅までの区間で開業したため、2009年は開業120周年ということになる。第二次大戦中の1944(昭和19)年に横須賀駅から久里浜駅までの区間が延伸開業して全通、開業当初から東京駅までの直通運転を実施していたが、1980(昭和55)年には東京駅と大船駅の間で地下新線や貨物線を利用して東海道線と経路を分離したため、この区間も旅客案内上は「横須賀線」を名乗っている。(正式な路線名は東海道本線)
かつては首都と軍港を結ぶ重要な路線であり、政府や軍部の幹部が多く利用していたため、戦前から二等車、現在のグリーン車が連結され続けている。1925(大正14)年の電車運転開始から続く青地に白帯の車体色は、横須賀線の電車の色、略して「スカ色」と呼ばれ、1994年に登場したステンレス製で塗装が不要な現在のE217系電車にも、帯シールの色として採用されている。
第6弾が1月で「お楽しみ弁当3」なEF5861牽引「踊り子」で800円、第7弾が2月で「お楽しみ弁当4」なEF66牽引「はやぶさ」で880円、そしてこの第8弾が3月で「お楽しみ弁当5」なEF66牽引「富士」で980円と続いた、大船軒の月替わり企画駅弁。なお、この企画はこの第8弾で終了した模様。
容器が発泡材枠になり、中身はおいなりさん2個に細巻2個と鯵の押寿し2個、ミニハンバーグとソーセージと鶏唐揚と枝豆、玉子焼にミニ帆立に煮物類と柴漬け。中身の構成や見栄えがかなり微妙な感じだが、メインの購入層が掛紙目当てであれば何の問題もない。
現在の日本の最高峰であり、戦前から日本のシンボルでもあった「富士」の名は、1929(昭和4)年に国内で列車愛称が初登場した際に、現在の飛行機でいうファーストクラスとビジネスクラスのみを備えた全国最上位の特別急行列車に付された。第二次大戦の激化で1944(昭和19)年に列車が廃止された後、その名称の復活先は慎重に考えられたようだが、1961(昭和36)年10月の国鉄ダイヤ改正で、東京と宇野を結ぶ昼行の四国連絡特急という、列車の格としては必ずしも高くない場所で復活している。
1964(昭和39)年10月の東海道新幹線開業に伴う国鉄ダイヤ改正にて、東京と大分を結ぶ寝台特急に名称が転用されたが、これもやはり東京と西鹿児島を結ぶ寝台特急列車「はやぶさ」や、ブルートレインの元祖であり車両の半数がA寝台で構成された東京・博多間の寝台特急列車「あさかぜ」に比べると格落ちとされた。
翌年の鹿児島延伸、1980(昭和55)年の宮崎駅での打ち切り、1990年の南宮崎駅への延伸、1997年の大分駅での打ち切りを経て、45年間を東京と日豊本線沿線を結ぶ寝台特急として過ごし、2009年3月14日のJRグループダイヤ改正での廃止を迎える。
富士が登場した1929年に現在の飛行機で言うエコノミークラス専用の特別急行列車に採用され、富士と同じく寝台特急に転用されて一足先に消えた東京・長崎間の「さくら」は、2011年3月に予定される九州新幹線鹿児島ルート全線開業に合わせて、山陽新幹線と九州新幹線を直通する新幹線列車で復活することが決まっている。「富士」の名も、いつかどこかで復活の時が来るであろうか、その時はどのような形で登場するのであろうか。
おそらく2008(平成20)年12月5日に、金土日曜限定駅弁として発売。ベースが黒でふたが透明な正方形の、駅弁用とは思えないプラ製の惣菜容器を使用、これに157系電車の特急「あまぎ」の写真を使った掛紙を巻いて、ひもで十字にしばる。中身は白御飯の上に糸こんにゃくと豚肉煮を載せた豚丼で、かまぼこ、玉子焼、ブロッコリー、ニンジンとシイタケとコンニャクの煮物、紅生姜を添える。
つまり内容も風味も8月の第1弾とだいたい同じで、100円の値上げがあるので、なんだか値の張るB級グルメ。この「第5弾」は12月限りで終売か。なお、第4弾は11月に、いわゆる「湘南顔」の80系電車を掛紙に使って出ていたが、買い逃した。
国鉄157系電車は、日光輸送で東武特急に対抗するために1959(昭和34)年に登場した準急型電車。準急は急行の下位に位置する種別であったが、上記の理由で特急型の座席を備えて登場、その後実際に特急型電車として、草津方面や軽井沢方面及び伊豆方面で活躍した。
東京と伊豆急下田を結んだ特急「あまぎ」での活躍は、1969(昭和44)年から1976(昭和51)年までの間。窓部からの雨水浸入で鋼製車体の痛みが早く、20〜30年は使う鉄道車両としては短命で事実上全車が廃車、国鉄はこれに懲りて1985(昭和60)年のステンレス製205系電車まで、車両の側窓に下降窓を採用しなかった。
