東京駅から新幹線で2時間強。京都市は京都府の県庁所在地である、人口約150万人の市。9世紀末の平安時代からの都であり、世界的に著名な古都として、年に5500万人もの観光客が訪れる。駅弁は見た目に多種が売られるが、それらは他府県の駅弁や近隣の弁当であり、京都駅の駅弁や駅弁屋はなくなっている。1877(明治10)年2月6日開業、京都府京都市下京区烏丸通塩小路下ル東塩小路町。
京都駅の在来線ホームに生息していた、昭和の昔の普通寿司駅弁の生き残り。透明なプラ製容器に太巻き3切れ、伊達巻寿司1切れ、タラ?のばってら2切れと魚すり身のばってら2切れを詰めて、生姜を添えて割りばしとともに輪ゴムでしばる。その容器に平成はおろか新幹線時代とも思えない、うおへん(さかなへん)が付く漢字や付いてはならない商品名漢字を敷き詰めたデザインの薄い掛紙を巻いて、さらに輪ゴムでしばる。
他の駅では昔も今も、普通寿司駅弁イコール助六寿司と考えてよいが、ここのものは伊達巻があったり、ばってらのネタがすり身であったり、内容も風味もひと味違う。好みでなくても妙に感心する、土地と調製元の個性の塊。駅や駅弁屋の所在地表記も、よそ者には使いこなせない個性の塊。
なお、萩の家の駅弁は、2008年9月までに在来線改札内から売店が消え、2010年9月に新幹線改札内から商品が消え、同年12月に売店も閉店してしまい、今では駅で買うことができなくなっている。
※2011年1月補訂:現況を追記京都駅で昭和の頃から売られていた、鮎寿司の駅弁。八角形の経木折に同じ形の経木でふたをかけ、商品名や保津川の渓流を描いた同じ形の掛紙を被せ、ひもで十字にしばる。中身はアユの姿寿司がまるごと1匹分、かわいらしいサイズを半身にして腹側から割いて2匹分に見せて、木の葉型の酢飯に押し付ける。アユ駅弁として割安なのに風味良好、分量もほどほど。
鮎寿司の駅弁は、かつては本州や九州の渓流地ではどこにでも存在していたが、今やすっかり懐かしい存在。生臭く酸っぱい味はどう考えても現代的ではないし、鮎駅弁で知られた駅弁屋はなぜか、次々に廃業や倒産へ追い込まれている気がする。
なお、萩の家の駅弁は、2008年9月までに在来線改札内から売店が消え、2010年9月に新幹線改札内から商品が消え、同年12月に売店も閉店してしまい、今では駅で買うことができなくなっている。
※2011年1月補訂:現況を追記1980年代頃の調製と思われる、昔の京都駅弁の掛紙。昭和時代やそれ以前の京都駅弁の掛紙で、京都らしさのないデザインは珍しいかもしれない。
1930(昭和5)年7月12日7時の調製と思われる、昔の京都駅弁の掛紙。桂川の保津峡を流れる筏船と鮎に見えるような絵柄を持つ、色彩の整った掛紙だと思う。
写真のとおり、サバの棒寿司が1本。経木枠の箱に収まり、木版でふたをして、写真もイラストも何もない掛紙をかけられて、ひもで十字にしばられる。風味は値段が3倍の高額高級鯖寿司駅弁に比べれば、サバの分量や弾力は劣るものの、この値段なのに食べられる仕上がりで、少々の臭みがある古風な味。
鯖街道という名称はどうも、第二次大戦後の造語である模様だが、京の都には日本海側から様々なルートで鯖その他の魚介類が運ばれ、海の幸が市民に提供されてきた。鯖寿司は主に祭りでのご馳走として作られたそうで、江戸時代からの老舗が今も街中に存在する。駅弁としては敦賀や米子に負けているが、ここにはこの駅弁が存在しておくべきである。
なお、萩の家の駅弁は、2008年9月までに在来線改札内から売店が消え、2010年9月に新幹線改札内から商品が消え、同年12月に売店も閉店してしまい、今では駅で買うことができなくなっている。
※2011年1月補訂:現況を追記1996(平成8)年11月24日7時の調製と思われる、昔の京都駅弁の掛紙。上記の13年後と、実質的な価格を含め、ほぼ変わらない。
写真のとおり、アナゴの棒寿司が1本、経木枠の箱に収まり、木版でふたをして、写真もイラストも何もない掛紙をかけられて、ひもで十字にしばられる。風味は値段が2倍の高額高級鯖寿司駅弁に比べれば、アナゴの柔らかさや口の中に広がる風味に劣るものの、この値段なのに食べられる仕上がり。ただ、京都とアナゴに縁はあまりないような気がする。
なお、萩の家の駅弁は、2008年9月までに在来線改札内から売店が消え、2010年9月に新幹線改札内から商品が消え、同年12月に売店も閉店してしまい、今では駅で買うことができなくなっている。
※2011年1月補訂:現況を追記