東京駅から新幹線こだま号で1時間弱。三島市は静岡県の東部で伊豆半島の付け根に位置する、人口約11万人の門前町かつ宿場町。東海道が通り三嶋大社が位置する古くからの市街であり、富士の湧水を活かした工業都市でもある。駅弁は沼津駅で明治時代からの駅弁屋が、両駅で同じものを販売。1934(昭和9)年12月1日開業、静岡県三島市一番町。
東京駅から新幹線こだま号と普通列車を乗り継いで約1時間。沼津市は静岡県の東部で伊豆半島の付け根に位置する、人口約19万人の港町かつ宿場町。駿河湾の水産物と水産加工業と観光で賑わう。新幹線の開業前は鉄道の要衝でもあった。駅弁は1891(明治24)年からの駅弁屋が健在で、地元財界と駅弁業界の名門企業でもある。1889(明治22)年2月1日開業、静岡県沼津市大手町1丁目。
昭和時代中期の昔の駅弁を再現したという幕の内弁当。2004(平成16)年の御殿場線開業70周年の記念駅弁だろうか。総経木製の長方形の容器に経木のふたをして、富士と松と逆さ富士をシンプルに描いた掛紙をかけて紙ひもでしばる。
中身は日の丸俵飯に鯖照焼と蒲鉾と玉子焼の幕の内駅弁三種の神器、ホキフライに鶏唐揚に牛肉やタケノコと、沼津を主張する桜えびが少々。おかずが少々胃に重たいかもしれないが、値段の割にいろいろ詰めている。価格は購入時で710円、2015年時点で770円または780円、2019年時点で810円、2022年時点で880円。
沼津駅は、新幹線がなく蒸気機関車が走っていた時代から、駅構内の基本的な構造が変わらない。沼津の政官財界では昔から鉄道の高架化を望んでおり、市長選はこれを争点に街を二分する激戦となり、その間の1979(昭和54)年に静岡と浜松が相次いで東海道本線の高架化を実現した。
半世紀の混乱を経て2003(平成15)年に、ついに国の補助事業として採択され、設計や用地買収が公式に始まった。しかしこれで反対勢力の活動はむしろ過激化し、以後15年を経てもまだ着工できずにいる。
※2022年10月補訂:値上げを追記2023(令和5)年4月14日に三島駅と沼津駅で発売。政府の新型コロナウイルス感染症対策で2020年4月から休業していた、調製元の三島駅新幹線ホーム2号売店の営業再開を記念し、静岡県産の抹茶を使用した「抹茶弁当シリーズ」として、「抹茶あじ寿司」(1,380円)「沼津香まだい寿司(抹茶寿司飯)」(1,320円)「抹茶めし弁当」(1,080円)の3種類を同時に発売した。
中身は、俵型の抹茶めし、鶏の唐揚げ、鯖の塩焼き、タケノコの旨煮、白身魚フライ、玉子焼き、かまぼこ、箱根山麓豚の旨煮、わさび漬、香の物。これはつまり上記の「御弁当」の日の丸俵飯を、抹茶飯に置き換えたものだろう。掛紙の絵柄も同じで、やはり抹茶色に置き換えた。そのため、生まれながらにして見た目も風味も古風で落ち着きのある、茶が香る駅弁。
2022(令和4)年10月9日に購入した、沼津駅弁の掛紙。日本鉄道構内営業中央会の鉄道開業150年記念復刻駅弁企画により、同月から期間限定で販売された31社34駅弁のひとつ。これは10月3日から16日まで、三島駅と沼津駅で販売した。昭和初期に使用していたという絵柄を、掛紙に取り入れた。容器や中身や値段は、普段の「御弁当」と同じ。「御弁当」そのものが復刻駅弁のようなものなので、これ全体が幕の内弁当の復刻駅弁にも思える。
2004(平成16)年10月9日に購入した、沼津駅弁の掛紙。上記の2018年のものと変わらない。幕の内駅弁をこの古風な姿に戻した趣旨から、今後も変わらないものと思われる。御殿場線開業70周年のスタンプが押されていた。
三島駅と沼津駅で売られる、助六寿司の駅弁。昔ながらの寿司屋で使われそうな折詰向け紙容器を、絵柄も注意書きも古めかしいデザインの掛紙で包む。中身は太巻き1個、玉子巻の太巻き1個、細巻き2個、おいなりさん3個の、その名のとおりの助六寿司。特徴がないことが特長であり、安価で安心して腹を満たせる、普通寿司駅弁の生き残り。価格は2017年の購入時で540円、2019年時点で560円。
※2019年8月補訂:値上げを追記三島駅と沼津駅の助六寿司駅弁の、2004(平成16)年時点での姿。当時の中身は、いなりずしが二個と控えめな分、細巻きが四種十個も入り、その具をすべて合わせた太巻が一個入っていた。外観や中身がどうであれ、この駅弁の機能と役割と、古風につくられていることに、変わりはない。
