新潟駅から信越本線と磐越西線を乗り継いで2時間弱。阿賀町は新潟県の東部で阿賀野川が流れる、人口約1万人の町。会津と新潟や日本海を結ぶ街道や舟運が通ったほか、大規模な銅山や発電ダムや肥料工場が立地した工業都市でもあった。日出谷駅は当時も今も小さな中間駅であるが、過去には蒸気機関車の車庫があり給水地であり、列車の停車時間に売られるとりめしが名物であった。1914(大正3)年11月1日開業、新潟県東蒲原郡阿賀町日出谷。
1914(大正3)年の発売。佐賀県の鳥栖駅「かしわめし」に次ぐ、全国で2番目に古い鶏飯駅弁とされた。長方形の容器に炊き込み御飯を敷き、粒子の細かい炒り卵と鳥そぼろを半分ずつ載せる。漬物などを付け合わせ、デザートはパイナップル。他の鶏飯駅弁とはひと味異なる、個性的な駅弁。
東北本線の郡山駅と信越本線の新津駅を結ぶ磐越西線は、大正時代までは高崎駅〜直江津駅〜新潟駅の信越本線とともに、帝都と日本海側を結ぶ重要な幹線であった。1931(昭和6)年9月に上越線が全通し、その役割を譲っても、東北地方を横断し太平洋と日本海を結ぶ路線として、この福島県と新潟県を結ぶ磐越東線+磐越西線(平駅(いわき駅)〜郡山駅〜新津駅)と、宮城県と山形県を結ぶ陸羽東線+陸羽西線(小牛田駅〜新庄駅〜余目駅)は、国鉄で「本線」に準じる路線として重視された。日出谷駅は新津駅と会津若松駅のほぼ中間にあり、平地に乏しい阿賀川や阿賀野川沿いで少し平坦な土地があったため、機関車の車庫や給水塔が置かれ、列車が少し長く停まり、駅弁が売られた。
しかし1969(昭和44)年9月のSLの引退で車庫や停車時間は不要になり、車社会化と国道49号の改良で昭和時代のうちには磐越西線のうち新潟方面と会津盆地の間は幹線鉄道としての役割を終える。そんなローカル線の、急行列車が止まることなく快速列車さえ通過する小さな駅で、平成にかかるまで駅弁が販売されていたのは奇跡的でであった。
平成時代には駅での駅弁の販売をやめて、時刻表から駅弁を売る駅の記号が消えた。しかし1999(平成11)年4月に新津駅と会津若松駅を結ぶ観光客向けSL列車「SLばんえつ物語」が誕生すると、その運転日に駅のホーム上での駅弁の販売を復活した。この知られざる駅弁は知名度を上げ、むしろ限定数を奪い合う人気の駅弁となった。2005年5月時点で、会津若松駅行きのSL停車の3分間の停車時間に、20個限定で販売された。
このように21世紀まで細々とながら生き残った日出谷駅の駅弁であったが、2010(平成22)年の秋ないし2011(平成23)年の春に、完全に消滅した。理由は店主の死去ないし高齢とされる。
※2013年5月補訂:終売を追記1990年前後の、12月26日14時の調製と思われる、昔の日出谷駅弁の掛紙。絵柄は上記の復活時と同じで、JR東日本の観光キャンペーン「LOOK EAST」のロゴマークを貼る。おそらく駅でいったん売り止める前のものだろう。「磐越西線 日出谷駅 構内立売営業」とは書いてあるが、駅弁の掛紙らしい注意書きはなくなった。
昭和50年代、1980年前後の、5月4日19時の調製と思われる、昔の日出谷駅弁の掛紙。絵柄は上記の後のものと、印象はまるで異なるが、中身はおそらく同じだろう。印刷でなく押印する価格表示は、戦後昭和時代の駅弁掛紙では少数派だと思う。
新潟駅から信越本線と磐越西線を乗り継いで約1時間半。阿賀町の中心市街地は日出谷駅より津川駅のほうが近く、ここにもかつて阿賀野川の河港があった。駅弁はなかったが、2023年10月に日出谷駅弁の復元が津川駅で実施され、観光列車「SLばんえつ物語」会津若松駅行き列車の停車時間にホーム上で弁当などが売られるようになった。1913(大正2)年6月1日開業 新潟県東蒲原郡阿賀町角島。
2023(令和5)年10月15日に津川駅で発売。9月23日の新潟駅での「つがわ狐の嫁入り行列」プロモーションイベントで先行販売。磐越西線の豪雨災害や蒸気機関車の法定検査で2022年8月から運休していた、磐越西線の観光列車「SLばんえつ物語」が、2023年夏に運転を再開するにあたり、阿賀町が観光振興の一環で、かつて町内の日出谷駅で売られた名物駅弁「とりめし」の復元を企画した。当時の調製元は2010年に廃業しており、今回は豊実駅近くの温泉旅館「いとう屋」が調製。「SLばんえつ物語」会津若松駅行き列車の津川駅での停車時間に限り、ホーム上で一日30個限定にて売り始めた。
四角く浅い容器に白飯を詰め、鶏そぼろと玉子そぼろで覆い、梅干しと青のりを置き、鶏照焼、まいたけ、にんじん、青菜などを添える。かつての日出谷駅弁「とりめし」とは、飯の具の材料が同じことを除き、風味も食感も付合せも、容器も掛紙の絵柄も、何もかもが異なる新作。調製元はともかく販売駅も異なり、歴史の断絶を目の当たりにする。とはいえこの発売は東京のテレビ局のニュースにもなるほど注目され、津川駅ではかつての日出谷駅での販売のように客に殺伐と奪い合われる大人気。販売側でも人気を警戒してか、1人1個限定で、SL列車の乗客に販売した後に余っていたら他の客に売る態勢を敷いた。今回の乗車日はクリスマス扱いで、そんな紙片が弁当に入っていた。
磐越西線の観光列車「SLばんえつ物語」会津若松駅行き列車の停車時間に、津川駅のホーム上で買えたお弁当。スーパーやコンビニの惣菜向けプラ容器に御飯を詰め、挽肉と野菜の炒め物を盛り、ゆで卵で彩る。SL列車やローカル線、新潟県や津川駅との関連は何もないと思うタイ料理。酸味や辛味はあまり感じられず、無難にいただけた。この年の秋の、SL列車の他の運転日には、栗飯や舞茸飯が売られたらしい。津川駅での17分の停車時間で殺伐と奪い合われた「とりめし」とは違い、これやポリ容器のお茶にプリンなどはのんびり買えた。新津駅行き列車の15分間の停車時間に、物販は出なかった。