JR大阪駅や地下鉄梅田駅から数分。大阪市は国内で2番目の規模を持つ大都市圏の中心である、人口約280万人の政令指定都市で県庁所在地。古代から二千年近い歴史を持つ港町であり、中世には物流や商業で発展、明治時代から工業も栄え、今も世界有数の大都市である。駅弁は東海道新幹線の開通で東海道本線との交点に駅が設けられて以来、大阪駅の駅弁が販売された。当時の駅弁屋は2010年4月に消えたが、今はむしろ全国各地の駅弁や地元などの弁当が、新幹線改札内や在来線改札内で多く売られる、全国有数の駅弁販売駅。1964(昭和39)年10月1日開業、大阪府大阪市淀川区西中島5丁目。
2021(令和3)年の年末までに発売か。掛紙で竹籠と言い張る、竹皮の絵柄を印刷したボール紙の容器に、五目御飯をじかに詰め、鶏照焼、れんこんとサトイモとにんじんと椎茸の煮物、玉子焼、鶏つくね、小松菜、くり、ひじきなどを散らして覆う。やはり掛紙では幕の内と言い張るが、これは鶏飯だろう。なかなか値の張る、きれいでおいしいお弁当。
市販の仕出し弁当向け容器に、日の丸俵飯、サツマイモやレンコンなどの天ぷら、かぼちゃコロッケ、鶏唐揚、玉子焼、焼きそば、ウインナーなどを詰めたもの。つまり、俵飯に揚げ物主体のおかずを詰めた惣菜弁当。これも一緒に買った「たこめし二段重」も、調製元は駅弁で内弁当と位置付けた商品であるらしいが、このように駅弁売店で駅弁と同じように売られ、買われていく。京都エリアや神戸エリアでも、同じものが売られているのではないかと思う。
2019(令和元)年にこの姿になったものか。案内や宣伝は見当たらないが、これは2000(平成12)年に当時の水了軒が発売した駅弁を、新たな水了軒が「汽車弁当」の名で復刻し、さらに名前や掛紙の絵柄まで復刻したもの。
掛紙には昭和時代初期の通天閣と新世界の写真が、加工されて使われる。中身は俵飯に漬物を添え、がんもやシイタケやカボチャや野豆腐などの煮物と、鮭と玉子と鶏の焼き物などのおかずを、ゴロゴロと転がすもの。見栄えも内容も、昭和時代を感じさせる幕の内駅弁。価格は2020年時点では、2000年当時と同じ980円、2022年時点で1,050円
※2022年4月補訂:値上げを追記阪神百貨店の地下食料品売り場で購入。潰れた駅弁屋の商標を買い取った業者が発売。その姿は、下記のかつての大阪駅弁「汽車辨」に、とてもよく似ている。おそらく似せたのではないかと思う。駅弁サイズの経木折風容器に、俵飯と柴漬けを詰め、焼鮭、かまぼこ、玉子焼、鶏肉、煮物、ミニ大福などを添える。幕の内駅弁の味、大阪駅の駅弁の味が、ここに再現されていた。しかし、駅で売られることはない模様。
この商品は現存しないと思われる。その替わりかどうか、上記の弁当「汽車辨」が2019年に水了軒の名で復刻され、新大阪駅などで売られ始めた模様。
※2020年5月補訂:終売を追記東海道新幹線700系のぞみ号キャンペーンの一環で、2000(平成12)年に発売。駅弁の原点を目指したそうで、日の丸俵飯に焼き魚、かまぼこ、玉子焼で幕の内駅弁三種の神器を詰め、煮物や漬物を添える。原点の経木折が華奢な紙との合成品になり、掛紙が紙ふたになったのは仕方がなくても、三種の神器の見栄えも大きさも味もいまいちで、これよりも普段の水了軒の幕の内弁当のほうが見た目も内容も風味もうまくできている。なお、駅弁の名前はラベルでは「汽車弁当」、紙のふたは「シ氣」の文字を使う。
この駅弁は駅弁業者の事業停止により、2010年4月19日限りで失われてしまった。
※2010年4月補訂:終売を追記東海道新幹線の開業50周年を記念して、「東京・品川・新横浜」「名古屋」「京都・新大阪」の3種類を、2014(平成26)年4月1日から12月まで販売した記念駅弁。販売期間の前半と後半で異なる絵柄のふたを使い、この写真は後半版。さらに全50種類の中から1枚の記念カードを添付するといい、東海道新幹線の駅弁では珍しく、コレクター仕様を取り入れた。