※2017年4月補訂:新版の収蔵で解説文を整理三島駅のコンビニ型キヨスクで見つけたおいなりさん。プラ製の惣菜容器に細身の稲荷寿司を5個詰めて、中身写真とたくさんの宣伝文句を刷った掛紙で包む。中身と同数の5個が添付されるわさび漬は個人的に苦手なので試せなかったが、調製元は昔からの駅弁屋ではなく地元のわさび漬屋ということで、駅弁と違う惣菜のジューシーさがあった。2007年から一日10個が販売されているそうな。2012年頃までの販売か。
柿田川は、三島駅の南方約2kmに位置する柿田川公園内の湧水を源に、南へ流れて狩野川へ合流する、全長わずか1.2kmの一級河川。環境省「名水百選」その他のタイトルを持ち、清流にしか棲めない希少な動植物を観察でき、富士山の澄んだ湧き水が森の中から一日100万トンも湧き出す美しい風景は、年に何度もテレビ中継で流れている。
しかし、そんな風景は河川の約100m幅に限定されたものであり、周辺は工場や住宅やロードサイド型商業施設に駐車場や畑地や空き地が広がる、起伏や草木に乏しく砂っぽい郊外風景。1970年代に地元で自然保護運動が盛り上がったおかげで、流域の土地の約95%が役所と財団法人に買い取られ、市街化から守られている。
※2017年4月補訂:終売を追記沼津駅と三島駅の幕の内弁当。梅干しを載せた俵型御飯に、エビフライ・鶏唐揚・玉子焼・蒲鉾・焼鯖と、煮物に煮豆に付け合わせ。ミニカップに入ったわさび漬けが静岡県を主張しているが、三島や沼津を連想させるものはない。三島発着の新幹線利用者や、青春18きっぷで東海道線を乗り続ける旅行者の腹を満たす。今は「御弁当」に一本化か。
※2015年10月補訂:終売を追記1984(昭和59)年3月25日15時の調製と思われる、昔の沼津駅弁の掛紙。富士山や駿河湾などを江戸時代以前のイメージで賑やかに描き、三島に伝わる農兵節(のうへいぶし・ノーエ節)の歌い出し「富士の白雪やノーエ 富士の白雪やノーエ 富士のサイサイ白雪や朝日でとける」を記す並等幕の内駅弁。
1984(昭和59)年3月25日15時の調製と思われる、昔の沼津駅弁の掛紙。上記の掛紙「幕の内お好み弁当」と、調製の年月日時まで同じもの。左欄外に「桃中軒創業明治二十四年明治の浪曲の大家桃中軒雲右衛門は修行の旅で桃中軒の弁当を食べて出世したので桃中軒の号を用いた。」とある。経緯や理由には異説があるが、明治時代の後半に人気の浪曲師であった桃中軒雲右衛門(とうちゅうけんくもえもん)の桃中軒は本当に、この沼津駅弁の屋号から来ている。
1973(昭和48)年10月18日10時の調製と思われる、昔の沼津駅弁の掛紙。沼津駅と三島駅と御殿場駅の駅名を列記するため、三島駅や御殿場駅で売られたものかもしれない。静岡県土のシルエットに、富士山や駿河湾、山岳や紅葉や川下りや茶畑に松や魚などをアバウトに描く。清水次郎長がいるような気がする。
1967(昭和42)年10月5日10時の調製と思われる、昔の沼津駅弁の掛紙。絵柄は下記の1965年8月のものと同じ。「集札売店販売」のスタンプを押し、不思議と駅の中での販売箇所を明示する。昔の駅は今のように改札口で出入りするのではなく、改札口から入り、集札口で出るものだった。古いJR駅舎に謎の改札口があったり、島根県の旧大社駅の駅舎の外に立派なものがあったり、群馬県の上信電鉄下仁田駅で入口と出口を分けているのが、そのイメージ。
1965(昭和40)年8月29日16時の調製と思われる、昔の沼津駅弁の掛紙。新幹線の時代になってもまだまだ古風な感じ。なお、東海道新幹線の三島駅は、新幹線の開通当時には設置されず、その5年後の1969(昭和44)年に開業している。
1956(昭和31)年1月16日11時の調製と思われる、昔の沼津駅弁の掛紙。駅弁の名前は「おこのみべんとう」と読ませるそうな。富士山と、江戸時代の沼津名物であった富士見の白酒、博多仁和加のような半面を描く。
1938(昭和13)年10月25日7時の調製と思われる、昔の沼津駅弁の掛紙。上記の戦後の1956年1月の掛紙と、同じ絵柄を持つ。駅弁の歴史もまた第二次大戦の前と後でほぼ断絶したため、横浜駅のシウマイなどごく一部の事例を除き、同じ絵柄の使用はとても珍しいと思う。おこのみべんとうという名前も、戦前の掛紙で他に見た記憶がない。
1938(昭和13)年2月17日の調製と思われる、昔の沼津駅弁の掛紙。状態は違えど、上記の同年10月25日のものと同じ。
1927(昭和2)年12月26日1時の調製と思われる、昔の沼津駅弁の掛紙。掛紙に描く千本松原は、今も東海道本線の沼津駅〜片浜駅の南の海岸線に広がる、延長約10km、面積約100ヘクタール、30万本以上のクロマツ林。列車の車窓からは市街に阻まれて、ほぼ見えない。
第二次大戦前の調製と思われる、昔の沼津駅の駅弁掛紙。花柄に紅白の垂れ幕が、おめでたく美しい図柄で、何らかの記念掛紙だろうか。調製印もそれを押す位置もない。