埼玉県秩父市の国道140号沿いにある道の駅「道の駅ちちぶ」で買えたお弁当。秩父鉄道の秩父駅や西武鉄道の西武秩父駅から歩ける範囲にある道の駅で、西武秩父駅のわらじかつ弁当や秩父駅などの岩魚すしとともに、これが売られていた。商品名を描く、全面がシールの構造でふたと側面を貼り合わせる掛紙をはがして出てくる中身は、白御飯を高菜のような「しゃくし菜」の炒め物で覆い、焼き鳥、玉子焼、柴漬けを載せるもの。常温の味も雰囲気も立派な駅弁に見えた。調製元は1970年代に幕内を務めた元力士が秩父市内で経営するちゃんこ鍋屋。
2015(平成27)年7月4・5日の埼玉県川口市でのイベント「日光御成道鳩ヶ谷宿夏の陣」の開催に合わせて、両日に鳩ヶ谷駅で販売された、埼玉高速鉄道史上初の駅弁。調製元は東京駅弁の日本レストランエンタプライズで、同社製の駅弁ポスターが駅構内にいくつも貼られていた。
日光街道の脇街道として中山道の本郷と日光街道の幸手を結んだ日光御成道(にっこうおなりみち)のルートマップに鳩ヶ谷の名所写真をちりばめた掛紙を使う。木目調の容器の中身は、日の丸御飯にポテトコロッケ、チキンカツ、鶏唐揚、とんかつ、海老フライ、ホタテ入り魚肉揚と揚げ物だらけのおかずを入れ、キャベツとコーンのサラダ、りんごシロップ漬、柴漬けを添える。こんな内容なので当然に胃には重たい。容器内のとんかつソースと手渡しの中濃ソースで2種類のソースを添付し、これがおそらくブルドックソース鳩ヶ谷工場の製品であり、それで鳩ヶ谷を表現したのだと見える。
埼玉高速鉄道は、東京都北区の赤羽岩淵駅と埼玉県さいたま市の浦和美園駅との間、14.6kmを結ぶ鉄道路線と、その運営会社。ほぼ全線がトンネルで、国の定義では地下鉄とされる。当時の帝都高速度交通営団(営団地下鉄)、現在の東京メトロ南北線の延伸であり、実際に相互直通運転を実施するが、東京都外の路線となるため、営団ではなく埼玉県の第3セクター会社が整備した。2587億円の建設費の過半を占める借金を返済するために運賃が高くなり、沿線住民のJR京浜東北線からの利用の転移が見込みどおりには進まず、乗客が予測の一日あたり14万人に対して2001(平成13)年度の開業初年度で4.7万人に留まってしまい、幾度の支援も実らず2014(平成26)年度には事業再生ADRという形で実質的に破綻した。訪問時の鳩ヶ谷でも、電車より多い本数の国際興業バスが、せっせとJR川口駅へ客を運んでいた。
電車は変わらず動いており、乗客は沿線の開発で年々増加して同年度には一日あたり9.5万人まで増えているため、今後は有利子負債の減少と減資による累積欠損の解消で再建に努める。また、同じ時期に同じようなやり方で開業した千葉県の北総鉄道や東葉高速鉄道も、同じように借金と高い運賃に苦しんだため、国土交通省は地下鉄補助制度の対象拡大や都市鉄道利便増進事業の創設で、同じ轍を踏まないようにしている。
価格と体裁から1930年代のものと思われる、昔の寄居駅弁の掛紙。玉淀は寄居付近の荒川の風景、三峯山神橋は奥秩父で三峯神社の表参道が荒川を渡る登竜橋のことか。寄居駅では1901(明治34)年の秩父鉄道の開業時から柴田が構内で営業、ここに1925(大正14)年7月に東武鉄道が、1933(昭和8)年1月に鉄道省が乗り入れ、国鉄の駅弁屋となりおそらく昭和30年代まで駅弁を販売した。駅前商店としては2000年代にも営業したという。
1930(昭和5)年8月25日12時の調製と思われる、昔の粕壁駅、現在の春日部駅の駅弁の掛紙。今も春日部の名所で国の特別天然記念物に指定される牛島のフジと、当時の鉄道路線図を描き、当時の国の鉄道の駅弁と同じような形式と名前と価格を備える。総武線乗換駅とあるのは、現在の東武野田線(アーバンパークライン)が、1929(昭和4)年11月から1944(昭和19)年2月まで私鉄の総武鉄道であったことによる。現在の柏駅方面の野田線は、1930(昭和5)年10月1日の開業なので、この掛紙には描かれていない。
東武鉄道は、明治時代末期の鉄道国有化を逃れた中では、路線長で最大の鉄道会社。自社線内を片道3時間前後かけて走る汽車や電車があり、主な駅には駅弁があったと考えられ、羽生駅など名物の駅弁があったとする文献もあるが、昔のことはもはや定かでない。粕壁駅弁の掛紙は時々ネットオークションに出現し、1万円前後の値段が付く。
東京駅から新幹線で50分。本庄市は埼玉県の北西部に位置する、人口約8万人の宿場町。その町外れを通過していた上越新幹線に、埼玉県と本庄市の負担金と早稲田大学や周辺の企業などの寄付金により、115億円かけて追加した駅が本庄早稲田駅である。駅弁は町おこしの目的で2009年8月1日に誕生したが、1年ちょっとで売り止めた。2004(平成16)年3月13日開業、埼玉県本庄市北堀字山ノ根。
2009(平成21)年8月1日に発売した本庄早稲田駅初の駅弁。ただし東京駅や上野駅のNRE駅弁売店でも普通に買える。黒い長方形の容器に透明なふたをして、新幹線の先頭形状にも見える豚の顔や二階建新幹線などを描いた掛紙を巻く。中身は埼玉県産「彩のかがやき」の白御飯の上をタレがたっぷりかかった「古代豚」の旨煮で覆い、柴漬けとブルーベリー水まんじゅうで覆うもの。タレに難儀するものの、常温でも見栄えがしておいしい豚丼弁当。
本庄早稲田駅は上越新幹線の熊谷駅と高崎駅との間に追加された新幹線単独駅。駅の建設費123億円(異説あり)はすべて地元負担で、埼玉県が41億円、本庄市が41億円、美里・児玉・神川・神泉・上里・岡部の各町村が合計20.5億円、その他の近隣市町村と民間寄付で20.5億円を分担した。民間寄付のうち7億円を早稲田大学が拠出しており、そのためかどうか駅名に「早稲田」の文字が入り、開業時に全国初の大学名入り新幹線駅と紹介された。これとは別に141.5億円をかけて2006年から駅周辺で土地区画整理事業を実施中である。
上記の駅弁「古代豚弁当」の第2弾で、2010(平成22)年5月までに切り替わったか。従前は御飯を覆い尽くしていた豚旨煮が2切れだけに減り、代わりにひじき混じりの豚そぼろ煮と炒り卵で御飯を覆う。味や価格や容器や掛紙に、ほぼ変わりはない。2011年かその前に終売の模様。
※2016年9月補訂:終売を追記