札幌駅から特急列車で約4時間。函館市は北海道の南部で津軽海峡に面した、人口約24万人の港町。1859年の開港や1908年の鉄道連絡航路開設で北海道の玄関口となり、高度経済成長期は漁港や工業港としても栄え、現在は旧市街や函館山や海産物などが観光客を魅了する。駅弁は国鉄時代からの駅弁屋の経営がJR北海道の100%子会社に引き継がれ、駅弁が改札外の売店で売られる。1904(明治37)年7月1日開業、北海道函館市若松町。
新函館駅北斗駅で駅弁とともに売られていたカツサンド。調製元は駅弁屋でなく、函館市内のとんかつチェーン店。食パンにマヨネーズとマスタードを塗り、ヒレカツのソース漬けとキャベツを挟んだカツサンドを4切れ、黄色い専用の紙箱に詰める。プレーンなヒレカツを、調味料の油気と塩気でいただく感じの、食べやすいカツサンド。函館空港でも同じものが買える。
2004(平成16)年の秋か、それ以前から販売。または2003(平成15)年6月の函館駅の新駅舎の開業と、JR北海道の100%子会社が運営する「ダイニングレストラン和華」の開店に合わせて誕生か。円形の容器に白御飯を詰め、味付イカ1杯、焼サケ、ゆでエビ、ホタテ煮、玉子焼、鶏肉、紅生姜などの具をで覆う。駅弁にしては味付けがきつくないのが良い感じ。
パッケージに「函館駅」と明記されているが、函館駅の昔からの公式な駅弁屋「みかど」の弁当ではないため、駅弁としての紹介例は少ない。売り場は今では同じ場所。ひとつの店のカウンターにふたつの業者が入り、隣同士で店員も商品も会計も完全に分けて弁当を販売している。価格は2013年の購入時で950円、2022年時点で1,200円。同年8月限りで旬花の弁当売店が函館駅から撤退したため、駅では買えなくなった。
※2024年8月補訂:駅での終売を追記小さな長方形の容器に木目柄のボール紙でふたをして、中身の美しい写真を掲載した掛紙を巻く。中身はその写真のとおり、そして駅弁の名前のとおり、いかめし1個を5切れにスライスして磯部揚げにしてしまっている。油っこいけれど、ゲテモノではなし。
調製元は函館市内の会席料理屋兼仕出し屋。同社の公式サイトでは紹介されていないが、函館駅の中で従来の駅弁屋と一体となった売店で、容器も中身も駅弁にしか見えない弁当を販売している。駅弁とは名乗っていないし、駅弁紹介記事などにされることもないが、個人ブログでの函館駅弁購入報告ではよく上がっている。2015年頃までの販売か。
※2020年12月補訂:終売を追記戸井漁業協同組合とアイフーズシステムが共同で開発し、2010年3月20日に函館駅構内のコンビニ型キヨスクで登場。電子レンジ対応型の丸く平たいプラ製釜型容器を使用、駅弁の名前やタコのイラストや関係各社の名前を印刷した紙帯にはめる。中身は道産米「ふっくりんこ」の炊込飯に、戸井産タコの醤油煮をぶつぶつ入れて、玉子焼、にんじん、タコの卵、きぬさや、紅生姜などを添えるもの。際立つ特徴は感じなかったが、現地では人気の商品となっているそうで、イベントや物産展での販路も徐々に広げていた。2011年頃になくなった模様。
津軽海峡で下北半島と向かい合っていた北海道亀田郡戸井町は、いわゆる平成の大合併により2004年に函館市へ編入されている。第二次大戦中はここに要塞を建設すべく、五稜郭から戸井へ至る国鉄戸井線の建設が進められたが、完成を目前にして戦中に工事が中止され、以後再開されることはなかった。国道278号線を走っていると山腹の斜面にアーチ橋がいくつも見えたり、地図を眺めると函館空港から北西の方向へ一直線に伸びる道路や空き地や緑地に気付くことができる。
※2015年2月補訂:終売を追記白いボール紙の紙箱をラップで包み、商品名や解説文をモノクロ印刷した白い掛紙を巻く。中身は胡麻混じりな北海道産の白米を、同じく北海道産のSPFホエー豚の肉で目張りしてゴルフボール大にして、4個はタレ漬にして、3個はチーズを巻いて、タクアンを添えて詰めるもの。豚肉そのものに乳製品というか発酵食品の風味がある、不思議なおやつだった。写真のとおり箱の中がタレまみれであり、揺れて狭い普通座席で手や服や荷物を汚さずに食べるのに苦労した。調製元は函館市内の居酒屋。おそらく2011年までの販売か。
