駅弁の掛紙に記載された内容から、その駅弁が調製された年月日を推定する手掛かりについて記しました。
20世紀の駅弁掛紙の多くには、「調製」の文字や年月日時の数字などを記した丸い印影「調製印」があります。明治時代からの政府の食品衛生行政や官営鉄道の構内営業取締の中で、掛紙に弁当を調製した年、月、日、時が記されるようになりました。
駅弁に詳しい林順信氏は、1918(大正7)年の食品衛生法の改正により、弁当に調製日時の記載が義務付けられたと紹介しました。駅弁の掛紙にはその前年の1917(大正6)年から、調製印が現れ始めたようです。
調製印があれば、その駅弁が調製された日を特定できます。しかし、印字がかすれたもの、年の表記がないもの、年の表記について西暦の上二桁や元号を省略したものが多々あり、調製年月日を特定できない駅弁が多々あります。
左の駅弁掛紙では、「調製」「38.12.30」「16時」の調製印から、1963(昭和38)年12月30日16時の調製と判断できます。150円の価格や「国鉄」の文字から、1938(昭和13)年のものではないと判断できます。
駅弁の調製印は、昭和時代まではほぼ和暦が使われてきました。皇紀の絵柄の掛紙はありますが、皇紀の調製印は無いようです。1989(昭和64・平成元)年1月の改元、いわゆる2000年問題が起きた2000(平成12)年1月頃、2019(平成31・令和元)年の5月の改元のタイミングで、和暦を西暦または西暦下二桁の表記に切り替えた調製元が見られます。大正時代と昭和時代は14年の、平成時代は元号を省略した和暦表記と西暦下二桁表記に12年の差しかなく、その間に物価がほぼ変動しなかったため、どちらか分かりにくい掛紙が多くなっています。
アメリカの圧力を受けて、厚生省は1995(平成7)年4月1日に改正食品衛生法を施行、食品の日付表示を製造年月日表示から期限表示に改めたことから、駅弁の掛紙にも消費期限の表示が加わり、2000年代には調製年月日の表示を削除したものも現れ始めました。
左の駅弁掛紙では、「01.10.27 12:00」の製造年月日と「01.10.27 20:00」の消費期限が併記されます。その右の駅弁掛紙では、「2008.12.13 13時」の消費期限のみ記し、製造年月日の表記がなくなりました。
1970(昭和45)年まで、国鉄(その前身を含む)の駅で売られる駅弁の価格は統制されていました。それ以前の駅弁であれば、掛紙に記された価格から調製の時期を類推できます。なお、下記の価格は文献により差異が見られます。また、これより高い価格の駅弁が、許可により販売されたことがあります。
年月 | 上等辨當 | 普通辨當 | 普通鮨 | サンドウヰツチ | 出典 |
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1887(明治20)年時点 | 10銭 | 5銭 | 5〜8銭 | 林順信・小林しのぶ「駅弁学講座」P.159 | |
1897(明治30)年時点 | 15銭 20銭 | 10銭 12銭 | 6銭 7銭 | 林順信・小林しのぶ「駅弁学講座」P.160 | |
1898(明治31)年時点 | 25銭 | 15銭 | 5銭 8銭 | 林順信・小林しのぶ「駅弁学講座」P.160 | |
1906(明治39)年 | 25銭 | 15銭 | 10銭 | 20銭 | 林順信・小林しのぶ「駅弁学講座」P.160 |
1913(大正2)年 | 30銭 | 15銭 20銭 | 12銭 | 林順信・小林しのぶ「駅弁学講座」P.160 | |
1917(大正6)年12月 | 25銭→30銭 | 15銭 | 10銭→12銭 | 20銭→25銭 | 大正6年12月13日新橋運輸事務所長通知 |
1919(大正8)年 | 30銭 40銭 | 20銭 | 15銭 20銭 | 30銭 40銭 | 林順信・小林しのぶ「駅弁学講座」P.161 |
1922(大正11)年10月 | 40銭→35銭 | 20銭 | 20銭 | 40銭 | 大正11年10月18日停車場構内営業人従業心得 |
1930(昭和5)年 | 30銭 | 20銭 | 20銭 | 30銭 | 名古屋鉄道局「停車場構内営業規程」昭和5年10月1日現行 |
1938(昭和13)年8月 | 30銭 | 廃止 | 日本国有鉄道百年史第10巻P.789 | ||
1940(昭和15)年2月 | 30銭 | 20銭 | 30銭 | 昭和15年2月19日構内営業規程 | |
1943(昭和18)年8月 | 40銭 | 日本国有鉄道百年史第10巻P.789 | |||
1943(昭和18)年8月 | 40銭 | 30銭 | 昭和18年8月3日農林省告示第425号(価格等統制令の規定による) | ||
