新潟駅から普通列車で約20分。新津駅は信越本線に羽越本線と磐越西線が接続し、かつては機関区や鉄道工場や操車場を備える全国有数の鉄道の要衝であった。駅弁は1897年の駅開業時から売られ、昭和時代から今も2社が競い、しかし駅から特急や長距離列車がほぼ消えたため、今は駅前と新潟駅で売られる。1897(明治30)年11月20日開業、新潟県新潟市秋葉区新津本町1丁目。
東京駅から上越新幹線「とき」で2時間強。新潟市は信濃川の河口で日本海に面した、人口約78万人の港町。水田や漁港から新幹線や空港までなんでもある、本州の日本海側では随一の大都市。駅弁は明治時代から売られ、新発田駅や新津駅の駅弁もここに来て、駅弁売店で多種が並ぶ。1904(明治37)年5月3日開業、新潟県新潟市中央区花園1丁目。
2021(令和3)年9月1日に新潟駅で発売。駅弁の名前のとおり、正八角形の容器に詰めた酢飯の上を、えんがわ(カラスガレイ酢漬け)、サーモン(漬サーモン)、いくら(いくら醤油漬け)で覆い、甘酢生姜、醤油、わさびを添える。すでに新潟駅や新津駅前などでおなじみの、おいしい具の詰合せなので、うまくないはずがない。紅白の色彩も華やか。京王百貨店での実演販売にも向く内容だと思う。価格は2021年の発売時で1,380円、2022年9月から1,450円、2024年6月から1,550円。
※2024年5月補訂:値上げを追記2021(令和3)年4月までに新津駅前で1,000円にて発売か。2023年10月に中身と価格を変更し、JR東日本の駅弁キャンペーン「駅弁味の陣2023」にエントリーし、新潟駅や東京駅でも販売。長方形の発泡材容器に、新潟県産コシヒカリの酢飯を詰め、錦糸卵、赤かぶ漬、椎茸煮、鮭ほぐし、山せり漬、いくら醤油漬を散らし、カラスガレイ酢漬を据え、醤油とわさびの小袋を添付する。
新潟駅弁「えんがわ押し寿司」で人気のエンガワを、いろんな色で彩り持ち上げ花奏(かな)でるちらし寿司。知られざる過去にはこのエンガワも刻んで散らしたようで、写真の見比べではあるが以前のほうが見た目の彩りは良かったかもしれない。輸送や催事の駅弁にしては奥ゆかしい、柔らかい印象を持つ駅弁。
新潟県内の酒蔵やエステサロンなどで構成する「新潟美人実行委員会」プロジェクトのプロデュースにより、2018(平成30)年の秋に発売。2019年の1月や3月ないし4月の発売とする発表や記事もある。正八角形の容器に酢飯を敷き、マイタケ煮、錦糸卵、紅鮭酢漬、イクラ醤油漬、シイタケ、山セリ、カズノコ、赤かぶを散らす。ちらしずしを名乗るが、分量や風味はマイタケ弁当。価格は2018年か2019年時点で1,080円、2024年6月から1,100円。
※2024年5月補訂:値上げを追記秋冬の駅弁大会シーズンに向けた、2015(平成27)年秋の新商品か。正八角形の容器に酢飯を敷き詰め、その上に駅弁の名前のとおり、のどぐろ、にしん、かずのこ、さけ、いくらを載せる。個々の具が大きめでおかずに困らず、ひらがなのみの名前を書いたボール紙枠のデザインを含め、ゆるーく楽しい駅弁。以前からある長岡駅の駅弁に、名前がよく似ている。価格は2015年の発売時で1,200円、2021年9月から1,300円、2022年9月から1,430円、2024年6月から1,550円。
※2024年5月補訂:値上げを追記2020(令和2)年1月12日に購入した、新津駅弁のスリーブ。下記の2016年のものから替わり、上記の翌2021年のものと絵柄は同じ。容器や中身は変わらない。
2016(平成28)年1月18日に購入した、新潟駅弁のスリーブ。2019年まではこの絵柄だったらしい。上記の後のものが力強い印象で、こちらはおしとやかな印象。容器や中身は変わらない。
