東京駅から新幹線で約3時間半。岡山市は岡山県の中央に位置する、人口約71万人の城下町で県庁所在地。市街に複数の百貨店を抱える商業、臨海部や内陸部に工業団地を抱える工業や、桃や米などが特産の農業が盛んであるほか、新幹線に8方向からの在来線が集まる鉄道の要衝でもある。駅弁は明治時代の鉄道開業当時からの駅弁屋の駅弁から、地元の弁当屋が駅構内の店舗に卸す弁当まで、様々なものを朝から晩まで選べる。1891(明治24)年3月18日開業、岡山県岡山市北区駅元町1丁目。
岡山で最もベーシックな駅弁という紹介記事がある商品。市販の仕出し弁当向け容器と同じような、駅弁の名前のみを記した専用の紙箱に詰めた黒いトレーに、俵型の型押し日の丸御飯を詰め、周囲をいかのチリソースと玉ねぎソテー、いんげんとにんじんとひじき煮、玉子焼、焼サバ、鶏肉の南蛮煮、牛しぐれ煮、えび天ぷらとれんこん磯辺天ぷら、油揚げと小松菜のおひたしなどで囲む。名前や外見から中身を想像できない、飯のおかずにまったく困らない幕の内弁当。価格は2010年時点で900円、2014年4月の消費税率改定で930円、2019年時点で900円、2023年時点で950円、2024年時点で1,000円。
その名のとおり、岡山駅の幕の内駅弁。広島県三原市の、糸崎駅のち三原駅のち福山駅の駅弁屋が、「岡山」「福山」「尾道」と三原の「浮城弁当」とシリーズで出す幕の内駅弁の岡山駅版。スリーブには黒壁が特徴である岡山城の復元天守が描かれる。下記のとおりスリーブの絵柄は季節で替わる。
中身は大きな俵飯3個に梅干しを載せ、焼鮭、かまぼこ、玉子焼、エビとレンコンなどの揚げ物、タケノコなどの煮物、ママカリなどの酢の物を詰める。濃いめで冷めた駅弁の味だが、折詰や仕出しの見栄え。明治時代からの公式な駅弁屋が健在な駅で、近隣のやはり明治時代からの公式な駅弁屋がその駅の駅弁を出すのは珍しいと思う。価格は2014年時点で1,000円、2023年時点で1,050円、2024年時点で1,150円。
※2024年9月補訂:写真を更新し値上げを追記2014(平成26)年10月26日に購入した、岡山駅弁のスリーブ。上記の2024年のものと、絵柄も容器も中身も同じ。そう思って見比べると、城の絵柄が異なり、木々も紅葉と桜花の違いがある。ネット上を探すと、夏は深緑になる模様。季節でスリーブの絵柄を変えていて驚いた。中身に季節の差異はない模様。
山陽新幹線の博多開業30周年を記念して、2005(平成17)年1月23日から9月30日まで販売された、沿線12駅10駅弁業者による「復刻!懐かしの駅弁」シリーズのひとつ。山陽新幹線が全通した1975(昭和50)年の頃に岡山駅で販売されていた、300円の幕の内弁当を復刻したという。駅弁の名前の一部「味よし」に、調製元の会社名の一部「三好」がかけられている。
木目調の正方形の容器に、懐かしの開業当時の新幹線電車などを描くふたをして、ラップで包み輪ゴムでしばる。半透明のトレーに収めた中身は、俵飯風に型押しした日の丸御飯に、焼き魚・蒲鉾・玉子焼にエビフライ、ウインナー1本に、ママカリ1匹に厚揚げや牛肉や昆布巻など。全国的な統一感に地域色を少々忍ばせた、国鉄時代の正しい並等幕の内弁当という感じ。
JR西日本にとっては、2004年度「駅弁の達人」に続く駅弁キャンペーンであったが、4月25日の福知山線列車事故による自粛ムードのなか、有耶無耶に終わってしまった。この駅弁は10月1日以降も販売が継続されたそうだが、現在は売られていない模様。