この「京都・新大阪」バージョンの中身は、 鶏飯としば漬け混ぜ御飯の俵飯、焼き湯葉、 エビフライ、みそかつ、イイダコ煮、イカ団子、アナゴ天、サワラ西京焼、50th焼き印の玉子焼など。そんな内容の割には、見た目も味も整然としている。後に3バージョンを統合した「東海道新幹線弁当」として、2015(平成27)年4月2日にレギュラー商品化した。
2006(平成18)年3月18日のJRグループ各社のダイヤ改正に合わせて発売。大きさと深さが昭和の駅弁らしい形状の経木枠容器にボール紙のふたをして、まるごとラップで包む。中身は日の丸御飯におかずがたっぷり。おかずの内容はしおりに書いてあり、博多の味としてフグ唐揚、レンコンの明太子挟み揚、春雨明太味、明太子ロール、高菜の油炒め、大阪の味として高野豆腐、玉子ロール、魚の幽庵焼、炊きかしわ、華カマボコ、たこ焼天、煮物を詰めている。
おかずにテーマを持たせた由緒正しき幕の内。おかずの種類が豊富であることと、その詰め方並べ方がしっかり決まっていることは、やっぱり大阪駅水了軒の幕の内駅弁。生まれや見た目は記念駅弁だが、定番の幕の内として長く売られてよい駅弁だと思う。
今回のパッケージのテーマは、2008年11月30日限りでの0系新幹線電車営業運転終了。これをテーマにした駅弁は沿線各地に出ているが、いずれもなぜか不思議と新幹線のイラストに編成番号「R67」を明記している。そんな業務用の表示はJR社員と鉄道ファンしか気にならない。0系新幹線電車は国鉄時代に登場しているため、JR西日本が0系新幹線の駅弁を承認する際に、JR西日本のオリジナルな点を入れる必要があったのだろうか。
この駅弁は駅弁業者の事業停止により、2010年4月19日限りで失われてしまった。
※2010年4月補訂:終売を追記山陽新幹線博多開業30周年を記念して、2005(平成17)年1月23日から9月30日まで販売された、沿線12駅10駅弁業者による「復刻!懐かしの駅弁」シリーズのひとつ。1975年頃に新大阪駅で販売されていた幕の内弁当を復刻したという。駅弁の公式な名称は、食品表示ラベルにあるとおり「むかしむかしの幕の内」。
長方形の経木枠容器に経木のふたをかけて、掛紙で包んで割りばしを挟み紙ひもでしばる。中身は日の丸御飯に焼魚、海老天、出汁巻玉子、高野豆腐、煮物類に金時豆など。おかずの種類は異なるが、容器と全体的な雰囲気は、上記の駅弁「汽車辨」や2002年の復刻弁当、あるいは通常の幕の内弁当と共通で、英文箸袋も同じもの。ここの駅弁屋の特徴であるおかずの食材の折り重ね方は、当時からのものだったのだろう。
JR西日本にとっては、2004年度「駅弁の達人」に続く駅弁キャンペーンであったが、4月25日の福知山線事故による自粛ムードのなか、有耶無耶に終わってしまった。
この駅弁は駅弁業者の事業停止により、2010年4月19日限りで失われてしまった。
※2010年4月補訂:終売を追記山陽新幹線新大阪・岡山間の開業30周年を記念して、新大阪・大阪・新神戸・西明石・姫路・相生・播州赤穂・岡山・福山・新尾道・尾道・三原・広島の13駅で2002年3月15日から、共通デザインの掛紙と約千円の価格で約2か月間の期間限定にて一斉に売り出した記念駅弁の、新大阪・大阪駅版。
底を除き経木を使う長方形容器を使用、中身は胡麻振り俵型御飯に鮭の焼魚・蒲鉾・玉子焼が入る一般的な幕の内弁当も、容器内に隙間が目立つ代わりによく調理されて冷めてもおいしい多種多様な煮物揚物が乱雑に配置され、見栄えは悪いが味と量は悪くない駅弁。
掛紙の開通式写真を、消費期限や原材料を記したシールで隠してしまったのは残念。一方で、英語で箸の使い方を説明した箸袋は興味深い。
