新大阪駅から新幹線で1時間ちょっと。福山市は広島県の東端に位置する人口約46万人の城下町で、戦前は鉄道の開通と繊維工業で成長し、戦後に大規模製鉄所を核とした臨海重工業で大きく発展した。駅弁は、国鉄時代からの駅弁屋が2003年に撤退後、三原駅の駅弁屋「浜吉」が進出し、駅弁を販売する。1891(明治24)年9月11日開業、広島県福山市三ノ丸町。
広島から新幹線で約30分、山陽新幹線と山陽本線が接続し呉線を分ける駅。三原市は広島県南部で瀬戸内海に面した、人口約9万人の城下町。空港、新幹線、高速道路、港湾を有する交通結節点で、都市圏を形成する商工業都市。駅弁は国鉄時代からの駅弁屋「浜吉」のものが買える。1894(明治27)年6月10日開業、広島県三原市城町。
2003年の調製元福山進出後ほどなく発売か。底が深い長方形の経木枠の容器に木目柄のボール紙ふたをして、福山城を描いた単色の掛紙をかけて、ビニールひもでしばる。中身は日の丸御飯に焼鮭・蒲鉾・玉子焼とエビフライ、練り団子、鶏肉、椎茸、ハムなどのおかず。つまり幕の内駅弁で、中身に特段の豪華さは無いはずが、詰め方と見せ方で、まるで元旦記念駅弁のような印象。価格は購入時で1,050円、2015年時点で1,100円。
※2015年10月補訂:値上げを追記少なくとも2004年には登場していた。赤いトレーを入れた正方形の容器に、戦前の糸崎駅の駅弁掛紙を印刷した掛紙代わりのボール紙のふたをして、プラスティックの帯で留める。1940(昭和15)年の糸崎駅弁を再現したという中身は、赤飯に海老フライ・蒲鉾・玉子焼・ママカリ・鳥唐揚・焼鮭・昆布巻・煮物各種・煮豆など。海老と唐揚を除き品質の良さを感じるし、見栄えも整っている。
同じコンセプトの駅弁を東京で出せばマスコミが飛び付くだろうが、ここのものはいまだに完全な無名であり、もったいない。この駅弁は福山駅で買えたが、糸崎駅ではおそらく買えず、三原駅に置かれるかどうかは、分からない。購入時は900円、2008年6月から950円、2014年時点で980円。2014年頃までの販売か。
※2020年5月補訂:終売を追記山陽新幹線博多開業30周年を記念して、2005年1月23日から9月30日まで販売された、沿線12駅10駅弁業者による「復刻!懐かしの駅弁」シリーズのひとつ。1976年に三原駅で販売された500円の記念駅弁を、福山駅弁扱いで復刻したという。
正方形に近い容器に木目調の紙のふたをかけて割りばしと紙ナプキンを載せ、当時の駅弁掛紙から転用した丸顔新幹線の写真を載せた掛紙で包み、ビニールひもでしばる。中身は型押し俵飯に白身魚、蒲鉾に串蒲鉾、玉子焼、ハム、煮物数点にリンゴなど。そういえば昔のお弁当には、こんなハムが入っていたような。
三原と糸崎の過去の駅弁をなぜか福山の復刻駅弁扱いにしたのは、当時の福山の駅弁業者が一昨年に倒産したばかりで、まだ地元では生々しかったためか。JR西日本にとっては、2004年度「駅弁の達人」に続く駅弁キャンペーンであったが、4月25日の福知山線事故による自粛ムードのなか、有耶無耶に終わってしまった。この駅弁は10月1日以降も販売が継続されている。
1982(昭和57)年11月22日13時の調製と思われる、昔の三原駅弁の掛紙。山陽エリアを主とした郷土玩具の各種を版画風に描いているが、その中には聞いたことがないものも少なくない。どういう基準でどうやってこれらをリストアップしたのかが興味深い。
1970(昭和45)年に使用されたのではないかと思われる、昔の三原駅弁の掛紙。同年の大阪万博の文字とロゴを記し、瀬戸内海国立公園の写真を使う。今から見れば、山や島の斜面が削られた傷跡が痛々しい。この地域ではこの頃まで、温州みかん畑が盛んに造成されたが、豊作と過剰生産にグレープフルーツやオレンジの輸入自由化でみかんの価格が暴落し、畑が放置されるようになる。
1960年代のものと思われる、昔の三原駅弁の掛紙。おそらく梅花を描き、現在の市域には満汐梅林という梅の名所があるが、地域と関係なく一般的な絵柄を描いたのではないかと思う。く