東京駅から北陸新幹線はくたか号で約2時間。上越市は新潟県西部の上越地方で日本海に面する、人口約18万人の城下町。古代から現在まで、交通の要衝や行政の拠点である。駅弁は2015年3月の新幹線駅の開業と上越妙高駅への改称とともに、直江津駅の駅弁屋が改札外に店舗を構えて販売。1921(大正10年)8月15日開業、新潟県上越市大和五丁目。
新潟駅から特急しらゆきで2時間弱。直江津駅は新潟県内で初めて開業した駅のひとつであり、信越本線と北陸本線が接続し本州を縦貫と横断する路線が出会う鉄道の要衝で、1900年頃から駅弁も売られた。2015年の北陸新幹線の開通で特急列車の発着と旅行者が減り、駅も第3セクター鉄道に転換、駅弁は駅から消えて駅前のホテルで売られる。1921(大正10年)8月15日開業、新潟県上越市東町。
1960(昭和35)年前後には発売か。昭和時代の直江津駅の名物駅弁。現在の内容は白飯に鶏そぼろを敷き、平たい鶏肉で覆い、柴漬けと野沢菜のわさび漬けとガリを添える。肉のコクとサクサク感がほどよく、御飯にぴったりのシンプルな駅弁。掛紙は公式サイトのアートなボール紙ふたでなく、白地に鶏と商品名を描く昭和風だった。価格は2016年の購入時で950円、2018年時点で1,000円、2022年4月から1,100円。
※2022年4月補訂:値上げを追記直江津駅の開業125周年を記念し、2011(平成23)年8月28日に直江津駅で発売。この駅で35年ほど前まで売られていたといういなり寿司を復活させたという。中身はおいなりさんが5個。中身のニンジンやレンコンやシイタケなどを混ぜた五目酢飯が、何も主張しない範囲で味と香りを醸しだし、これは単なる腹の足しとしてのおいなりさんに収まらないはず。価格は2011年の発売時で600円、2016年の購入時で650円、2022年4月から750円。
直江津駅は1886(明治19)年8月15日の開業。これだけ早く鉄道が通じたのは、東西両京を結ぶ鉄道の資材を運ぶため。上野駅と京都駅を中山道経由で結ぶ路線のために、直江津駅から長野県の田中駅までの路線を先に敷いた。しかし直江津駅の開業前月の閣令にて、横濱駅と京都駅を坂道が少ない現在の東海道本線の経路で結ぶことが決まってしまったが、後に信越本線となる高崎駅から直江津駅までの鉄道は建設が続行され、田中駅から木曽路への計画は放棄された。
※2022年4月補訂:値上げを追記上越妙高駅の駅弁売り場で買えたお菓子。竹皮を模した紙の中で、プラ製トレーに丸いあんころ餅を9個並べ、商品名や食品表示を記した掛紙を置いてしばる。これが駅弁や駅売り銘菓であったかどうかは分からないが、かつてこの近くの駅ではこのようなあんころもちが明治時代から売られていたので、直江津駅にもそのようなものがあったかもしれない。調製元は直江津市街で1919(大正8)年創業の和菓子屋さん。
上越妙高駅の駅弁売り場で買えたお菓子。上記の「あんころ餅」と同じ姿をして、商品名のとおり中身にクルミが入り、掛紙の色が淡くなり、値段が54円高い。
訪問時の上越妙高駅の通路で売られていたお惣菜。常設か特設か、「野菜ふる里市」や「おもてなしカフェ」の立て看板を出し、いろんな食べ物を台売りしていた。プラ製パックに山菜おこわのみを詰めて300円。そんなお惣菜に、商品名や食品表示と風景写真を載せた、駅弁の掛紙にも見える立派なシールを貼っていた。調製元はかつての新潟県中頸城郡板倉町、現在の新潟県上越市板倉区にある地域活動団体か。
訪問時の上越妙高駅の通路で売られていたお惣菜。常設か特設か、「野菜ふる里市」や「おもてなしカフェ」の立て看板を出し、いろんな食べ物を台売りしていた。山菜や炒り卵やマスや紫蘇などを載せた御飯を、最小限の笹の葉で仕切った笹寿司を、プラ製パックに並べて500円。かつて長野駅や飯山駅で駅弁になっていた、この地域の郷土料理の笹寿司。
