1934(昭和9)年10月9日6時の調製と思われる、昔の門司駅弁の掛紙。関門海峡と鉄道連絡船を描き、背景は文字の市街と砂利山か。当時の門司駅は、現在の門司港駅で、1942(昭和17)年4月1日の改称。本州と九州を海底下で結ぶ関門トンネルの開通前、下関とこの門司駅は所要時間15分の鉄道連絡船で結ばれ、鉄道省で九州を所管する門司鉄道管理局が置かれる、九州内では博多駅や小倉駅も及ばない最重要の駅であった。「愛せよ風景 美化せよ国土」の標語は当時の、昭和恐慌後から日中戦争前くらいの間の鉄道省の当選標語だそうで、一部の駅弁掛紙に記載される。
駅弁屋も来ていた百貨店の食品催事で見つけた、駅弁のような鶏おにぎり。パッケージの記載によると、薩摩知覧鶏にコシヒカリと、宮崎県小林市とえびの市つまりえびの高原のゴボウを合わせたもの。実演販売の出来立てもあり、確かに美味かった。
2002年3月購入の熊本駅弁「うなぎのセイロむし」と調製元が同じなので購入したが、この商品は催事向けか。売り子さんに現地での販売はと尋ねたら、工場で売るなどという回答が返ってきた。実際はこの手の催事での実演販売に加え、パッケージ違いでは東京その他各地のデパ地下や熊本駅の前記売店での販売がある模様。
NEXCO西日本が2009年頃から九州でなんとなく展開する高速道路弁当ブランド「高速ふるさと弁当」のひとつとして、2010年までに大分自動車道山田サービスエリアで発売か。スーパーやコンビニでおなじみの平底上げ蓋の惣菜容器に、レンコンを貼ったかしわめしが3個、玉子焼2個、鶏唐揚2個、ミニトマト1個などを詰める。御飯で水車を描いたのだろう。廉価なお手軽作。
福岡県内で甘木市と朝倉町と杷木町が2006年に合併して誕生した朝倉市では、筑後川の水を田畑へ引くために江戸時代に設置された水車が残り、これが1990年7月に「堀川用水及び朝倉揚水車」として国指定史跡となった。水の力で水を汲み上げる2連や3連の大型木造水車は朝倉市が誇る観光資源であり、市の公式サイトの最上部に画像が載ったり、公設の観光施設名が「三連水車の里あさくら」であったり、この弁当の商品名にもなっている。
博多駅から鹿児島本線の電車で約20分。二日市駅のある筑紫野市は、福岡県の中央部に位置する、人口約10万人のベッドタウン。二日市は太宰府に近く、古来から九州を縦貫・横断する街道に位置する宿場町であり、市場や温泉でも栄えたが、今ではすっかり福岡や久留米の郊外の住宅地になった。鳥栖駅の駅弁が1969年から1986年まで売られたほか、1920年代かそれ以前に構内営業者がいたらしい。1889(明治22)年12月11日開業、福岡県筑紫野市二日市中央一丁目。
博多駅から鹿児島本線の電車で約30分。鹿児島本線が筑豊本線を分ける駅であり、筑豊が炭鉱で栄えた頃は鉄道の町として蒸気機関車の拠点があり、平成時代に宅地開発で福岡近郊のベッドタウンに変貌した。鳥栖駅の駅弁が1957年から1969年まで売られた。1889(明治22)年12月11日開業、福岡県筑紫野市原田。