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 旅の友「駅弁」。実際に食べた駅弁を中心に、日本全国と世界の駅弁を紹介します。

JR東日本 日出谷(ひでや)駅 JR-East Hideya Station
2021(令和3)年10月訪問 GoogleMap「日出谷駅」

駅名標 駅舎 駅構内

新潟駅から信越本線と磐越西線を乗り継いで2時間弱。阿賀町は新潟県の東部で阿賀野川が流れる、人口約1万人の町。会津と新潟や日本海を結ぶ街道や舟運が通ったほか、大規模な銅山や発電ダムや肥料工場が立地した工業都市でもあった。日出谷駅は当時も今も小さな中間駅であるが、過去には蒸気機関車の車庫があり給水地であり、列車の停車時間に売られるとりめしが名物であった。1914(大正3)年11月1日開業、新潟県東蒲原郡阿賀町日出谷。

【終売】とりめし(700円)Torimeshi (end of sales)
2002年5月25日に日出谷駅のホーム上の小屋で購入

掛紙 外観 中身

1914(大正3)年の発売。佐賀県の鳥栖駅「かしわめし」に次ぐ、全国で2番目に古い鶏飯駅弁とされた。長方形の容器に炊き込み御飯を敷き、粒子の細かい炒り卵と鳥そぼろを半分ずつ載せる。漬物などを付け合わせ、デザートはパイナップル。他の鶏飯駅弁とはひと味異なる、個性的な駅弁。

東北本線の郡山駅と信越本線の新津駅を結ぶ磐越西線は、大正時代までは高崎駅〜直江津駅〜新潟駅の信越本線とともに、帝都と日本海側を結ぶ重要な幹線であった。1931(昭和6)年9月に上越線が全通し、その役割を譲っても、東北地方を横断し太平洋と日本海を結ぶ路線として、この福島県と新潟県を結ぶ磐越東線+磐越西線(平駅(いわき駅)〜郡山駅〜新津駅)と、宮城県と山形県を結ぶ陸羽東線+陸羽西線(小牛田駅〜新庄駅〜余目駅)は、国鉄で「本線」に準じる路線として重視された。日出谷駅は新津駅と会津若松駅のほぼ中間にあり、平地に乏しい阿賀川や阿賀野川沿いで少し平坦な土地があったため、機関車の車庫や給水塔が置かれ、列車が少し長く停まり、駅弁が売られた。

しかし1969(昭和44)年9月のSLの引退で車庫や停車時間は不要になり、車社会化と国道49号の改良で昭和時代のうちには磐越西線のうち新潟方面と会津盆地の間は幹線鉄道としての役割を終える。そんなローカル線の、急行列車が止まることなく快速列車さえ通過する小さな駅で、平成にかかるまで駅弁が販売されていたのは奇跡的でであった。

平成時代には駅での駅弁の販売をやめて、時刻表から駅弁を売る駅の記号が消えた。しかし1999(平成11)年4月に新津駅〜会津若松駅で観光客向けSL列車「SLばんえつ物語号」が誕生すると、その運転日に駅のホーム上での駅弁の販売を復活、知られざる駅弁は知名度を上げ、むしろ限定数を奪い合う人気の駅弁となった。2005年5月時点で、会津若松駅行きのSL停車の3分間の停車時間に、20個限定で販売された。

このように21世紀まで細々とながら生き残った日出谷駅の駅弁であったが、2010(平成22)年の秋ないし2011(平成23)年の春に、完全に消滅した。理由は店主の死去ないし高齢とされる。

※2013年5月補訂:終売を追記
※2005年9月補訂:販売個数現況を追記
販売駅
磐越西線 日出谷(ひでや)駅 1914(大正3)年11月1日開業 新潟県東蒲原郡阿賀町日出谷
調製元
朝陽館 新潟県東蒲原郡阿賀町日出谷 02549(7)2017

【掛紙】とりめし(500円)Torimeshi
調製年月日不詳

掛紙

1990年前後の、12月26日14時の調製と思われる、昔の日出谷駅弁の掛紙。絵柄は上記の復活時と同じで、JR東日本の観光キャンペーン「LOOK EAST」のロゴマークを貼る。おそらく駅でいったん売り止める前のものだろう。「磐越西線 日出谷駅 構内立売営業」とは書いてあるが、駅弁の掛紙らしい注意書きはなくなった。

販売駅
磐越西線 日出谷(ひでや)駅 1914(大正3)年11月1日開業 新潟県東蒲原郡阿賀町日出谷
調製元
朝陽館 新潟県東蒲原郡阿賀町日出谷 02549(7)2017

【掛紙】とりめし(500円)Torimeshi
調製年月日不詳

掛紙

昭和50年代、1980年前後の、5月4日19時の調製と思われる、昔の日出谷駅弁の掛紙。絵柄は上記の後のものと、印象はまるで異なるが、中身はおそらく同じだろう。印刷でなく押印する価格表示は、戦後昭和時代の駅弁掛紙では少数派だと思う。

販売駅
磐越西線 日出谷(ひでや)駅 1914(大正3)年11月1日開業 新潟県東蒲原郡阿賀町日出谷
調製元
朝陽館 新潟県東蒲原郡阿賀町日出谷 02549(7)2017