北陸新幹線と上越妙高駅の開業に向けて、2014(平成26)年3月1日に直江津駅で発売。新潟県の上越商工会議所青年部地域開発委員会が「釜蓋遺跡をイメージしたかまぶた丼・釜蓋弁当」のテーマで2013年6月から8月まで駅弁レシピを公募、10月の駅弁コンテストで1位となった市内の小学生の応募作「越後笹(ささ)ぶた弁当」に基づき、駅弁屋と共同で開発したもの。
切干大根みそ漬と生姜酢漬を混ぜた、新潟県産米の白御飯を、豚肉の味噌漬焼で覆い、味噌の大葉巻き、大根みそ漬、野沢菜漬を添える。見た目でも内容でも、豚肉駅弁ないし豚焼肉丼であることは確かであるものの、食べればどこからでも漬物が湧いてくる、実は漬物弁当。漬物は駅弁では、以前から年寄りの嗜好品。11歳の女子小学生が、よくぞこんな内容を考えついたものだ。価格は2015年の購入時で1,100円、2022年4月から1,200円。
釜蓋遺跡は、上越妙高駅の西口の目の前で、土地区画整理事業に伴い2005年に発掘された、弥生時代の終わりから古墳時代はじめの大規模な環濠集落跡。2008(平成20)年7月に付近の2遺跡とともに斐太遺跡群(ひだいせきぐん)として国の史跡となり、約4.6ヘクタールの史跡公園として2015年4月にオープンした。
※2022年4月補訂:値上げを追記2006(平成18)年7月29日に発売。専用の紙箱には、駅弁の名前と稲作の風景や宣伝文が描かれる。中身は雑穀米の日の丸御飯に、焼鮭、かまぼこ、玉子焼、シイタケやこんにゃくなどの煮物、酢の物や漬物に笹団子。幕の内駅弁を「ふるさと」のテーマで彩った、美しい田舎弁当。「幕の内弁当」という駅弁がない直江津駅や上越妙高駅で、その役割を担うのではないかと思う。価格は2014年の購入時で1,000円、2022年4月から1,100円。
※2022年4月補訂:値上げを追記2009(平成21)年5月に発売。見ただけでは分からないが2009年のNHK大河ドラマ「天地人」関連の駅弁で、主人公の直江兼続(なおえかねつぐ)が戦でかぶった兜(かぶと)に掲げた文字「愛」にちなんだもの。また、埼玉県の大宮駅で駅弁を売る日本レストランエンタプライズ(NRE)の営業所長がこの駅弁の開発に深く関わったようで、掛紙の上部に「大宮駅←→直江津駅 限定駅弁」の文字が見える。
ボール紙製のやや小柄な正方形の容器に、商品名や山や海などを描いた掛紙を巻いて、赤いひもでおしゃれにしばる。中身は雑穀混じりの赤い御飯に梅干や漬物、大根などの煮物、焼鮭、棒ダラ甘露煮、生タイプのタラコ、バイ貝、するめ天、笹団子などがぎっしり。風味も内容もとてもとても手が込んでいて、作るのが大変そうな印象。日本酒にとても合う弁当だという評価もある。2010年時点で要予約になった模様。価格は2009年の購入時で1,200円、2014年時点で1,250円、2015年時点で1,300円。2015年までの販売か。
※2021年3月補訂:解説文を整理直江津駅のホテルハイマート版幕の内駅弁。上杉謙信や林泉寺を描いたボール紙の長方形の容器を使用、中身は日の丸御飯に焼鮭、エビフライ、レンコン揚げ、玉子焼、蒲鉾、煮物、わさび漬けなど。焼鮭が塩辛になり、エビとレンコンの揚げ物が油漬けになり、付合せの刺激物が4種も入る昭和の昔の内容と風味。食事よりも酒のつまみに向く。価格は2007年の購入時で840円、2015年時点で880円。2015年までの販売か。
※2020年5月補訂:終売を追記19×9×4cmとやや小柄な竹皮柄のボール紙箱を使用、中身は山の幸の押寿司ということで、鮭、ワラビ、椎茸とタケノコ、ひじきという、海も入ると思う押寿司が、笹の葉の仕切りで二段重ねになって各1個ずつ。これにそばずしやチキンナゲット、焼マスやふき味噌や笹団子などを添える。
こびりとは、新潟県上越地方に加えて福井や大分その他の地域でも使われているらしい方言で、間食や軽食やおやつの意味。地味だけど雰囲気が良く、味付け控えめで風味が良く、価格の割に腹持ちが良い、買って食べた後に良さが分かる駅弁。この駅弁は2008年末頃に調製元が駅弁から撤退したため失われた。