年月 | 上等弁当 | 普通弁当 | 料理弁当 | 出典 | |
1946(昭和21)年8月 | 3円 | 1円または2円 | 5円 | 日本国有鉄道百年史第10巻P.789 昭和21年8月2日大蔵省告示第614号(物価統制令の規定による) | |
1947(昭和22)年4月 | 最高10円 | 最高5円 | 最高10円 | 日本国有鉄道百年史第10巻P.789 昭和22年4月12日物価庁告示第159号(物価統制令の規定による) | |
1947(昭和22)年9月 | 最高20円 | 最高10円 | 最高20円 | 日本国有鉄道百年史第10巻P.789 昭和22年9月20日物価庁告示第700号(物価統制令の規定による) | |
1948(昭和23)年9月 | 最高50円 | 最高30円 | 最高70円 | 日本国有鉄道百年史第10巻P.789 | |
1951(昭和26)年8月 | 100円 | 80円以内 | |||
1951(昭和26)年11月 | 150円以内 | 80円以内 | 値段の明治大正昭和風俗史(朝日新聞社)1981 | ||
年月 | 特殊弁当 | 普通弁当 | 料理弁当 | 出典 | |
1954(昭和29)年7月 | 200円以内 | 100円以内 | 100円以内 | 昭和29年7月1日日本国有鉄道構内営業規則 | |
1963(昭和38)年6月 | 200円以内 | 150円以内 | 値段の明治大正昭和風俗史(朝日新聞社)1981 | ||
1966(昭和41)年1月 | 300円以内 | 200円以内 | 値段の明治大正昭和風俗史(朝日新聞社)1981 | ||
1970(昭和45)年1月または4月 | 指導価格制度廃止 |
現在のJRグループ各社に相当する鉄道事業者は、以下のように変遷してきました。掛紙にこれらの名称があれば、調製の時期を類推できます。「鉄道省」「日本国有鉄道(国鉄)」「JR」以外の表記を持つ駅弁掛紙は、ほとんどないかもしれません。
おおむね1970年代、昭和40年代以降の駅弁掛紙には、国鉄やJRが実施した観光キャンペーンの表記やロゴマークが多く見られます。掛紙にこれらの名称があれば、調製の時期を類推できます。キャンペーンの終了後もその表記を残したままの駅弁掛紙が多々あります。
国鉄は1961(昭和36)年7月に「国鉄をきれいにする全国運動」を実施しました。その活動の一環で標語を一般募集し、特選の「よごすまい 汽車は世界の 友が乗る」と推選2点を選定しました。この標語があれば、1961年かそれ以降の駅弁掛紙であることがわかります。
国鉄が1970(昭和45)年10月から1976(昭和51)年12月まで実施した観光キャンペーン。1971(昭和46)年1月22日の調製である左の駅弁掛紙に、「DISCOVER→JAPAN」の表記が見られます。
国鉄が1976(昭和51)年から東北6県で実施したキャンペーン。1980(昭和55)年9月12日の調製である左の駅弁掛紙に、そのロゴマークが見られます。
国鉄が1977(昭和52)年1月から1978(昭和53)年10月まで実施した観光キャンペーン。1978(昭和53)年6月2日の調製である左の駅弁掛紙に、「一枚の」「キップから」の表記が見られます。期間が2年弱と短いため、この表記を持つ掛紙はそれほど多くありません。
国鉄が1978(昭和53)年11月から1984(昭和59)年1月まで実施した観光キャンペーン。1980(昭和55)年11月27日の調製である左の駅弁掛紙に、「いい日旅立ち DISCOVER JAPAN2」のロゴマークが見られます。
国鉄が1984(昭和59)年2月から1987(昭和62)年3月まで実施した観光キャンペーン。1986(昭和61)年9月6日の調製である左の駅弁掛紙に、「エキゾチック ジャパン」の文字が見られます。
JR東日本が1988(昭和63)年4月からおそらく1992(平成4)年5月頃まで実施したキャンペーン。1989(昭和64)年1月7日に購入した左の駅弁掛紙に、そのロゴマークが見られます。
JR東日本が1992(平成4)年7月から1995(平成7)年まで実施したキャンペーン。このロゴマークは駅弁の掛紙では、21世紀に入っても使われていました。1992(平成4)年8月12日の調製である左の駅弁掛紙に、そのロゴマークが見られます。
JR東日本が1995(平成7)年6月からおそらく1998(平成10)年3月頃まで実施したキャンペーン。1997(平成9)年3月19日に購入した左の駅弁掛紙に、「東北大陸から。JR東日本」の表記が見られます。
