札幌駅から特急列車「スーパー宗谷」で約5時間の、日本最北の駅。稚内市は北海道の最北部に位置する、人口約3万人の港町。漁港として、第二次大戦までは樺太への窓口として、現在は利尻や礼文や道北観光の玄関口としてよく知られる。駅弁は駅の隣の再開発ビル「キタカラ」の、売店に入荷したり、そば屋で売られる。1928(昭和3)年12月26日開業、北海道稚内市中央3丁目。
秋冬の駅弁大会シーズンに向けた、2019(令和元)年秋の新商品か。「なまら」は北海道で「とても」という意味。2022(令和4)年秋にウニを抜いてカニを半減しホタテとエビを入れるリニューアルで、スリーブの食材写真を差し替えて中身の写真を加え、日本食糧新聞社「惣菜・べんとうグランプリ2023」で金賞に認定。松花堂弁当のような4区画の正方形容器を、そんなスリーブに収める。
中身は、茶飯に錦糸卵を載せてイクラとガリを載せるイクラガリ丼、酢飯に錦糸卵を載せてカニほぐし身で覆うカニ丼、茶飯に錦糸卵を載せてホタテ貝柱を並べるホタテ丼、酢飯に錦糸卵を載せて甘えびと菜の花を載せるエビ丼で、4種類のミニ丼セット。このように分かりやすい内容に、「賞」の箔付けを施した商品は、駅弁催事(のバイヤー)に必要な存在だと思う。稚内駅でも売る模様。価格は2019年の発売時で1,250円、2022年のリニューアル時で1,290円、2023年時点で1,380円。
稚内駅では売られず、スーパーやデパートなどの催事で売られる疑義駅弁。2020(令和2)年1月の京王百貨店の駅弁大会で実演販売。輸送や実演で催事に出てくる稚内駅弁は、今までは稚内駅立売商会のものと決まっていたが、ふじ田が出てきて驚いた。普段は駅の隣の商業施設の立ち食いそば店で、以前は駅舎の食堂で、惣菜容器に商品名を貼り付けた弁当も販売している調製元。それを知っていると、見た目で駅弁らしい、催事で映える賑やかな絵柄のスリーブを使うところから違和感を覚えた。
中身は酢飯をアサリ醤油煮、ホタテ醤油煮、イクラ醤油漬、カニの酢締めのほぐし身で覆い、昆布巻と松前漬と山わさび醤油漬を添えるもの。催事場での盛り付けとはいえ、飯の酢が底にたまり、具の味付けや酢がきつくて味や香りが飛ぶ。稚内駅で買えた弁当とはまるで異なる催事屋商品。催事場内に現地での販売を示す写真を掲示しており、稚内の弁当がこんなものに変わってしまわないか心配になった。この商品は以後もごくまれに、スーパーの駅弁大会に出てくる模様。
2018(平成30)年9月の新商品か。黒い正八角形の容器に酢飯を詰め、カニ、ウニ、イクラ、サーモン、ホタテ、錦糸卵、ワカメ、ガリで覆う、わかりやすい北の味の駅弁。スリーブの窓開きが宗谷岬の最北碑を思わせる三角形で、その点だけが他や旭川や釧路と異なる点か。価格は2018年の発売時や2019年の購入時で1,070円、2021年時点で1,180円。2021年の春頃に終売か。
※2022年4月補訂:終売を追記2015(平成27)年秋の新作か。2015〜2016年シーズンのデパートやスーパーの駅弁大会を賑わせた後、2016(平成28)年3月の日本食糧新聞社「惣菜・べんとうグランプリ2016」の「駅弁・空弁部門」で金賞3点に次ぐ優秀賞8点のうちひとつに選ばれた。
商品名がよく目立つパッケージの左右の窓からは、駅弁の名前になっている帆立と宗谷黒牛がそれぞれ見えている。中身は右側で白御飯の半分を牛肉煮で覆い、じゃがいも、にんじん、アスパラを添え、左側でバター風味のホタテ2個を付合せ。見た目にきれいなお弁当で、ボール紙枠のデザインを含めて、メリハリが効いた感じ。価格は2016年の購入時で1,200円、2017年時点で1,300円。2017年頃までの販売か。