漫画アクションの連載作品「駅弁ひとり旅」とのタイアップで2008(平成20)年9月27日に発売。長方形の容器に木目柄のボール紙でふたをして、同作品の漫画家が描いた登場人物と元祖湘南電車のイラストを描いた掛紙をかけて、駅弁らしくひもで十字にしばる。
中身は鶏照焼を載せてひじきを混ぜたカレー御飯と、焼きサバとシラスを載せたトマト御飯に、玉子焼とミニ大福などを添えるもの。御飯の色で湘南電車の塗り分けを表現している。千円の駅弁でこの内容と分量ではどうかと思うが、大船の記念駅弁にしては味が無難なジャンクフード。2009年までの販売か。
東海道線東京口の普通列車がステンレス製の電車にほぼ代わった時点で、「湘南電車」は死語になったのではと思うが、沿線の古老と鉄道ファンそしてマスメディアの中では、あと何十年も生き残っていくのだろう。国鉄80系電車がここから去って約40年が経過するというのに、1950(昭和25)年の登場時のインパクトがとても大きかったためか、こうやって21世紀になっても駅弁の掛紙になったり、藤沢駅のホーム上の売店のデザインになったりしている。
※2015年9月補訂:終売を追記おそらく2008(平成20)年10月3日に、金土日曜限定駅弁として発売。第1弾や第2弾と異なる、9マスの区画を持つ正方形のプラ製の惣菜容器を使用、これに185系電車の急行「伊豆」の写真を使った掛紙を巻いて、ひもで十字にしばる。中身はゴマ振り白御飯、ゆかり振り白御飯、古代米の赤飯、細いエビフライ2本、ハーブチキン、カマボコと玉子焼、タケノコやニンジンなどの煮物、枝豆、たこ焼き。価格はまた90円上がったのに中身はやっぱりチープ、でも賑やかにはなっており、よりお祭り風味やイベント性が出ている。この「第3弾」は10月限りで終売か。
1981(昭和56)年に東京・伊豆急下田間でデビューした国鉄185系電車は、掛紙写真のとおり白い車体に緑色で斜めのストライプという、国鉄車両の常識を打ち破る斬新なカラーリングが話題を集めた。一方で普通列車での使用も考慮した設計により、1両に2箇所もある広いデッキ(乗降口)やリクライニングしない普通車座席を持つという、悪い意味で特急車両らしくないと陰口も叩かれた。関西地区へ同時期に投入されていた117系電車は、185系と同じ性能と座席を持つのに料金不要の新快速列車で使われていたため、国鉄は関東の客から特急料金をぼったくるという悪口さえ言われた。
そんな185系電車は1981(昭和56)年10月に特急「踊り子」でデビューするが、その半年前から同区間の急行「伊豆」で暫定的に使用された。この掛紙の写真はその短い期間に撮影された貴重なものである。
2008(平成20)年9月5日に、金土日曜限定駅弁として発売。8月の第1弾と同じ容器を、183系電車の特急「あまぎ」の写真を使った掛紙で包む。中身は白御飯の上を鶏照焼、鶏そぼろ、炒り卵で覆い、インゲンと柴漬けを添えるもの。残念ながら分量も風味も、スーパーの390円弁当レベル。しかし世の鉄道ブームに駅弁も乗るためには、この手の仕掛けが必要だろう。価格は20円の値上げ。この「第2弾」は9月限りで終売。
特急あまぎは、東海道新幹線に三島駅が開業した1969(昭和44)年4月の国鉄ダイヤ改正から、1981(昭和56)年10月の国鉄ダイヤ改正まで、東京と伊豆急下田を結んだ特急列車。つまり現在の「踊り子」の前身である。写真の183系特急型電車が使われた期間は、1976(昭和51)年3月から廃止までの約5年半だけであり、現在の鉄道ファンが見れば「!」か「?」かの反応をするであろう写真である。
2008(平成20)年8月1日に、金土日曜限定駅弁として発売。正八角形の薄いプラ製容器に透明なふたをかけて、左から215系・E231系・113系・211系・E217系と大船ゆかりの通勤電車が並んだ写真を掲載する掛紙で包む。中身は白御飯の上に豚肉としらたきを敷き詰めて、玉子焼とインゲンと紅生姜を載せるもの。風味はコンビニかファストフードの豚丼そのもので、バリバリのB級グルメ。分量は少なめだが、鉄道ファンの中高生向けにピッタリな駅弁だと思う。この「第1弾」は8月限りで終売。