JR東日本が1998(平成10)年3月から2001(平成13)年3月頃まで実施したキャンペーン。2001(平成13)年3月24日の調製である左の駅弁掛紙に、そのロゴマークが見られます。
JR西日本が2004(平成16)年4月から実施する観光キャンペーン。2005(平成17)年8月1日に購入した左の駅弁のふたに、ロゴマークが印刷されています。ただし実施期間が長期に渡るため、これで判明することは、JR西日本管内の駅弁であることと、2004(平成16)年4月以降の販売であることだけです。このロゴマークがない駅弁も多々あります。
駅弁の掛紙には、特定の時期や期間に義務付けられたり現れた絵柄や表記を持つものがあります。
1903(明治36)年または1906(明治39)年に、当時の国の鉄道作業局は停車場構内物品販売営業人従業心得を制定、官営鉄道の構内営業について仕様を定めました。その中で弁当、鮨、サンドウィッチ、今でいう駅弁について、以下の事項を鮮明に印刷すべしとしました。
逆に、これ以前の駅弁掛紙には、これ以降のものが備える駅弁掛紙らしさが見られないものが多くなります。例えば、名所の紹介がない、そもそも絵柄がない、鉄道に関する用語や注記がない、調製元の記載がないことがある、価格の表記がない、などです。そのため、コレクションとして出所が判明しているか、現存する調製元の名前がなければ、駅弁の掛紙と認識することが困難になります。1890年代、明治20年代のものと思われる左の紙は、停車場内という文字があることで駅弁の掛紙として収集されましたが、これがなければそうならなかったと思います。
1917(大正6)年頃から1922(大正11)年頃までの駅弁掛紙の一部には、表面に意見等の記入欄が見られます。この頃の駅弁掛紙には、本品(駅弁)に意見等あれば余白や裏面に書いて鉄道係員に渡せ旨の注記を持つものがあり、これに記入箇所を設けたものです。明治時代には注記そのものが見られず、昭和時代には記入案内がなくなり、戦後昭和には注記そのものが廃れたようです。1922(大正11)年2月11日の調製である左の駅弁掛紙に、そんな欄が見られます。
1922(大正11)年6月から1923(大正12)年9月まで、駅弁の掛紙には月替わりの広告枠がありました。鉄道局が公認する東京の三重商店と丸ノ内商店が、掛紙の絵柄に重ねて右と左と下部に四角い広告枠を設け、下部に鉄道局、下部以外に企業の広告を入れたものを、主要駅の調製元に卸したようです。昭和初期まで残存したと記す文献もあります。1922(大正11)年10月に使用されたものを復刻した左の駅弁掛紙に、サクラ政宗と鉄道旅行薬の広告と門司鉄道局の案内が見られます。
国家総動員法に基づく価格等統制令により、1939(昭和14)年9月18日の価格に凍結された物品に、価格停止品を示すマル停マークが付けられました。1946(昭和21)年3月3日の物価統制令の公布により廃止。同じ時期の駅弁掛紙には、マル停マークのないものや、少数ながら1940(昭和15)年6月24日の改正暴利行為等取締規則による公定価格を示すマル公マークを付けたものがあります。その頃に使用されたと思われる左の駅弁掛紙に、マル停マークが見られます。
戦時における食糧事情の悪化により、政府は1941(昭和16)年4月に6大都市(東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸)で米穀の割当配給制を実施、米の食事には政府より交付される外食券が必要となり、12月に全国へ拡大されました。1945(昭和20)年6月には旅行者用外食券の制度が実施され、米飯を含む駅弁の購入に旅行者用外食券が必要となりました。
昭和20年代の駅弁の名前や掛紙に「外食券」の表記を持つものがあります。下記の等外米を使用したり、食糧事情の好転で、昭和30年代以降の駅弁掛紙にこの表記はないようです。もっとも、この時代は駅弁屋でも米穀の調達が難しく、駅弁の販売を休止したり、米飯を含まない駅弁を販売することが多かったようで、外食券の表記を持つ駅弁掛紙は、あまり残されていないと思います。1954(昭和29)年10月27日の調製と思われる左の駅弁掛紙に「外食券」の表記があります。
1952(昭和27)年から1956(昭和31)年まで、等外米を使用した駅弁が販売されました。等外米とは、農産物検査法に基づく米穀の規格検査で等級別品位基準を満たさず規格外となったもの。上記「外食券」のとおり、米飯を含む駅弁の購入には旅行者用外食券が必要でしたが、調製元の団体交渉により新潟県などの生産地から直接に等外米を調達し、この外食券が要らない駅弁を販売し始めました。