宗谷黒牛は、稚内駅より先に札幌駅で駅弁になっている。市町村と農協の出資で始まった宗谷黒牛は、2007(平成19)年に昔の表現でいう民間への払い下げにより、現在は株式会社宗谷岬牧場の事業。日本最北のブランド牛を売りに、関東や関西やネット通販でよく売られるが、これはブランドというより商品名であり、実際に他のブランド牛とは異なり「A5ランク」のような牛枝肉取引規格での基準がない。この黒毛和種と乳牛の交雑種は、宗谷岬から歩いて行ける丘の上で生産されているが、旭川で加工し、神奈川と兵庫となぜか秋田へ送られるので、稚内ではあまり買われたり食べられたりしていない模様。
※2020年4月補訂:終売を追記惣菜向け食品トレーに、オオナゴの棒寿司を1本6切れ横たえ、イクラで彩り、ガリとホタテを添え、細い魚と宗谷岬の日本最北端碑を描いた掛紙を巻く。鹿児島のキビナゴを大きくしたような薄く柔らかい身に、軽い酢と風味で、無難な味わい。オオナゴとは、成長したイカナゴに対する北海道内での呼び名。2014年までの販売か。
今回の訪問時には、都会で売られる「稚内駅弁」から、このような稚内でしか見られない商品まで、10種類程度が駅ビルの土産物店の一角に、台を出して集められていた。
※2019年8月補訂:終売を追記2012(平成24)年9月のイトーヨーカドー各店での駅弁大会でデビューか。北海道米ななつぼしを使うウニの炊込飯を、ズワイガニほぐし身、カズノコ、蒸しウニ、イクラ、鮭、ホタテ貝柱煮、つぶ貝の7種の海産品で覆うから、海の七つ星。ボール紙のパッケージには、それらの具のイラストと北斗七星を描く。これは新しく柔らかい味。価格は2014年の購入時で1,000円、2017年時点で1,080円。2019年までに終売か。
※2020年4月補訂:終売を追記2013(平成25)年度の秋冬の駅弁大会シーズンに向けた新作か。酢飯に味付うに、ズワイガニ酢漬、醤油漬いくら、錦糸卵を貼り付けて、生姜酢漬を添えるもの。どこから見ても特徴のない、催事向け商品に見える。まずいものではない。このシーズン限り、半年間の販売か。
※2017年5月補訂:終売を追記守口京阪の駅弁大会で駅弁を名乗り実演販売されたお弁当。催事向け弁当容器に、ローストビーフの握り寿司2個とローストビーフ丼と牛丼が同居し、きんぴらや漬物などを添える。ここでは稚内駅弁名物がなんとローストビーフ。そんな事実はどこにもない。味が悪いとは思わないが、その存在が悪者である真っ赤な偽駅弁。
2011(平成23)年から各地の駅弁催事でのみ収穫報告がある商品。円形の容器に透明なふたをして、中身の写真でチープにデザインしたボール紙の枠にはめる。中身は白御飯の上をカズノコ、カニほぐし身、蒸しウニ、紅生姜、錦糸卵と昆布と漬物、イクラで覆うもの。
パッケージの中身写真と実物が寸分違わない中身は、味もそのとおり。パッケージ本体に調製元の情報がないため、添付の割りばしの袋から想像した。この商品ははたして、稚内駅再開発ビルの食堂で販売されているのだろうか。長万部駅の今は知られざる元駅弁と同じ名前であることも気になる。2013年頃まで売られた模様。
※2016年12月補訂:終売を追記2006〜2007年の駅弁大会シーズンに向けて投入された疑義駅弁。他駅でも見たような強度のある井形プラ容器に、掛紙を兼ねて商品名を書くボール紙でふたをして、割りばしを置いて輪ゴムで留める。中身は炊込おこわの上に鮭カマ、コーン、椎茸を置き、焼売やガニ天などが添えられる。
富山で人気の「ぶりかまめし」と異なり、鮭カマは骨に難儀する割には鮭の身より美味でも珍味でもなく、人気獲得は難しそう。鮭駅弁が全国にあれだけあれば、鮭カマなど捨てるほどありそうで、それでも他の駅弁屋が商品化しない理由が、このあたりにあるかと思う。
それ以前に、稚内駅で売られる駅弁に「鮭のカマ弁」なんて、本当にあるのかどうか。この商品は2014年時点で現存しない模様。
※2015年2月補訂:終売を追記1998年頃の発売か。小ぶりでやや背の高い正方形の容器に、ふたと掛紙を兼ねた光沢紙を載せて輪ゴムでしばる。中身は酢飯の上に帆立を5個ほど配置し、錦糸卵と山菜類を添えただけ。具や全体の分量から、北海道の駅弁としてはやや割高感がある。味は見た目のまま。価格は2002年の購入時で880円、2014年時点で940円。2019年に終売か。