※2010年4月補訂:終売を追記昭和の頃からある、直江津駅のイカヤ版な幕の内タイプの駅弁。静岡駅や新見駅や函館駅の駅弁のような、横にとても細長いボール紙の容器を使用、黒いトレーに収まる中身は、日の丸御飯にカニ玉子そぼろ御飯、焼マスにアジフライに明太子ロール、肉団子にちくわに海老、煮豆その他の付合せにパインとサクランボなど。
塩マスは薄味、アジフライはサクサク、白とカニ寿司の御飯2種に付合せもおしとやかで、同日購入のライバル駅弁に210円の追加でこれだけ変わるものかと。こちらは車中での一食に向く。四季で中身が変わるかどうかは分からない。
この駅弁は2008年末頃に調製元が駅弁から撤退したため失われた。
※2010年4月補訂:終売を追記謙信公とはもちろん、戦国武将・上杉謙信のこと。「お立ち」とは出陣の際にごちそうを出すことだそうで、質素倹約に慣らされた兵士の志気を上げる役割を果たしたそうな。楕円形の容器の中に、笹に包まれた栗とシソのおにぎりがひとつずつ、おかずは鱒塩焼・ホタルイカ・エビ・鶏肉に加え、謙信公旗印の焼き印が捺されたかまぼこが入っている。この駅弁は2008年末頃に調製元が駅弁から撤退したため失われた。
※2010年4月補訂:終売を追記1975(昭和50)年2月7日14時の調製と思われる、昔の直江津駅弁の掛紙。欄外に「当駅より春日山城址・林泉寺まで四・五キロ」とあるが、春日山城は江戸時代に入りまもなく廃城となり建物はなく、林泉寺やその周辺に五重塔のようなものはなさそうなので、この掛紙はどこの何をイメージしたのだろうか。調製元は山崎家旅館を1974(昭和49)年7月に建て替えてホテルハイマートになり、新旧の名称が右下部に記される。
1960年代、昭和40年前後の、8月3日7時の調製と思われる、昔の直江津駅弁の掛紙。いろんな魚介類が細々と描かれるが、これは幕の内弁当の掛紙なので、中身の紹介というよりはむしろ直江津が港町であることを示したのだと思う。
1955(昭和30)年5月3日8時の調製と思われる、昔の直江津駅弁の掛紙。佐渡と五智国分寺を描く。五智国分寺(ごちこくぶんじ)は直江津駅から西へ約1.5kmの地にある寺院で、戦国時代にどこからか現在地へ移転し再興。奈良時代の越後国分寺の所在地は判明していない。
1930年代頃のものと思われる、昔の直江津駅弁の掛紙。五智国分寺、親鸞聖人五ヶ年謫居地、春日山謙信公居城跡、佐渡行汽船乗場、直江津海水浴場を名所に挙げる。掛紙の形式と注意書きから、鉄道の駅弁のものであることに違いないが、調製元の所在地を「越後直江津港」としたことが興味深い。
1930(昭和5)年3月17日7時の調製と思われる、昔の直江津駅弁の掛紙。手前に五智国分寺、奥に春日山城趾、沖に佐渡島を描く。調製元のいかや旅館は、現在のホテルセンチュリーイカヤ。駅弁からは撤退したが、今も駅前に宿泊施設を構える。
1930年代頃のものと思われる、昔の直江津駅弁の掛紙。佐渡を望む直江津の日本海を描き、鳥居は五智国分寺を示すのだろうか。調製元の山崎屋旅館は、現在も直江津で駅弁を売り、駅前に宿泊施設を構えるホテルハイマート。
1930年代頃のものと思われる、昔の直江津駅弁の掛紙。直江津海岸と春日山城跡、五智国分寺を描く。古さを感じさせない、整然としたデザインだと思う。調製元の山崎屋旅館は、現在のホテルハイマート。
1920(大正9)年5月19日の調製と思われる、昔の直江津駅弁の掛紙。おべんとうとおすしの詰合せでなく、おべんとうにもおすしにも使える掛紙ではないかと想像する。当時の定価はいずれも20銭。五智国分寺と春日山城趾と佐渡を描く。
1920年頃、大正10年前後のものと思われる、昔の直江津駅弁の掛紙。40銭の上等辨當は、1919(大正8)年頃から1922(大正11)年頃までの価格。掛紙は海と舟と佐渡島でデザインされたのではないかと思う。