2002(平成14)年4月の発売か。JR西日本の駅弁キャンペーン「駅弁の達人」の実施に伴い、2004(平成16)年5月1日にリニューアル。日本全国の都道府県花を描く専用のボール紙製容器を使用、中身は俵飯を中央に配置し、牛肉うま煮や牛メンチカツや赤魚白醤油焼や玉子焼などのおかずで囲むもの。
2004年度のJR西日本の駅弁キャンペーン「駅弁の達人」の対象駅弁。岡山駅だけで対象の駅弁が12種もあり、三好野本店の9種のうち3〜4種が幕の内弁当ということで、この駅での駅弁の需要の旺盛さがうかがえる。現在は売られていない模様。
※2013年5月補訂:終売を追記岡山駅で最も数が出たという、中等くらいの幕の内駅弁。JR西日本の駅弁キャンペーン「駅弁の達人」の実施に合わせて、2004(平成16)年5月1日にリニューアルされたという内容は、俵飯におかずとして鶏柚子味噌焼や煮物や鮭塩焼や野菜天や有頭海老や玉子焼など。2004年度のJR西日本の駅弁キャンペーン「駅弁の達人」の対象駅弁。
中身こそ無特徴の象徴である「幕の内」といった感じも、個々の食材が食べてくださいときれいに正面を向いている姿は、コンビニ弁当等がまだ追い付けていない駅弁や折詰の実力。折詰の、折は文明だが、詰は文化だと思う。価格は2004年時点で980円、今回2009年の購入時で1,000円、2014年4月の消費税率改定で1,030円。2015年頃に終売の模様。
駅弁の名前になる夢二とは、大正時代に活躍した岡山出身の詩人であり画家であり、日本のグラフィックデザイナーの先駆者だと評価されている竹久夢二(たけひさゆめじ)のこと。この駅弁のふたに描かれるものが、その代表作のひとつ「早春」だという。描かれる女性の姿は古風であるが、絵の全体的なデザインは現代のものとそう変わらない新しさがあると思う。
※2016年7月補訂:終売を追記2004(平成16)年8月28日に購入した、岡山駅弁のパッケージ。上記の2009年9月時点との変更点は、調製元の所在地に「中区」を加えただけ。2009(平成21)年4月に岡山市が政令指定都市となり区が設置されたことで、市内すべての住所が変わった。こんなことがあると、駅弁屋はパッケージを刷り直したり訂正しなければならなくて大変だ。
JR西日本の駅弁キャンペーン「駅弁の達人」の実施に合わせて、2004(平成16)年5月1日に発売した、岡山駅の上等幕の内駅弁。内容はまるで異なるが、駅弁の名前と掛紙の写真からは、2003(平成15)年7月20日から8月17日まで販売された期間限定駅弁「幻想庭園」(800円)の後継に見える。
ふたには岡山が誇る日本三名園のひとつ後楽園の、夏の夜のライトアップ「幻想庭園」の風景が写真で掲載され、駅弁の名前はこれから来ている。中身は岡山産米の白御飯に穴子、黒豚、海老天、鰆西京焼、若鶏柚子味噌焼、煮物各種など。
牛・豚・鶏・焼き魚(サワラ)・飯蛸・穴子と、おおよそ通常の駅弁に入っていそうな肉が全部入り、それらのすべてが濃くない味付けで、御飯も美味くて良い駅弁。「ゆふいんの森弁当」などにも見られる、容器内の対角線仕切りは、それだけで中身の芸術点を高めると思う。2004年度のJR西日本の駅弁キャンペーン「駅弁の達人」の対象駅弁。現在は売られていない模様。
後楽園の幻想庭園とは、築庭300年を記念して2000(平成12)年に始まった夜間特別開園。7月末から8月の月遅れ盆頃までの会期で、21時半までの延長営業とライトアップやステージイベントが実施される。