※2020年12月補訂:終売を追記2010(平成22)年の春までに発売か。長方形でふたに縁の付いた木目調の容器を使用、中身の写真を大きく、大沼の写真を小さく掲載した掛紙を巻く。中身は白御飯の上で牛すき焼き、玉子そぼろ、牛肉そぼろでストライプを描き、大根味噌漬を貼り、玉子焼や焼売や海苔佃煮などを添える。
中身は写真のようには美しくないが、そぼろだけで飯を食べると味のなさが物足りなく、牛すき焼を混ぜるとタレと脂が程良く入ってくれるグルメな味。この駅弁に使われる「はこだて大沼黒牛」とは、北海道亀田郡七飯町の小澤牧場が2006年に商標を登録した交雑種の銘柄牛で、道内産の素牛を自家産の飼料で育てているのだそうな。2015年までの販売か。
※2016年12月補訂:終売を追記2008(平成20)年までに4種類のシリーズで登場か。赤いトレーを付けた長方形の容器に透明なふたをして、おしぼりと割りばしと楊枝を置いて、両面印刷の掛紙で巻いて、ビニールひもでしばる。中身は炊込飯の上に錦糸卵を敷いてホタテ照焼3個を載せ、紅生姜と柴漬けと松前漬とミカンを四隅に配置する。キヨスクでの冷蔵販売だが、見た目どおりの風味は仕出し弁当やコンビニ弁当と一線を画す、駅弁の味。2011年頃になくなった模様。
※2015年2月補訂:終売を追記包装に「函館駅弁」と書いてあるが、これは函館駅の駅弁ではなく、インターネット上の通信販売やスーパーマーケットなどで手広く販売されている商品。見てのとおり、イカ飯がふたつ、真空パックにされている。駅弁のいかめしより大きく腹持ちがして、味も悪くなく、包装に記載のとおり電子レンジにそのまま突っ込んで温めてもOK。価格もたしか駅弁より安かったし、爪楊枝を使わない分だけ駅弁よりも食べやすい。
「駅弁」や「函館駅弁」は、商標などで保護された名称ではなく、定義や法令や認証などもないため、誰でも名乗れてどこでも売れる。駅で売られる弁当を駅弁だと思う人や、そう願いたいファンは、こういう偽物や偽称を見て憤慨するが、どうしようもない。
第二次大戦後のものと思われる、昔の函館駅弁の掛紙。函館で味自慢のうなぎ弁当と言われても困るが、おそらくウナギ駅弁が旅の道中でちょっと贅沢ができる高級駅弁として全国で人気があった頃のものなのだろう。調製元の鉄道弘済会は、キヨスクの名で全国の国鉄駅に売店を設けた、国鉄の外郭団体。
1961(昭和36)年9月1日10時の調製と思われる、昔の青函連絡船の弁当の掛紙。キヨスクでおなじみの鉄道弘済会が、青函連絡船で船内食堂や売店を営業、そこで弁当も調製し販売した。この「あらまき弁当」なる鮭弁当は、名物として人気だったという。昭和50年代まで販売。
第二次大戦前のものと思われる掛紙。収集者は1918(大正7)年のものとしていた。連絡餅という名前から、中身は弁当でなく甘味だろう。調製元の山本売店について、函館市史5編2章4節7の3「国鉄関連業種の形成」によると、函館駅の桟橋売店は1925(大正14)年の後に清水、山本、鍵谷の3店となり、1932(昭和7)年4月に函館駅出店営業組合が組織されたというから、その間のものだろう。掛紙の絵柄は、鉄道省やその前身のファンネルマーク「工」を付けた青函連絡船のシルエットか。
これは駅弁でない、そもそも弁当でもないと思うカップめん。「マルちゃん」ブランドでカップめんを全国展開する東洋水産が1975(昭和50)年に発売した商品で、北海道内では深く親しまれ、道内のスーパーやコンビニではどこでも買えるカップ焼きそば。こうやって駅でも買える。北海道の名物として東京などで売られることもある。
中身は写真のとおり、防水断熱のプラ容器に乾麺を詰め、ソースとかやくとスープとふりかけの袋を入れ、シールで密封し、商品名や宣伝文を描いたラップで包んだもの。つまり普通のカップ焼きそば。熱湯を注いで3分待つ。特徴としては中華スープの粉末が付いており、通常の商品では全量を捨てる湯でスープを作れと「調理方法」に書いてある。