新大阪駅から新幹線で1時間ちょっと。福山市は広島県の東端に位置する人口約46万人の城下町で、戦前は鉄道の開通と繊維工業で成長し、戦後に大規模製鉄所を核とした臨海重工業で大きく発展した。1891(明治24)年に笠岡駅へ進出し、1940(昭和15)年に福山駅へ移転した駅弁屋の鯛寿司などが親しまれたが、2003(平成15)年1月に倒産したため三原駅の駅弁屋が進出した。1891(明治24)年9月11日開業、広島県福山市三ノ丸町。
広島駅から新幹線で約30分、山陽新幹線と山陽本線が接続し呉線を分ける駅。三原市は広島県南部で瀬戸内海に面した、人口約9万人の城下町。空港、新幹線、高速道路、港湾を有する交通結節点で、都市圏を形成する商工業都市。駅弁は1890(明治23)年に創業した駅弁屋のものが、今は改札外の臨時店やコンビニで買える。1894(明治27)年6月10日開業、広島県三原市城町。
2000年代までに福山駅で発売か。あるいは1999年のしまなみ海道の開通に合わせて発売か。当時の福山駅の駅弁屋である鞆甚の駅弁の名前が、2003年に現在の浜吉の駅弁に引き継がれた。ふたには海と島と長大橋と自転車に船舶や柑橘などが描かれ、本州と四国を結ぶ自動車道、西瀬戸自動車道、本州四国連絡道路尾道・今治ルート、通称「しまなみ海道(かいどう)」の特徴をよく表している。2010年代にはしまなみ海道のイラストマップを載せていた。
中身は俵飯にしては大きな白飯の海苔巻き3個、玉子焼とかまぼこと焼鮭、鶏唐揚、肉団子、れんこん天、筑前煮、酢の物、昆布巻、煮豆、漬物。瀬戸内でも調製元の主力でもない、個性を消して標準に徹した幕の内駅弁の内容を、見栄えよく食べやすく詰めた、普段使いで最上の内容に思える。価格は2010年時点で950円、2015年時点で1,000円、2016年時点で1,050円。その頃にいったん売り止めて、2021年までに1,080円で再販、2023年時点で1,100円、同年5月から1,200円。
2003年に三原駅の駅弁屋が福山駅へ進出してから、ほどなく発売か。底が深い長方形の経木枠の容器に木目柄のボール紙でふたをして、福山城を描いた単色の掛紙をかけて、ビニールひもでしばる。中身は日の丸御飯に焼鮭・蒲鉾・玉子焼とエビフライ、練り団子、鶏肉、椎茸、ハムなどのおかず。つまり幕の内駅弁で、中身に特段の豪華さは無いはずが、詰め方と見せ方で、まるで正月の記念駅弁のような印象。価格は2005年時点で1,050円、2015年時点で1,100円、2023年5月から1,250円。
※2023年7月補訂:写真を更新し値上げを追記2005(平成17)年12月29日に購入した、福山駅弁の掛紙。描かれているものは、上記の2023年のものと同じ。値段の表記、食品表示、調製元の住居表示などの差異に、約20年の変化を感じる。容器と中身も同じ。
昭和50年代に三原駅で発売。今もこの駅弁は、福山駅でなく三原駅で売られることになっている。白い掛紙には三原城を描く。戦国時代の16世紀後半に小早川隆景が海を埋め島をつなぎ築いた海城は、満潮時に海に浮かんだように見えたことから「浮城(うきしろ)」の呼び名が付き、この駅弁の名前とする。三原城は明治維新で廃城後に鉄道駅の敷地となり、今の三原駅との縁があるほか、残された一部の石垣が駅の下や前に位置する。
中身はつまり、上等幕の内駅弁。幕の内駅弁の容器としては細長く深めにできている折箱の、半分に日の丸御飯を詰め、半分に焼鮭、かまぼこ、玉子焼、海老天、鶏唐揚、煮物、ハム、小女子、香の物を折り重ねる。名前と掛紙の絵柄を除き、上記の福山駅弁「特製幕の内福山」と、まったく同じ。時系列的にはこちらが先で、あちらへ流用されたもの。価格は2010年時点で1,050円、2014年時点で1,100円、2023年5月から1,250円。
少なくとも2004(平成16)年までには発売。赤いトレーを入れた正方形の容器に、戦前の糸崎駅の駅弁掛紙を印刷した掛紙代わりのボール紙のふたをして、プラスティックの帯で留める。1940(昭和15)年の糸崎駅弁を再現したという中身は、赤飯に海老フライ・蒲鉾・玉子焼・ママカリ・鳥唐揚・焼鮭・昆布巻・煮物各種・煮豆など。海老と唐揚を除き品質の良さを感じるし、見栄えも整っている。
同じコンセプトの駅弁を東京で出せばマスコミが飛び付くだろうが、ここのものはいまだに完全な無名であり、もったいない。この駅弁は福山駅で買えたが、糸崎駅ではおそらく買えず、三原駅に置かれるかどうかは、分からない。購入時は900円、2008年6月から950円、2014年時点で980円。2014年頃までの販売か。
※2020年5月補訂:終売を追記山陽新幹線博多開業30周年を記念して、2005(平成17)年1月23日から9月30日まで販売された、沿線12駅10駅弁業者による「復刻!懐かしの駅弁」シリーズのひとつ。1976年に三原駅で販売された500円の記念駅弁を、福山駅弁扱いで復刻したという。
正方形に近い容器に木目調の紙のふたをかけて割りばしと紙ナプキンを載せ、当時の駅弁掛紙から転用した丸顔新幹線の写真を載せた掛紙で包み、ビニールひもでしばる。中身は型押し俵飯に白身魚、蒲鉾に串蒲鉾、玉子焼、ハム、煮物数点にリンゴなど。そういえば昔のお弁当には、こんなハムが入っていたような。
三原と糸崎の過去の駅弁をなぜか福山の復刻駅弁扱いにしたのは、当時の福山の駅弁業者が一昨年に倒産したばかりで、まだ地元では生々しかったためか。JR西日本にとっては、2004年度「駅弁の達人」に続く駅弁キャンペーンであったが、4月25日の福知山線事故による自粛ムードのなか、有耶無耶に終わってしまった。この駅弁は10月1日以降も販売が継続された。
1982(昭和57)年11月22日13時の調製と思われる、昔の三原駅弁の掛紙。山陽エリアを主とした郷土玩具の各種を版画風に描いているが、その中には聞いたことがないものも少なくない。どういう基準でどうやってこれらをリストアップしたのかが興味深い。
1970(昭和45)年に使用されたのではないかと思われる、昔の三原駅弁の掛紙。同年の大阪万博の文字とロゴを記し、瀬戸内海国立公園の写真を使う。今から見れば、山や島の斜面が削られた傷跡が痛々しい。この地域ではこの頃まで、温州みかん畑が盛んに造成されたが、豊作と過剰生産にグレープフルーツやオレンジの輸入自由化でみかんの価格が暴落し、畑が放置されるようになる。
1960年代のものと思われる、昔の三原駅弁の掛紙。おそらく梅花を描く。現在の三原市域には、満汐梅林という梅の名所があるが、これは地域と関係なく一般的な絵柄を描いたのではないかと思う。