1980年代、昭和50年代のものと思われる、昔の大阪駅弁の掛紙。大阪城や住吉大社のポップなイラストを掲載する。
1982(昭和57)年1月31日16時の調製と思われる、昔の大阪駅弁の掛紙。下記の1977年11月の掛紙の、絵柄を変えずにレイアウトを変えて、国鉄の観光キャンペーン「いい日旅立ち」のロゴマークを加えた。
1977(昭和52)年11月9日7時の調製と思われる、昔の大阪駅弁の掛紙。下記の1975年7月の「浪速弁当」と比べて、駅弁の名前を変えて「一枚のキップから」ロゴマークを載せたことを除き、何も変わらない。異なる名前の駅弁で同じデザインを使い回すのは珍しいと思う。
1975(昭和50)年7月29日16時の調製と思われる、昔の大阪駅弁の掛紙。名前からして大阪らしい。掛紙に写真を載せた千成瓢箪と噴水小僧は、それぞれ新大阪駅と大阪駅のシンボルとして展示されたものだそうな。
1974(昭和49)年3月17日の調製と思われる、昔の大阪駅弁の掛紙。第一次オイルショックの頃の駅弁掛紙。戦後最大の不況の時代、大阪城と住吉大社の写真はきれいだが、寂しくシンプルなデザインとも思える。
1973(昭和48)年10月26日16時の調製と思われる、昔の大阪駅弁の掛紙。どぎつい色彩の花と鳥でできた絵柄。こういう名前の駅弁は、おそらく幕の内弁当だと思う。
1967(昭和42)年10月18日16時の調製と思われる、昔の大阪駅弁の掛紙。右側の大阪城の写真は40年前を思わせないが、左側の阪神高速道路の写真はまさに40年前。1970(昭和45)年の万国博に向けて、当時の大阪では都市基盤整備が急ピッチで進められていた。
1964(昭和39)年11月28日の調製と思われる、昔の大阪駅弁の掛紙。東海道新幹線の開業から約2か月後。中身はおそらく並等幕の内弁当と思われる。大阪城と通天閣と住吉大社かどうか、大阪の名物が描かれた模様。
1961(昭和36)年5月7日16時の調製と思われる、昔の大阪駅弁の掛紙。御飯の掛紙に散る建物のイラストは、大阪城、新歌舞伎座、通天閣、あとひとつは何だろう。
1956(昭和31)年10月19日16時の調製と思われる、昔の大阪駅弁の掛紙。幕の内弁当とは書かれていないが、定式幕(じょうしきまく)の色遣いで、掛紙のデザインが幕の内を表しているような。
1954(昭和27)年10月27日の調製と思われる、昔の大阪駅弁の掛紙。大阪駅舎と大阪城と四天王寺五重塔、そして大阪市立電気科学館6階「天象館」のプラネタリウムを描いたと思われる。外食券とは、1942(昭和17)年2月制定の食糧管理法に基づき、主食を外食する者のために発行された券。食糧難の時代はこれがないと、食堂や旅館や弁当で米飯を食べられなかった。制度としては1969(昭和44)年まで残ったが、昭和20年代が終わる頃には形骸化したという。
1941(昭和16)年5月20日の調製と思われる、昔の大阪駅弁の掛紙。「熱だ!!力だ!!協力だ!!」「総力戦一人一人がみな戦士」、そして兵士と工員と主婦に見える顔を並べて、聖戦の遂行を鼓舞する。しかしその絵柄がかわいらしすぎて、戦中の掛紙に見えない感じ。
1936(昭和11)年9月23日8時の調製と思われる、昔の大阪駅弁の掛紙。当時の表現でいう大大阪(だいおおさか)の工業地帯や市街と、おそらく難波橋(なにわばし)の獅子像を描く。
1920年頃、大正10年頃のものと思われる、昔の大阪駅弁の掛紙。当時の幕の内駅弁は上等と普通が規定され、普通のものは一般に「御辨當」を名乗ったので、定価表以外の駅弁掛紙で「並辨當」という表記は初めて見た。掛紙の絵柄も形状も、今に残る当時の駅弁掛紙にない感じ。
1920年頃、大正10年頃のものと思われる、昔の大阪駅弁の掛紙。40銭という価格から時期を推定し、同じ意匠を持つ上記の「並辨當」にも反映した。そんな掛紙の絵柄も形状も、今に残る当時の駅弁掛紙にない感じ。