外が黒く中が赤い漆器風の容器を使用、コシヒカリの酢飯の上にホタテやさざえやサーモン切り身に錦糸卵、そして駅弁の名前に一文字を記す越後名産「雪国まいたけ」をたっぷり載せる。外観も中身もどこか古風でシンプルながら、米と舞茸の美味さが光り、掛紙には駅弁屋のホームページのURLとメールアドレスをしっかり記す、実は現代的な駅弁。価格は2003年の購入時で970円、2014年時点で1,030円、2022年9月から1,100円、2024年6月から1,200円。
※2024年5月補訂:値上げを追記2021(令和3)年9月1日に新潟駅や新津駅で発売。磐越西線のSL列車「SLばんえつ物語」の運転開始とともに、1999(平成11)年に発売した駅弁「SLばんえつ物語弁当」のリニューアルだろうが、見た目に原型を留めておらず、新発売の新作に見える。蒸気機関車C57形式180号機の顔をスリーブに、ヘッドマークを真っ黒なプラ容器の上面に用いた。
ふたを回して本体に締めることができる丸いプラ容器に、フキやミツバを混ぜた酢飯を詰め、鶏照焼、鮭塩焼、マイタケやタケノコなどの煮物、ダイコンやレンコンの酢の物、イクラ、錦糸卵で覆う。具の構成は旧作に似て、SLや新潟や新津を感じないことと、食べておいしい味が維持された。専用の容器にこだわったためか、価格が以前の1,000円ちょうどから5割ほど上がってしまい、現地での売れ行きが少し心配。価格は2021年の発売時や購入時で1,480円、2022年9月から1,550円。10月に「SLばんえつ物語磐越西線めぐり」へリニューアル。
SLばんえつ物語も、運行開始から20年超。1976(昭和51)年の大井川鉄道や1979(昭和54)年の国鉄山口線に始まり、1980年代後半の国鉄分割民営化やバブル経済で全国各地に普及した観光客向けSL列車は、機関車や客車の老朽化、乗客の減少や採算難、災害による路線の不通などでその姿を変えたり失ったり現したりしているが、SLばんえつ物語はその姿をあまり変えていないと思う。蒸気機関車C57が12系客車を牽き、主に冬季を除く土休日に一日1往復する。SLが単独で7両もの客車を牽引する、全国最長のSL列車であることも変わりない。(大井川鐵道のSL列車は客車が4〜5両以上になると電気機関車を増結)。
※2022年11月補訂:終売を追記北陸新幹線の長野駅から金沢駅までの開業に合わせて、JR東日本新潟支社が2015(平成27)年3月14日から6月30日まで実施した観光キャンペーン「うまさぎっしり新潟春の観光キャンペーン」に伴い、2015(平成27)年4月29日に管内で5社各1種類が発売された新作駅弁のひとつ。他に新潟三新軒の「刻みわさびで食べる新潟和牛焼肉弁当」(1,150円)、神尾商事の「ぶりかつ丼」(900円)、新発田三新軒の「新潟和牛おこわ」(1,000円)、池田屋の「きつねいなりと鮭菊ずし」(1,050円)がある。
ワカメを混ぜた酢飯を使ういくらサーモン丼、ゆかりを混ぜた酢飯を使う焼鮭丼、ちりめんを混ぜた酢飯を使う牛丼、わさび菜を混ぜた酢飯を使うエビ丼で4個の透明プラ製カップを、長岡駅弁「越後長岡花火寿し」よりコンパクトに詰合せ。ということで、この作り方には先例がある。こちらは具の味や分量が控えめで、4種の味の違いも控えめで、軽い酢飯には個別に違う混ぜ物を入れる工夫がなされている。1年間ほどの販売か。