この駅弁は2000年代に入る頃、稚内駅の駅弁屋であるサンエイ商事が、実態としてはおじさんが、ひとりで製造し、日中の特急列車の改札から発車までのわずかの間、ホーム上でのみ少量を販売していた。2004年1月10日にその方が亡くなり、稚内駅の駅弁が消えたが、その後も都会のスーパーや百貨店では従前同様に、これが稚内駅弁として堂々と販売されていた。
その状況を当館で疑義駅弁と指摘した後の2006年頃から、駅舎内キヨスクでの販売が開始されたようで、その点でむしろ以前より入手は楽になった模様。社名はサンエイ商事から稚内駅立売商会に変わり、この商品での連絡先は旭川駅弁も釧路駅弁も同じ番号のフリーダイヤル。駅前再開発による稚内駅舎の解体の後は、駅の隣の再開発ビルでの販売。
※2020年4月補訂:終売を追記これは駅弁でなく、稚内駅の駅前の食堂で買えたお弁当。市街地再開発事業で2012(平成24)年に、まるで新興住宅街のようにきれいになってしまった稚内駅の駅前交通広場の先で、「お弁当 かにめし 幕の内」の看板にひかれて買ってみた。
中身は、日の丸御飯、焼鮭、玉子焼、鶏肉巻、昆布、きんぴら、煮物、もやし、浅漬けなど。稚内公園の「氷雪の門」と樺太への思いを描いた掛紙は手書きのデザインで、そもそも市販の弁当に掛紙をかけていて、薄手のプラ容器は銀色に光り、これはホカ弁やコンビニが普及する前の、昭和の昔の懐かしい手作り弁当。見た目以上のボリューム感があった。
これは駅弁でなく、稚内駅の駅前の食堂で買えたお弁当。市街地再開発事業で2012(平成24)年に、まるで新興住宅街のようにきれいになってしまった稚内駅の駅前交通広場の先で、「お弁当 かにめし 幕の内」の看板にひかれて買ってみた。
中身は、白御飯をたっぷりのカニのほぐし身の醤油味で覆い、カニ脚2本、刻み玉子焼、刻み昆布、紅生姜を載せ、浅漬けを添える。一緒に買った上記の幕の内弁当とともに、これもまた昔懐かしさと手作り感とボリュームにあふれるお弁当であった。
鉄道で訪れた今回の稚内は、再開発でできた立派な駅ビルが正月休みで、パンとコーヒーしか売っていなかったため、このような弁当が買えて本当に助かった。再開発前で駅舎の中にキヨスクと立ち食いそば店があった頃は、鉄道旅行でも食べ物に困ることはなかった。
これは駅弁ではなく、利尻や礼文、時にはサハリンへ航路が出る稚内のフェリーターミナルで買ったサンドイッチ。中身は名前どおり、タマゴサンドの6切れ詰め。お弁当らしきものは、ここにはなかった。
この日は宗谷本線の臨時夜行特急列車「利尻」を連泊で使う、礼文島と利尻島への日帰り訪問。観光ついでに駅弁や空弁や島弁や船弁や街弁がないか、稚内駅、稚内フェリーターミナル、香深フェリーターミナル、礼文空港、鷲泊フェリ、利尻空港、再度の稚内駅と探したが、往復の列車と3便乗ったフェリーを含めて、さっぱり出会えなかった。この地域には弁当需要、あるいは弁当文化がないのだろうか。
昭和50年代、1980年前後の、8月7日の調製と思われる、昔の稚内駅弁の掛紙。絵柄は下記の「お好み御弁当」と同じなのに、調製元が異なる。1978(昭和53)年1月までに、稚内駅の構内営業者がダイサンホテルからサンエイ興産に交代したようだ。
1977(昭和53)年8月5日10時の調製と思われる、昔の稚内駅弁の掛紙。宗谷本線の一部と天北線となぜか興浜北線の路線図に、アイヌと登山者とクマ、カニと貝とワカメと釜、フェリーと礼文の灯台と利尻富士と最北端碑をちりばめた。調製元のダイサンホテルは、1975(昭和50)年頃の数年間、稚内駅で幕の内弁当を販売した構内営業者と考えられる。
おそらく1920年代、大正時代末期か昭和時代初期のものと思われる、昔の稚内駅弁の掛紙。あるいは当時に稚内駅を名乗った、現在の南稚内駅の駅弁の掛紙かもしれない。三河屋は当時の稚内駅前の旅館だった模様。第二次大戦後に駅弁は残らず、日本食堂の営業所ができた後に上記の調製元に替わったらしい。