※2013年5月補訂:終売を追記入手状況等から1977(昭和52)年の調製と思われる、昔の岡山駅弁の掛紙。掛紙の写真は後楽園でのお茶会であろうか、イラストより詳細にその時代を感じられる。また、この頃は宇野駅でも駅弁が売られていたことが分かる。
入手状況等から1977(昭和52)年の調製と思われる、昔の岡山駅弁の掛紙。掛紙に書かれていないが価格800円の高級幕の内駅弁だった模様。掛紙に描かれるのは岡山城と後楽園であろうか、駅弁の名前も日本三名園に数えられ岡山を代表する名所である後楽園にちなむものと思われる。掛紙記載の調製元に代表取締役の個人名が記されるのは、高度経済成長期以後の駅弁掛紙としては珍しい部類に入ると思う。
※2004年11月補訂:調製元の情報提供に基づく価格を追記入手状況等から1977(昭和52)年の調製と思われる、昔の岡山駅弁の掛紙。掛紙に描かれるのは注記のとおり鷲羽山麓と下津井港で、下津井節の歌詞も記される。下津井は岡山駅の南南西約30km先の港町で、四国への玄関口として栄えたが、国が宇野に線路を敷き高松までの鉄道連絡航路を開設したことで寂れてしまった。
1960年代、昭和40年前後の、2月12日9時の調製と思われる、昔の岡山駅弁の掛紙。「急行・準急は空箱を屑籠の中にお入れ下さい」の注意書きがあるため、国鉄に準急列車があった1968(昭和43)年9月までのものか。岡山城とその名物である鶴をシンプルに描いた掛紙で、掛紙の形状から判断して、駅弁の容器を土産物のように包んでいたと思われる。
1963(昭和38)年9月3日11時の調製と思われる、昔の岡山駅弁の掛紙。おかずの掛紙の絵柄は、岡山城と後楽園と瀬戸内海に思える。御飯は珍しく「御赤飯」とあり、赤飯とおかずを合わせた上等幕の内駅弁だったことがうかがえる。
1955(昭和30)年7月15日5時の調製と思われる、昔の岡山駅弁の掛紙。掛紙に描かれたのは岡山後楽園だろうか。まだ「外食券引換」の表記が残るが、この頃には駅弁が自由に買えるようになっていたのではないかと思う。
1954(昭和29)年4月18日10時の調製と思われる、昔の岡山駅弁の掛紙。岡山産業観光大博覧会の記念掛紙のようになっている。「税込」「外食券引換」という昭和20年代の表記が残る。
1953(昭和28)年4月19日の調製と思われる、昔の岡山駅弁の掛紙。上の掛紙と意匠と記載内容はほぼ同じで、水田の鳥よけ?の代わりに歌が記される。
昭和20年代のものと思われる、昔の岡山駅弁の掛紙。掛紙のデザインは備前の秋の水田のイメージか。消費税がない頃なので、定価の「税込」の記載が気になる。
※2004年11月補訂:調製元の情報提供に基づく調製時期の推定を追記1937(昭和12)年以降、第二次大戦前の調製と思われる、昔の岡山駅弁の掛紙。掛紙のデザインは岡山城と旭川か、鶴が二羽描かれているのは昔から岡山城で飼っていたからか。
※2004年11月補訂:調製元の情報提供に基づく調製時期の推定を追記1926(大正15)年9月26日16時の調製と思われる、昔の岡山駅弁の掛紙。小さな紙片ながら、まるで紙幣のように賑やかな絵柄を持つと思う。
1926(大正15)年9月26日16時の調製と思われる、昔の岡山駅弁の掛紙。名刺サイズの小さな紙片に、名所案内を除く普通サイズの掛紙と同じ情報量を詰め込んだ感じ。江戸時代から岡山後楽園の名物であるサクラとツルを描いたようにも見える。