1955(昭和30)年頃には米穀の供給が安定し、等外米の駅弁も廃れました。なお、等外米の制度は現存するほか、外食券の制度は1969(昭和44)年まで残りました。1954(昭和29)年当時のものを復刻した左の駅弁掛紙に、「等外米」「精選使用」の丸印が印刷されています。
第二次大戦中、当時の官営鉄道の構内営業人が、相互の連絡を密にし、組織の強化と組織体の利益を図るため、1943(昭和18)年3月に社団法人全国鉄道構内営業中央会を設立しました。戦中戦後の食糧難、食材調達の難航により、1944(昭和19)年4月の全国鉄道旅客食料統制組合への改組、1946(昭和21)年8月の社団法人鉄道業務中央会への改組を経て、1952(昭和27)年には名称を社団法人国鉄構内営業中央会に改称、構内営業の整備拡充や関係機関との連絡などを目的に、全国の国鉄駅での構内営業者が組織されました。
昭和40年代から50年代の駅弁掛紙には、調製元がこの会員であることが、多く記されています。1987(昭和62)年4月の国鉄分割民営化を受けて、国鉄構内営業中央会は同年に名称を日本鉄道構内営業中央会に変更しました。2003(平成15)年7月27日に購入した左の駅弁掛紙にその表記が残りますが、平成時代にこの表記がある掛紙はほとんどないはずです。
上記のとおり、1987(昭和62)年に国鉄構内営業中央会は名称を日本鉄道構内営業中央会に変更しました。これ以降の駅弁掛紙の一部には、その表記があります。
昭和末期から平成初期までの駅弁掛紙では、その表記に揺れが見られることがあります。1989(昭和64)年1月7日に購入した左の駅弁掛紙に、「東日本鉄道構内営業中央会々員」の表記があります。なお、JR九州管内の「九州鉄道営業会」は、実在する組織です。
日本鉄道構内営業中央会は1988(昭和63)年に駅弁マークを制定、翌1989(平成元)年4月1日から、同会の会員が調製する駅弁に使用できることとしました。調製元が会員でないため駅弁マークのない駅弁や、会員でも駅弁マークを付けない駅弁は多々あります。1989(平成元)年10月21日の調製である左の駅弁掛紙に、駅弁マークが見られます。
政府は1989(平成元)年4月1日に消費税を導入、駅弁にも3%の消費税が課税され、駅弁の価格表記に「税込(み)」の文字が加わりました。価格の表示には、世間一般に広く使われた税抜き価格と、2021(令和3)年4月から義務化された総額表示(税込み価格)がありますが、駅弁の掛紙に印刷されたのは総額表示でした。1989(平成元)年8月11日の調製と思われる左の駅弁掛紙に、「税込み価格」の表記が見られます。
これにより、当時50円や100円の単位で丸められていた駅弁の価格に、10円単位の端数が現れました。消費税率が5%を経て2014(平成26)年4月に8%へ改定されて以降、駅弁の掛紙やパッケージに価格を表記せず、食品表示ラベルに印字したり、明治時代から続いた価格の表記そのものをやめる駅弁が増えています。ところで、1954(昭和29)年の岡山駅弁の掛紙には、100円の価格に「(税込)」の表記があります。これが何の税であったのか、調べられていません。
農林水産省の農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律による、2000(平成12)年3月31日の加工食品品質表示基準の制定に基づき、2001(平成13)年4月1日からすべての飲食料品に原材料等の表示が義務付けられました。2001(平成13)年8月25日の調製である左の駅弁掛紙に、上記「TRAiNG」で紹介した同年3月24日のものにはなかった食品表示ラベルが貼られています。
厚生省の食品衛生法による、2001(平成13)年3月15日の改正食品衛生法施行規則に基づき、同年4月1日から加工食品におけるアレルギー物質の表示が義務化され、翌2002(平成14)年3月31日までの経過措置が設けられました。2002(平成14)年4月3日に購入した左の駅弁掛紙に、前年10月27日調製のものになかった、「(原材料の一部に卵、小麦を含む)」の記述が、原材料名の表記に加えられています。
国の再生資源の利用の促進に関する法律が、2000(平成12)年6月7日に資源の有効な利用の促進に関する法律に大幅改正され、2001(平成13)年4月1日に施行されたことで、プラスチック製容器包装と紙製容器包装への識別表示が義務化されました。罰則の適用が2003(平成15)年3月末まで猶予されたことで、その期間までの駅弁掛紙には識別表示の有無が混在しています。2004(平成16)年1月31日に購入した左の駅弁掛紙に、上記「アレルギー物質表示」で紹介した2002(平成14)年4月3日のものにはなかった、紙とプラの識別表示が加えられています。