電車の説明をすると、215系は定員制通勤列車「湘南ライナー」の座席増加を目的に1992年に登場した二階建電車、E231系は首都圏に残る国鉄製電車の置き換えを目的に2000年に登場した通勤型電車、113系は1962(昭和37)年から太平洋ベルト地帯で広く活躍した国鉄の近郊型電車、211系は1985(昭和60)年に登場した113系の後継車、E217系は1994年に登場した横須賀・総武快速線における113系の後継車。
下記の記念駅弁「東海道線開業120周年記念弁当」の第3弾で、1956(昭和31)年に運行を開始した寝台特急列車「あさかぜ号」の写真を採用した。掛紙だけのチェンジなので、中身や価格は当然に同一。
この駅弁は大船駅の駅弁売店に加え、東海道線下りホーム上での駅弁立売でも販売された。これも東海道線開業120周年を記念して、横浜駅と大船駅で2007年7月14、15、16、21、22日の5日間、立売を実現したもの。しかし台風の接近により14日から16日までの3日間は中止され、実施は残る2日間に縮小された。
ベテランの男性係員が大きな箱に駅弁を積み重ね、「べんとーーー、べんとーーー。」と太い声を響かせながらホームを練り歩く。感動の光景。しかし立売から駅弁を買う風習は、ここではとっくに消えている。立売人は乗客に呼び止められることなく電車を見送る。そして、電車が去って箱を台に仮置きすると、駅弁を買い求める声がかかり、駅弁が売れていた。
名前のとおりの記念駅弁。横浜・国府津間の開業120周年を記念して、2007(平成19)年7月11日から24日までを3期に分け、同じ名前と価格で掛紙を替えて販売した。これは15日から19日まで販売の第2弾で、1960(昭和35)年当時に大船駅を通過していた、パーラーカー付き特急「つばめ号」の写真を採用した。
中身は酸っぱい酢飯の上を激甘の玉子そぼろ、しょっぱい鳥そぼろ、風味のない鮭フレーク、普通に甘いうぐいす豆、刺激的な柴漬等で覆い、蒲鉾とレンコンとエビを貼るもの。下記「ありがとう113系湘南電車弁当」に輪をかけた不味さは、掛紙収集と収穫報告のための駅弁。
2006(平成18)年3月の東海道本線東京口からの113系電車の引退に間に合わず、4月と5月に販売された記念駅弁の5月版。大船駅弁「まぐろの浜ごはん」などでも使われる楕円形の容器に、113系電車の写真を載せた掛紙をかけ、湘南電車色の紙ひもでしばる。中身は酢飯の上に鮭フレークとウグイス豆と錦糸卵を敷き、白身魚フライ、鶏唐揚、イカ、ソーセージ、玉子焼、蒲鉾などを添える。
緑と橙の湘南電車の色を表したいがために、弁当として過多の甘いウグイス豆と、過少の無味な鮭フレークと、色あせた業務用錦糸卵を、不思議に魚臭く酸っぱい酢飯に載せる、味覚が狂いそうな御飯部分。おかずも付け合わせも安っぽく、期間限定は良かったかも。掛紙収集目的の駅弁。
湘南電車の定義は時代とともに移り変わったが、最後は主に東海道本線東京〜熱海間を走る113系電車に落ち着いた感じ。その先祖で1950年に登場した80系電車で、電車の色イコール焦茶色という常識を覆して採用した、沿線のみかんの実と葉を表したとも言われるオレンジとグリーンの塗り分けが、人々に驚きを与え、支持されて、国鉄直流電化区間に広まった。
2001(平成13)年4月10日の駅弁の日に発売。長方形の容器を3分割し、左右に御飯を配置、中央におかずとして、ポーク焼売や薩摩芋に、薩摩揚やかき揚げや煮物類を入れるという、横浜駅弁「季節おこわ」にそっくりのつくり。当初は駅弁の日限定の駅弁として製作し、好評のため半年ほど駅売りが続けられていたらしい。現在は入手できない。
掛紙の表面下と側面に湘南電車が走る。「明るい緑色とミカン色に塗り分けられた電車は、昔、湘南電車の名で親しまれていました。」と掛紙に書いてある。1950(昭和25)年にここでデビューした80系電車は、ぶどう色という茶色か黒に決まっていた国鉄電車の色を明るく鮮やかにし、戦後の暗いイメージを一新したなどと、今の本や雑誌に紹介される。
東海道本線は国鉄の最重要幹線であり「顔」であり、後のクリーム車体に赤いラインの特急こだま号、並行する白地に青帯の新幹線、白地に緑のストライプを描いた特急踊り子号と、最新や最初の電車がここで走り始めたものだが、国鉄分割民営化後のJR東日本では最重要幹線でなくなったようで、首都に出入りする他の路線より旧型な国鉄時代の電車が走り続ける路線となっている。
※2020年7月補訂:解説文を手直し