※2017年4月補訂:終売を追記JR東日本発足20周年記念駅弁の三新軒版で、2007(平成19)年の夏頃に発売。楕円形の薄い木製容器を、商品名と人物風景画を描いたボール紙の枠にはめる。中身は魚沼産コシヒカリの酢飯の上にクルミやシイタケやタケノコを刻んで錦糸卵を敷き、イクラとシラスとサクラエビを4分の1ずつ塗って、中央に手まりの形をしたお麩を据えたもの。おいしくごはんをいただける内容も、この価格と見栄えと商品名は、人気の獲得には不利に働くかもしれない。2009年に終売か。
駅弁の名前に「大愚(たいぐ)=非常に愚か」と付いていることに驚かされるが、これはパッケージ表面に書かれているとおり、かつて越後に大愚と名乗った賢人、江戸時代中期の禅僧であり詩人であり歌人であり書家である良寛(りょうかん)が住んでいたことにちなむ。名主の子ながら18歳で出家、子供達と遊びながら諸国を行脚し奇行を繰り返すとともに、「大愚」の号を名乗り多くの和歌や漢詩を残し、これが現代人の心をもつかんでいる。長岡駅の改札口や燕三条駅前に像が建ち、生誕地の新潟県出雲崎には良寛記念館がある。
※2015年9月補訂:終売を追記おむすび型の白いプラスティック製容器をふたつ、雪国新潟の仲良し姉妹の姿をデザインしたというボール紙の枠にはめる。中身はいずれもコシヒカリの酢飯を詰め、その上にひとつは鮭そぼろと錦糸卵と刻み海苔と、もうひとつは鮭フレークと刻み穴子に海老と貝飛魚卵和えを載せる。見た目にかわいらしいが、こぼさずに食べるのは難しく、駅弁大会向け商品と見るべきか。新津や新潟では次々に新作駅弁が誕生しているので、この駅弁はやや影が薄くなっている。2013年に販売終了。
※2015年9月補訂:終売を追記透明なフタをした小判型の容器を、ボール紙のパッケージに入れる。中身は鮭とその卵であるイクラに、ニシンとその卵であるカズノコを、酢飯の上に錦糸卵とともに載せる。この駅弁のどこが「わっぱ」なのかを除き、御飯は旨いし具も大きさを持ち良い味を出す、なかなかの秀作駅弁と感じると同時に、新津の駅弁屋さんのカズノコへの想いまで感じられる。酢飯の酢が強くないことも好感が持てる。価格は2002年の購入時で900円、2013年10月に「さけとにしんの親子めし」へ改称し、2015年時点での価格は1,050円で、2022年2月限りで終売。
※2022年2月補訂:終売を追記1969(昭和44)年1月23日の調製と思われる、昔の新津駅弁の掛紙。秋吉茂「駅弁の町東日本篇」朝日ソノラマ(1975)によると、握り寿司大で酢飯に小鯛を合わせ、新潟名物の笹団子のように笹の葉で包み、これを竹籠に5個を並べ、この掛紙を巻いてひもで十字にしばっていた。当時は掛紙の絵柄のように、6個入っていたのかもしれない。
第二次大戦前の調製と思われる、昔の新津駅弁の掛紙。駅弁の名前と、掛紙の絵柄と、同時代の東京エリアの駅弁掛紙などから、これは1928(昭和3)年11月10日の御大典、京都御所での昭和天皇の即位の礼を「奉祝」しているのではないかと思う。
※2017年4月補訂:考察を追記1925(大正14)年5月12日13時の調製と思われる、昔の新津駅弁の掛紙。現在の神尾弁当部で、神尾つねが構内営業人だった期間が1923(大正12)年5月から1928(昭和3)年7月までであったことと、路線図に米坂線が描かれていないことから、昭和14年でなく大正14年のものと判断した。掛紙には油井と思われるタワーが林立する風景が描かれているが、実際にこの地には油田があり、明治時代から大正時代にかけて最盛期を迎えていたとか。採掘は1996(平成8)年まで続けられた。
1926(大正15)年または1940(昭和15)年の、5月18日15時の調製と思われる、昔の新津駅弁の掛紙。駅弁の名前は片仮名で価格はローマ字、掛紙には桜と何が描かれているのだろうか。